言志四録 / 言志晩録 第二十三条 不伝の伝は心に在り
此學。有傳之傳。有不傳之傳如堯以是傳之舜。舜以是傳之禹。則傳之傳也。禹以是傳之湯。湯以是傳之文武周公。文武周公傳之孔子。則不傳之傳也。不傳之傳在於心。不在於言。濂溪明道葢接傳於百世之下矣。如漢儒所云傳。則訓詁耳。豈足謂之傳乎。
新字:此学。有伝之伝。有不伝之伝如堯以是伝之舜。舜以是伝之禹。則伝之伝也。禹以是伝之湯。湯以是伝之文武周公。文武周公伝之孔子。則不伝之伝也。不伝之伝在於心。不在於言。濂渓明道葢接伝於百世之下矣。如漢儒所云伝。則訓詁耳。豈足謂之伝乎。
書き下し
此の学、伝の伝有り、不伝の伝有り。堯、是を以て之を舜に伝へ、舜、是を以て之を禹に伝ふるが如きは、則ち伝の伝なり。禹、是を以て之を湯に伝へ、湯、是を以て之を文武周公に伝へ、文武周公、之を孔子に伝ふるは、則ち不伝の伝なり。不伝の伝は心に在りて、言に在らず。濂渓・明道は蓋し百世の下に接伝す。漢儒の云ふ所の伝の如きは、則ち訓詁のみ。豈に之を伝と謂ふに足らんや。
現代語訳
この学問には、直接の伝授による伝えと、直接伝授しない伝えとがある。堯がこれを舜に伝え、舜がこれを禹に伝えたようなものは、直接の伝授による伝えである。禹がこれを湯王に伝え、湯王がこれを文王・武王・周公に伝え、文王・武王・周公がこれを孔子に伝えたのは、直接伝授しない伝えである。直接伝授しない伝えは心にあって、言葉にはない。周濂渓と程明道は、思うに百世の後に(孟子以来途絶えていた道を)受け継いだのである。漢代の儒者が言う伝えのようなものは、字句の解釈にすぎない。どうしてそれを伝えと言うに足りようか。
解説
儒学の道統、すなわち道の受け継がれ方を論じた条です。堯・舜・禹は相接して直接道を授けたが、禹から湯、湯から文王・武王・周公、そして孔子へは数百年の隔たりがあり、直接の授受はない。それでも道は伝わった。それが「不伝の伝」で、言葉ではなく心で伝わるのだと一斎は言います。韓愈の「原道」や孟子尽心下篇の見て知る・聞いて知るという区別を踏まえています。さらに周濂渓と程明道が千年以上の隔たりを越えて道を継いだとし、漢代の訓詁学は字句の解釈にすぎず伝とは言えないと退けます。技や理念の継承も、マニュアルの受け渡しだけでは成り立ちません。何を心で受け継ぐのかを考えさせる条です。
この章句が説くこと
道統継承以心伝心訓詁心
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