言志四録 / 言志晩録 第六十五条 時好と殊異なる清儒
淸初考據之學盛行。其間唯李二曲顒黃梨洲宗義湯潛菴斌彭南畇定求彭樹廬士望諸輩。竝於此學爲有見。要與時好殊異。學者不妨讀其書以舍取之。
新字:清初考拠之学盛行。其間唯李二曲顒黄梨洲宗義湯潜菴斌彭南畇定求彭樹廬士望諸輩。並於此学為有見。要与時好殊異。学者不妨読其書以舎取之。
書き下し
清初、考拠の学盛んに行はる。其の間、唯だ李二曲顒・黄梨洲宗義・湯潜庵斌・彭南畇定求・彭樹廬士望の諸輩、並びに此の学に於て見有りと為す。要するに時好と殊異なり。学者其の書を読みて以て之を舎取するを妨げず。
現代語訳
清の初め、考証の学問が盛んに行われた。その中で、ただ李二曲(李顒)・黄梨洲(黄宗羲)・湯潜庵(湯斌)・彭南畇(彭定求)・彭樹廬(彭士望)らは、皆この(心の)学問において見識があった。要するに、当時の流行とはまったく異なっている。学ぶ者はその書を読んで、取るべきを取り捨てるべきを捨てても差し支えない。
解説
前の条で清朝考証学を厳しく批判した一斎ですが、清の学者をひとまとめに退けたわけではありません。考証が流行する中で、李二曲や黄梨洲、湯潜庵、彭定求、彭士望らは、心を修め身を正す学に見識を持っていたと名を挙げます。李二曲は陽明学を奉じて「悔過自新」を説き、黄梨洲は『明儒学案』を著して明代の心学を整理した人です。彼らは時代の流行に流されなかった人々であり、その書を読んで取捨するのはよい、と一斎は勧めます。流行の中にも流行に抗う人がいる。批判する対象の中から学ぶべきものを選び分ける姿勢は、業界の潮流を見るときにも役立つでしょう。
この章句が説くこと
時流取捨心学見識読書
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