言志四録 / 言志晩録 第二十一条 万物一体は横、古今一体は竪
我身一也。而有老少焉。知老少之爲一身。則知九族之爲我身。知九族之爲我身。則知古往今來之爲一體。萬物一體。是橫說。古今一體。是豎說。須善忘形骸而自得之。
新字:我身一也。而有老少焉。知老少之為一身。則知九族之為我身。知九族之為我身。則知古往今来之為一体。万物一体。是横説。古今一体。是豎説。須善忘形骸而自得之。
書き下し
我が身は一なり。而して老少有り。老少の一身たるを知れば、則ち九族の我が身たるを知る。九族の我が身たるを知れば、則ち古往今来の一体たるを知る。万物一体は是れ横説、古今一体は是れ豎説なり。須らく善く形骸を忘れて之を自得すべし。
現代語訳
我が身は一つである。しかしその中に老いと若さがある。老いも若きも同じ一つの身であると知れば、九族(高祖から玄孫までの一族)が我が身であることがわかる。九族が我が身であると知れば、昔から今に至るまでが一体であることがわかる。万物一体は横に広げた説き方であり、古今一体は縦に貫いた説き方である。よく肉体へのとらわれを忘れて、これを自ら会得しなければならない。
解説
前条の万物一体を受けて、時間の軸にも一体を見出した条です。自分の身は一つだが、若い時も老いた時もある。それが同じ一身だと分かれば、祖先から子孫へと続く九族も我が身の延長だと分かり、さらに過去から未来へと続く時の流れ全体が一体だと分かる。一斎はこれを、万物一体は横の説、古今一体は竪(縦)の説と整理します。言志録の「博聞強記は聡明の横、精義入神は聡明の竪」と同じく、横と竪で物事を捉えるのは一斎の好んだ方法です。自分を先人から受け継ぎ後に渡す一つの環と見ると、目の前の仕事の意味も変わって見えます。事業の継承や人を育てることを考えるときの視座になります。
この章句が説くこと
古今一体万物一体継承時間九族
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