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言志四録 / 言志後録 第二百四十一条 五十は晩節の分かれ目

齡比五十。閱歴日久。鍊磨已多。在聖人爲知命。於常人亦爲從政治事時候。然以世態習熟。易生驕慢。則其失晩節。亦在此時候。可不愼乎。余以文政辛巳。往美濃鉈尾。訪七世八世祖故墟。抵京師。展五世六世祖墳墓。歸途過東濃巖邑。謁女兄。時齡適五十。因益加自警。至今年犬馬齒六十有六。無疾病。無事故。保全首領。盖誘衷使然。一何幸也。

新字:齢比五十。閲歴日久。錬磨已多。在聖人為知命。於常人亦為従政治事時候。然以世態習熟。易生驕慢。則其失晩節。亦在此時候。可不慎乎。余以文政辛巳。往美濃鉈尾。訪七世八世祖故墟。抵京師。展五世六世祖墳墓。帰途過東濃巖邑。謁女兄。時齢適五十。因益加自警。至今年犬馬歯六十有六。無疾病。無事故。保全首領。盖誘衷使然。一何幸也。

書き下し

齢五十に比べば、閲歴日久しく、錬磨已に多し。聖人に在りては命を知ると為し、常人に於ても亦政に従ひ事を治むるの時候と為す。然れども世態に習熟するを以て、驕慢を生じ易し。則ち其の晩節を失ふも、亦此の時候に在り。慎まざる可けんや。余、文政辛巳を以て、美濃の鉈尾に往きて、七世八世の祖の故墟を訪ひ、京師に抵りて、五世六世の祖の墳墓を展し、帰途東濃の巌邑に過りて、女兄に謁す。時に齢適々五十なり。因りて益々自ら警むることを加ふ。今年に至りて犬馬の歯六十有六、疾病無く、事故無く、首領を保全す。蓋し衷を誘ひて然らしむるならん。一に何ぞ幸なるや。

現代語訳

年齢が五十に近づくころには、経験を重ねた日々も長く、鍛錬も既に多く積んでいる。聖人にとっては天命を知る年であり(論語「五十にして天命を知る」)、常人にとっても政務に従い事を治めるべき時期である。しかし世の中の様子に慣れ切ってしまうために、おごりや慢心が生じやすい。だから晩年の節操を失うのも、またこの時期にあるのだ。慎まずにいられようか。私は文政辛巳の年(1821年)に美濃の鉈尾に行き、七代・八代前の祖先の旧跡を訪ね、京都に至って五代・六代前の祖先の墓に参り、帰り道に東美濃の岩村に立ち寄って姉に会った。そのときちょうど五十歳であった。それを機にいっそう自らを戒めることを重ねた。今年に至って私の歳は六十六になるが、病気もなく、事故もなく、首をつないで身を全うしている。思うに天が私の心を導いてそうさせてくださったのであろう。なんと幸いなことか。

解説

五十歳という年齢の意味を、自身の体験とともに記した条です。経験を積み仕事を任される年代は、世慣れしたぶん驕りも生まれやすく、晩節を汚す分かれ目もまさにそこにある、と一斎は見ます。自らは五十の年に美濃と京都の祖先の跡を巡り、岩村の姉を訪ねて、あらためて身を戒めました。そして六十六歳の今、無事に過ごせたのは天の導き(左伝の「天其の衷を誘ふ」)だと感謝しています。前の条で一生を視・観・察の時期に配したのに続く、年齢論の一つです。経験と地位がそろったときこそ最も危ういという指摘は、管理職や経営者になった人が自分を点検する材料になります。

この章句が説くこと

晩節驕慢知命自警年齢先祖

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