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言志四録 / 言志後録 第二百四十条 視観察を一生に配す

余自翻轉視觀察。姑配一生。三十已下。似視時候。三十至五十。似觀時候。五十至七十。似察時候。察時候當達於知命樂天。而余齡今六十六。猶未能深入理路。而况於知命樂天乎。餘齡無幾。不容不自勵。天保丁酉瓜月記

新字:余自翻転視観察。姑配一生。三十已下。似視時候。三十至五十。似観時候。五十至七十。似察時候。察時候当達於知命楽天。而余齢今六十六。猶未能深入理路。而況於知命楽天乎。余齢無幾。不容不自励。天保丁酉瓜月記

書き下し

余自ら視・観・察を翻転して、姑く一生に配す。三十已下は視る時候に似たり。三十より五十に至るは観る時候に似たり。五十より七十に至るは察する時候に似たり。察する時候は当に命を知り天を楽しむに達すべし。而るに余齢今六十六、猶未だ深く理路に入る能はず。而るを况んや知命楽天に於てをや。余齢幾ばくも無し。自ら励まざるを容れず。(天保丁酉瓜月記す)

現代語訳

私は自分で「視・観・察」の三段階を読み替えて、ひとまず人の一生に割り当ててみた。三十歳以下は「視る」時期に似ている。三十歳から五十歳までは「観る」時期に似ている。五十歳から七十歳までは「察する」時期に似ている。「察する」時期には、天命を知り天を楽しむ境地に達しているはずである。ところが私は今六十六歳になるのに、なお道理の筋道に深く入ることができない。まして天命を知り天を楽しむ境地など言うまでもない。残りの齢はいくらもない。自ら励まずにはいられない。(天保丁酉〔天保八年〕七月に記す)

解説

『論語』為政篇の「其の以す所を視、其の由る所を観、其の安んずる所を察す」は、人を見る三段階を述べた言葉です。一斎はこれを人の一生に当てはめ、三十歳までは表面を見る時期、五十歳までは経緯を観る時期、七十歳までは奥を察する時期とします。察する時期には、天命を知り天を楽しむ境地に達すべきなのに、六十六歳の自分はまだ道理の奥に入れていないと嘆き、残り少ない年月を励まそうと結びます。天保八年(一八三七)、大塩平八郎の乱が起きた年の記です。老いてなお自分を未熟とする姿勢が、一斎の学びを支えていました。年齢を重ねるほど物の見方が深まっているか、自分に問いかける手がかりになる条です。

この章句が説くこと

老い知命自励修養人生の段階

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