言志四録 / 言志晩録 第六十八条 三教一致を斥く
明季林兆恩合三敎爲一。葢學心齋龍溪而失者也。與此間一種心學誘愚夫愚婦者相類。要不足齒牙耳。
新字:明季林兆恩合三教為一。葢学心斎竜渓而失者也。与此間一種心学誘愚夫愚婦者相類。要不足歯牙耳。
書き下し
明季の林兆恩、三教を合せて一と為す。蓋し心斎・龍渓を学びて失する者なり。此の間の一種の心学、愚夫愚婦を誘ふ者と相類す。要するに歯牙に掛くるに足らざるのみ。
現代語訳
明末の林兆恩は、儒・仏・道の三教を合わせて一つにした。思うに、王心斎や王龍渓を学んで道を誤った者である。わが国の一種の心学が、無学な庶民を誘っているのと似ている。要するに、取り上げて論じるにも足りないものである。
解説
明末の林兆恩は、儒仏道の三教を合一する「三一教」を開き、民間の宗教として広まりました。一斎はこれを、陽明の高弟のうちでも特に自由奔放な泰州学派の王心斎や、高妙な説で知られた王龍渓を学んで誤った者と見ます。そして前の条で批判した日本の石門心学も、三教をまじえて庶民に説く点で同類だとし、論じるに足りないと退けます。陽明学に理解を示した一斎ですが、その末流が宗教的な混淆に流れることには厳しかったのです。次の条では龍渓とほかの門人とを区別しています。わかりやすく人を集める教えが、本来の厳しさを失っていないか。人を惹きつける分かりやすさと、中身の確かさとの関係を考えさせる条です。
この章句が説くこと
三教一致心学陽明学異端学問の筋
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