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弁名 / 經權

經傳。後世有聖經賢傳之說。以聖人所作爲經。賢人所作爲傳者。非矣。詩書禮樂。謂之四敎。謂之四術。是誠聖人所立。然書紀于史官。詩或出田畯紅女。禮樂固聖人作之。而其筆諸書。昉於孔門。豈得謂之聖人所作哉。漢諸儒皆各作傳。豈自以爲賢乎。且經之名。古未聞也。觀於莊子十二經墨經之言。則昉於七十子之後邪。葢古稱本業爲經。亦持衆緯之謂也。經之文至簡。含蓄衆義。故以爲名。漢儒解爲常。謂聖人之經。萬古不易。非矣。

新字:経伝。後世有聖経賢伝之説。以聖人所作為経。賢人所作為伝者。非矣。詩書礼楽。謂之四教。謂之四術。是誠聖人所立。然書紀于史官。詩或出田畯紅女。礼楽固聖人作之。而其筆諸書。昉於孔門。豈得謂之聖人所作哉。漢諸儒皆各作伝。豈自以為賢乎。且経之名。古未聞也。観於荘子十二経墨経之言。則昉於七十子之後邪。葢古称本業為経。亦持衆緯之謂也。経之文至簡。含蓄衆義。故以為名。漢儒解為常。謂聖人之経。万古不易。非矣。

書き下し

経伝。後世聖経賢伝の説有り、聖人の作る所を以て経と為し、賢人の作る所を伝と為す者は、非なり。詩書礼楽は、之を四教と謂ひ、之を四術と謂ふ。是れ誠に聖人の立つる所なり。然れども書は史官に紀され、詩は或は田畯・紅女より出づ。礼楽は固より聖人之を作る。而して其の諸を書に筆するは、孔門に昉まる。豈に之を聖人の作る所と謂ふを得んや。漢の諸儒は皆各〻伝を作る、豈に自ら以て賢と為さんや。且つ経の名は古未だ聞かざるなり。荘子の十二経・墨経の言を観れば、則ち七十子の後に昉まるか。蓋し古は本業を称して経と為す、亦た衆緯を持するの謂なり。経の文は至簡にして、衆義を含蓄す、故に以て名と為す。漢儒解して常と為し、聖人の経は万古易らずと謂ふは、非なり。

現代語訳

経と伝について。後世、「聖人の経、賢人の伝」という説があり、聖人が作ったものを経とし、賢人が作ったものを伝とするが、誤りである。詩書礼楽はこれを四教といい、四術という。これは確かに聖人が立てたものである。しかし書は史官が記録したものであり、詩には農夫や機織りの女の作もある。礼楽はもちろん聖人が作ったが、それを書物に書き記したのは孔子の門下に始まる。どうしてこれを聖人の作ったものと言えようか。漢の儒者たちはそれぞれ伝を作ったが、どうして自分を賢人だと思っていたろうか。それに経という名は、古くは聞いたことがない。『荘子』の「十二経」や「墨経」という言葉を見ると、孔子の七十人の弟子以後に始まったのだろうか。思うに古くは本業を称して経といった。これも多くの横糸を保つという意味である。経の文章はきわめて簡潔で、多くの意味を含んでいるから、そう名づけたのである。漢の儒者が経を「常」と解し、聖人の経は万古変わらないと言ったのは誤りである。

解説

経書を「聖人の作った不変の聖典」とみる通念を、徂徠は解体する。書は史官の記録、詩には庶民の歌も含まれ、礼楽を書き記したのは孔子の門下である。経という呼び名も古くはなく、もとは本業を指し、簡潔な文に多くの意味を含むから、縦糸のように多くの解釈を支えるものとして名づけられたのだという。テキストの成り立ちを史料として確かめ、神聖視とは別のかたちで正しく尊重する姿勢である。社是や創業者の言葉も、成り立ちを知ってこそ生きた指針として読める。

この章句が説くこと

経伝六経詩書礼楽漢儒本業

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