言志四録 / 言志晩録 第六十七条 一種の心学を戒む
世有一種稱心學者。於女子小人。非無寸益。然要爲鄕愿之類。士君子學此。則汨流俗。失義氣。尤非武弁所宜。人主誤用之。使士氣怯懦。殆不可。
新字:世有一種称心学者。於女子小人。非無寸益。然要為郷愿之類。士君子学此。則汨流俗。失義気。尤非武弁所宜。人主誤用之。使士気怯懦。殆不可。
書き下し
世に一種心学と称する者有り。女子小人に於ては、寸益無きに非ず。然れども要するに郷愿の類たり。士君子此れを学べば、則ち流俗に汨み、義気を失ふ。尤も武弁の宜しき所に非ず。人主誤りて之を用ふれば、士気をして怯懦ならしむ。殆ど不可なり。
現代語訳
世の中に「心学」と称する一派がある。女性や庶民にとっては、わずかな益がないわけではない。しかし要するに郷愿(善人を装って世間に迎合する者)の類である。士君子がこれを学べば、世俗の風潮に沈み、義を重んじる気概を失う。とりわけ武士にふさわしいものではない。君主が誤ってこれを用いれば、士の気風を臆病にしてしまう。まったくよろしくない。
解説
ここで言う「心学」は、石田梅岩に始まり、手島堵庵・中沢道二らが広めた石門心学を指すと考えられます。神儒仏をまじえて平易に倹約・正直・堪忍を説き、町人や農民の間に大きく広まりました。一斎は庶民への効用を一定認めながらも、それは『論語』で孔子が「徳の賊」と呼んだ郷愿、つまり世間受けのよい八方美人の類だと評します。士が学べば世俗に流されて義気を失い、特に武士の気風を弱くするというのです。身分社会の儒官としての見方が色濃く、現代からは偏りも感じられる条ですが、穏やかな処世訓がときに信念や気概を失わせるという指摘には考えさせるものがあります。組織の和を重んじることと、言うべきことを言う気概との釣り合いを考える材料になります。
この章句が説くこと
郷愿義気士気処世心学
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