言志四録 / 言志後録 第百七十六条 老いて戒むるは得に在り
及其老也。戒之在得。得字。不知所指何事。余齡已老。因以自心證之。往年血氣盛時。慾念亦盛。及今血氣衰耗。慾念卻覺較澹泊。但是貪年齒。營子孫一念頭。比之往時較濃。得字或指此類。不必指得財得物。人死生有命。今强覔養生。蘄引年。亦不知命。子孫福幸。自有天分。今爲之故意營度。亦不知天。畢竟是老悖衰颯念頭。此都是戒得條件。不知他老人著做何想。
新字:及其老也。戒之在得。得字。不知所指何事。余齢已老。因以自心証之。往年血気盛時。慾念亦盛。及今血気衰耗。慾念却覚較澹泊。但是貪年歯。営子孫一念頭。比之往時較濃。得字或指此類。不必指得財得物。人死生有命。今強覔養生。蘄引年。亦不知命。子孫福幸。自有天分。今為之故意営度。亦不知天。畢竟是老悖衰颯念頭。此都是戒得条件。不知他老人著做何想。
書き下し
「其の老ゆるに及びては、之を戒むること得に在り」。得の字、指す所何事なるかを知らず。余が齢已に老いたり。因りて自心を以て之を証す。往年血気盛んなる時は、慾念も亦盛んなり。今血気衰耗するに及びて、慾念却って較澹泊なるを覚ゆ。但だ是れ年歯を貪り、子孫を営むの一念頭、之を往時に比ぶれば較濃やかなり。得の字或は此の類を指すか。必ずしも財を得、物を得るを指さず。人の死生は命有り。今強ひて養生を覓め、引年を祈るは、亦命を知らざるなり。子孫の福幸は、自ら天分有り。今之が為に故意に営度するも、亦天を知らざるなり。畢竟是れ老悖衰颯の念頭なり。此れ都て是れ得を戒むるの条件なり。知らず、他の老人は著して何の想ひを做せしかを。
現代語訳
「老年になったら、戒めるべきは得(むさぼり)にある」(論語)。この「得」の字が何を指すのか、私にはわからなかった。私の年齢もすでに老いた。そこで自分の心に照らして確かめてみた。若いころ血気が盛んなときは、欲も盛んだった。いま血気が衰えてみると、欲はかえっていくらか淡くなったように感じる。ただ、長生きをむさぼり、子孫のために計らおうとする一念だけは、昔に比べていくらか濃くなっている。「得」の字はあるいはこの類を指すのではないか。必ずしも財や物を得ることを指すとは限らない。人の生死には天命がある。いま無理に養生を求め、寿命を延ばそうと祈るのも、天命を知らないことである。子孫の幸福には、おのずから天の定めた分がある。いまそのためにことさらに計らうのも、天を知らないことである。結局これは老いぼれて衰えた心の働きである。これらはみな「得を戒める」べき項目である。あの老先生(孔子)ご自身は、どのような思いでこう言われたのだろうか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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史記 殷本紀武丁夜夢に聖人を得たり、名を説と曰ふ。夢に見る所を以て群臣百吏を視るに、皆非なり。是に於て迺ち百工をして之を野に営求せしめ、説を傅険の中に得たり。是の時説は胥靡と為り、傅険に築く。武丁に見えしむるに、武丁是なりと曰ふ。得て之と語るに、果たして聖人なり。挙げて以て相と為し、殷国大いに治まる。故に遂に傅険を以て之に姓とし、号して傅説と曰ふ。帝武丁成湯を祭る。明日、飛雉有りて鼎耳に登りて呴く。武丁懼る。祖己曰く、「王憂ふる勿かれ、先づ政事を修めよ」と。祖己乃ち王に訓へて曰く、「唯れ天下を監みて厥の義を典る。