言志四録 / 言志晩録 第二条 曾皙の進取は心に在り
狂者進取。狷者有所不爲。子路。冉有。公西華。志在進取。曾皙獨異其撰。而孟子以爲狂。何也。三子進取在事。曾皙進取在心。
新字:狂者進取。狷者有所不為。子路。冉有。公西華。志在進取。曽皙独異其撰。而孟子以為狂。何也。三子進取在事。曽皙進取在心。
書き下し
狂者は進取し、狷者は為さざる所有り。子路・冉有・公西華は、志進取に在り。曾皙独り其の撰を異にす。而るに孟子以て狂と為すは、何ぞや。三子の進取は事に在り、曾皙の進取は心に在り。
現代語訳
「狂者は進んで取りに行き、狷者はしないことがある」(論語)。子路・冉有・公西華は、志が進取にあった。曾皙だけがその考えを異にした。それなのに孟子が曾皙を狂者としたのは、なぜか。三人の進取は事業にあり、曾皙の進取は心にあったのである。
解説
論語先進篇の「侍坐章」を読み解いた条です。孔子に志を問われて、子路・冉有・公西華は国を治める、礼楽を整えるといった事業の抱負を語りましたが、曾皙だけは、晩春に若者たちと川で水浴びし、舞雩の台で風に吹かれて歌いながら帰りたいと答え、孔子は曾皙に賛成しました。孟子は後に曾皙を「狂者」、すなわち志の高い進取の人に数えます。事業を語らなかった曾皙がなぜ進取なのか。一斎は、三人の進取は事にあり、曾皙の進取は心にあったと答えます。外に向かう野心だけが前進ではなく、心の境地を押し広げることも進取であるという見方は、成果の大きさで人を測りがちな私たちに別の尺度を示します。
この章句が説くこと
狂者進取志心論語
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