言志四録 / 言志後録 第二百一条 唐書を熟読す
余近爲兒課唐書。昔甞一過。今則大半忘。如讀未見書。偶記一二在胸間者。宛如逢故人。太可喜。劉書雖詳而瑣猥。不如歐宋之爲簡淨。范鑑宜與温史唐紀幷讀可也。我邦古昔典章。葢資諸隋唐者不少。故軌範在此。鑑戒亦在此。不厭熟讀。
新字:余近為児課唐書。昔甞一過。今則大半忘。如読未見書。偶記一二在胸間者。宛如逢故人。太可喜。劉書雖詳而瑣猥。不如欧宋之為簡浄。范鑑宜与温史唐紀幷読可也。我邦古昔典章。葢資諸隋唐者不少。故軌範在此。鑑戒亦在此。不厭熟読。
書き下し
余近ごろ児の為に唐書を課す。昔嘗て一過す。今は則ち大半忘る。未だ見ざるの書を読むが如し。偶々一二の胸間に在る者を記すれば、宛も故人に逢ふが如し。太だ喜ぶ可し。劉書は詳なりと雖も瑣猥なり。欧・宋の簡浄たるに如かず。范が鑑は宜しく温史の唐紀と并せ読むべくして可なり。我が邦古昔の典章は、蓋し諸を隋唐に資る者少からず。故に軌範此に在り、鑑戒も亦此に在り。熟読を厭はず。
現代語訳
私は近ごろ子のために唐書を課題として読ませている。昔一度通読したことがあるが、今はその大半を忘れていて、まだ読んだことのない本を読むようである。たまたま一つ二つ胸中に覚えていたところに出会うと、まるで旧友に再会したようで、大いにうれしい。劉昫の『旧唐書』は詳しいけれども細かく雑然としており、欧陽脩・宋祁の『新唐書』の簡潔ですっきりしているのには及ばない。范祖禹の『唐鑑』は、司馬温公(司馬光)の『資治通鑑』の唐紀とあわせて読むのがよい。わが国の昔の制度や法典は、おそらく隋・唐に拠ったものが少なくない。だから手本はここにあり、戒めもまたここにある。熟読をいとってはならない。
解説
この章句が説くこと
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