年を降すに永き有り永からざる有り、天民を夭するに非ず、中ごろ其の命を絶つ。民に徳に若はず、罪を聴かざる有らば、天既に命を附して厥の徳を正す。乃ち曰く其れ柰何と。嗚呼、王嗣ぎて民を敬せよ。天の継に非ざる罔し。常祀は棄道に礼する毋かれ」と。武丁政を修め徳を行ひ、天下咸驩び、殷の道復た興る。帝武丁崩じ、子帝祖庚立つ。祖己武丁の祥雉を以て徳を為せしを嘉し、其の廟を立てて高宗と為し、遂に高宗肜日及び訓を作る。帝祖庚崩じ、弟祖甲立つ。是を帝甲と為す。帝甲淫乱にして、殷復た衰ふ。帝甲崩じ、子帝廩辛立つ。帝廩辛崩じ、弟庚丁立つ。是を帝庚丁と為す。帝庚丁崩じ、子帝武乙立つ。殷復た亳を去り、河北に徙る。帝武乙無道にして、偶人を為り、之を天神と謂ふ。之と博し、人をして行はしむ。天神勝たざれば、乃ち之を僇辱す。革嚢を為り、血を盛り、卬ぎて之を射、命じて射天と曰ふ。武乙河渭の間に猟し、暴雷あり、武乙震死す。子帝太丁立つ。帝太丁崩じ、子帝乙立つ。帝乙立ちて、殷益衰ふ。帝乙の長子を微子啓と曰ふ。啓の母は賤しく、嗣ぐを得ず。少子は辛、辛の母は正后なり、辛嗣と為る。帝乙崩じ、子辛立つ。是を帝辛と為す。天下之を紂と謂ふ。
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史記 孔子世家「徳の脩まらざる、学の講ぜざる、義を聞きて徙る能はざる、不善改むる能はざる、是れ吾が憂ひなり」と。人をして歌はしめ、善なれば、則ち之を復せしめ、然る後に之に和す。子は怪・力・乱・神を語らず。子貢曰く、「夫子の文章は、得て聞くべきなり。夫子の天道と性命とを言ふは、得て聞くべからざるのみ」と。顔淵喟然として嘆じて曰く、「之を仰げば弥々高く、之を鑽れば弥々堅し。之を瞻れば前に在り、忽焉として後に在り。夫子は循循然として善く人を誘ふ、我を博むるに文を以てし、我を約するに礼を以てす、罷めんと欲すれども能はず。既に我が才を竭くすに、立つ所有りて、卓爾たるが如し。之に従はんと欲すと雖も、由る蔑きのみ」と。達巷党の人童子曰く、「大なるかな孔子、博く学びて名を成す所無し」と。子之を聞きて曰く、「我何をか執らん。御を執らんか、射を執らんか。我は御を執らん」と。牢曰く、「子云ふ『試ひられず、故に芸あり』と」。春、大野に狩す。叔孫氏の車子鉏商獣を獲たり、以て不祥と為す。仲尼之を視て曰く、「麟なり」と。之を取る。曰く、「河図を出さず、雒書を出さず、吾已んぬるかな」と。顔淵死す、孔子曰く、「天予を喪ぼせり」と。西狩して麟を見るに及び、曰く、「吾が道窮まれり」と。喟然として嘆じて曰く、「我を知る莫きかな」と。子貢曰く、「何為れぞ子を知る莫からん」と。子曰く、「天を怨みず、人を尤めず、下学して上達す、我を知る者は其れ天か」と。「其の志を降さず、其の身を辱めざるは、伯夷・叔斉か」と。「柳下恵・少連は志を降し身を辱めたり」と謂ふ。「虞仲・夷逸は隠居して放言し、行ひ清に中り、廃権に中る」と謂ふ。「我は則ち是に異なり、可も無く不可も無し」と。子曰く、「弗なるかな弗なるかな、君子は世を没して名の称せられざるを病む。吾が道行はれず、吾何を以てか自ら後世に見はさんや」と。乃ち史記に因りて春秋を作る、上は隠公に至り、下は哀公十四年に訖る、十二公なり。魯に拠り、周を親とし、殷を故とし、之を三代に運らす。其の文辞を約にして指博し。
