言志四録 / 言志後録 第二百三十七条 故旧を遺れず
聖賢故舊不遺。是美德也。即人情也。余家小園無他雜卉。唯有石榴紫薇木犀三樹耳。然此樹植在四十年外。朝昏相對。與主人偕老矣。夏秋間花頗可觀。足以娛心目。是老友也。余性於草木嗜好較澹。然此三樹眷愛特厚。凡交之舊者。畢竟不能忘。是人情也。故舊不遺。情與此一般。
新字:聖賢故旧不遺。是美徳也。即人情也。余家小園無他雑卉。唯有石榴紫薇木犀三樹耳。然此樹植在四十年外。朝昏相対。与主人偕老矣。夏秋間花頗可観。足以娯心目。是老友也。余性於草木嗜好較澹。然此三樹眷愛特厚。凡交之旧者。畢竟不能忘。是人情也。故旧不遺。情与此一般。
書き下し
聖賢の故旧を遺れざるは、是れ美徳なり、即ち人情なり。余が家の小園、他の雑卉無し。唯石榴・紫薇・木犀の三樹有るのみ。然れども此の樹植ゑて四十年の外に在り。朝昏相対し、主人と偕に老いたり。夏秋の間、花頗る観る可く、以て心目を娯しましむるに足る。是れ老友なり。余が性、草木に於ける嗜好較澹し。然れども此の三樹は眷愛特に厚し。凡そ交の旧き者は、畢竟忘るる能はず。是れ人情なり。故旧を遺れざるも、情此と一般なり。
現代語訳
聖人や賢者が古なじみを忘れないのは、美徳であり、すなわち人情である。私の家の小さな庭には、ほかに雑多な草木はない。ただ石榴(ざくろ)・紫薇(さるすべり)・木犀(もくせい)の三本の木があるだけである。しかしこの木は植えてから四十年以上になる。朝夕向かい合い、主人である私とともに老いてきた。夏から秋にかけて花はなかなか見事で、心と目を楽しませるのに十分である。これは老いた友である。私の性分として、草木への好みはやや淡い。それでもこの三本の木には、特に深い愛着がある。およそ付き合いの古いものは、結局忘れることができない。これが人情である。古なじみを忘れないのも、その情はこれと同じである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
言志四録・言志後録 第二百三十八条 物旧ければ屏棄するに忍びず余が左右に聘用する几硯の諸具は、率ね皆五十年前に得る所たり。物旧ければ則ち屏棄するに忍びず。因りて念ふ、晏子の一狐裘三十年も、亦恐らくは必ずしも倹嗇に在らざらん。
-
言志四録・言志後録 第二百五十三条 三不朽は徳に本づく三不朽は必ず徳に本づく。徳有る者は必ず言有り。是れ徳立てば則ち言立つを知る。徳は惟れ政を善くす。是れ徳立てば則ち功立つを知る。吾之を古人に求むるに、此の三者を兼ぬるは幾人をも見ず。苟くも之有らば、吾将に之を尚友するに暇あらざらんとす。尚ほ何ぞ其の小疵を問はん。是れ我が志なり。
-
言志四録・言志耋録 第百七十二条 往事を忘れざるは厚徳人は当に往事を忘れざるべし。是れを厚徳と為す。
-
言志四録・言志耋録 第百七十条 往事を追はざる者親戚に親しまざる者は、他人に於ても亦疏薄なり。往事を追はざる者は、当務に於ても亦苟且なり。
-
言志四録・言志後録 第百四十九条 将に滅せんとする灯人五十已後に至りて、春心再び動く時候有り。是れ衰徴なり。将に滅せんとする灯は、必ず乍ち焔を発す。此と一般なり。余往年自警の詩有り。曰く、晩年少年の人を学ぶこと莫かれ、節輙ち荒頽して多く身を誤る。悟り得たり秋冬黄爛の際、一時の光景陽春に似たるを。頒白誰か憐まん遅暮の人、自ら知る三戒の終身に在るを。看るを要す枯樹の花を開き発くを、也た是れ枝頭一刻の春。
-
言志四録・言志晩録 第二百六十一条 惟だ義は忘るべからず人老境に抵れば、儘く善く忘る。惟だ義は忘るべからず。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る