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尚書・高宗肜日高宗肜(ゆう)の日、越(ここ)に雊(な)く雉有り。祖己曰く、「惟れ先づ王を格(ただ)し、厥の事を正さん。」乃ち王に訓へて曰く、「惟れ天下民を監み、厥の義を典とす。年を降すに永き有り永からざる有り。天民を夭するに非ず、民中ごろに命を絶つなり。民徳に若(したが)はず、罪を聴(ゆる)さざる有れば、天既に命を孚(しめ)して厥の徳を正さしむるに、乃ち曰く、『其れ台(われ)を如何せん』と。嗚呼(ああ)、王は民を敬するを司る。天の胤に非ざる罔し、典祀昵(ちか)きに豊かなること無かれ。」
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論語・堯曰篇堯曰く、「咨、爾舜、天の暦数爾の躬に在り。允に其の中を執れ。四海困窮せば、天禄永く終わらん。」舜も亦た以て禹に命ず。曰く、「予小子履、敢えて玄牡を用い、敢えて昭らかに皇皇たる后帝に告ぐ。罪有るは敢えて赦さず。帝の臣は蔽わず、簡ぶこと帝の心に在り。朕が躬罪有らば、万方を以てすること無かれ。万方罪有らば、罪は朕が躬に在り。」「周に大賚有り、善人是れ富む。」「周親有りと雖も、仁人に如かず。百姓過ち有らば、予一人に在り。」権量を謹み、法度を審らかにし、廃官を脩むれば、四方の政行われん。滅国を興し、絶世を継ぎ、逸民を挙ぐれば、天下の民心を帰せん。重んずる所は、民・食・喪・祭。寛なれば則ち衆を得、信なれば則ち民任じ、敏なれば則ち功有り、公なれば則ち説ぶ。
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史記 西南夷列伝楚の先豈に天禄有らんや。周に在りては文王の師為り、楚に封ぜらる。周の衰ふるに及び、地は五千里と称す。秦諸侯を滅ぼすも、唯だ楚の苗裔のみ尚ほ滇王有り。漢西南夷を誅し、国多く滅ぶ、唯だ滇のみ復た寵王と為る。然れども南夷の端は、枸醤を番禺に見、大夏の杖・
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孟子・梁惠王章句下魯の平公將に出でんとす。嬖人臧倉なる者請うて曰く、「他日、君出づれば、則ち必ず有司に之く所を命ず。今、輿に乘り已に駕す。有司未だ之く所を知らず。敢て請う。」公曰く、「將に孟子を見んとす。」曰く、「何ぞや。君の為す所、身を輕んじて以て匹夫に先だつとは。以て賢と為すか。禮義は賢者由り出づ。而るに孟子の後喪は前喪に踰えたり。君、見る無かれ。」公曰く、「諾。」樂正子、入り見えて曰く、「君、奚為れぞ孟軻を見ざるや。」曰く、「或ひと寡人に告げて曰く、『孟子の後喪は前喪を踰えたり。』是を以て往きて見ざるなり。」曰く、「何ぞや。君の所謂踰ゆとは。前には士を以てし、後には大夫を以てし、前には三鼎を以てし、後には五鼎を以てしたるか。」曰く、「否。棺槨衣衾の美を謂うなり。」曰く、「所謂踰ゆるには非ざるなり。貧富同じからざればなり。」樂正子、孟子に見えて曰く、「克、君に告ぐ。君、來たり見んと為す。嬖人に臧倉なる者有り、君を沮む。君是を以て來たることを果たさざるなり。」曰く、「行くも之を使しむる或り、止まるも之を尼むる或り。行止は人の能くする所に非ざるなり。吾の魯侯に遇わざるは、天なり。臧氏の子、焉ぞ能く予をして遇わしめざらんや。」
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