言志四録 / 言志後録 第百六十四条 学は見在の篤行
吾人爲學。只要喫緊實際。終日學問思辨。終日戒愼恐懼。便是見在篤行工夫。學無此外而已。若去卻見在。別覔之悠渺冥漠。則非吾儒之學。
新字:吾人為学。只要喫緊実際。終日学問思弁。終日戒慎恐懼。便是見在篤行工夫。学無此外而已。若去却見在。別覔之悠渺冥漠。則非吾儒之学。
書き下し
吾人の学を為すは、只だ実際に喫緊ならんことを要す。終日学問思弁し、終日戒慎恐懼す、便ち是れ見在の篤行の工夫なり。学は此の外無きのみ。若し見在を去却して、別に之を悠渺冥漠に覓むれば、則ち吾が儒の学に非ず。
現代語訳
我々が学問をするには、ただ実際のことに切実であることが肝要である。一日中、学び・問い・思い・弁じ、一日中、戒め慎み恐れ畏む、それがそのまま今この時における篤行(誠実な実践)の工夫である。学問はこれ以外にはない。もし今この時を捨て去って、別にはるかで捉えどころのない所に学問を求めるならば、それは我々儒者の学ではない。
解説
『中庸』の「博く学び、審らかに問ひ、慎みて思ひ、明らかに弁じ、篤く行ふ」と、同じく『中庸』の「戒慎恐懼」を踏まえた一条です。学問・思索と篤行を段階に分けず、一日中学び考え、一日中慎むこと自体が、いまここでの実践だと一斎は言います。「見在」は現在ただいまのこと。知と行を切り離さない陽明学の知行合一に近い発想で、朱子学の儒官でありながら陽明学に心を寄せた一斎らしさが出ています。逆に、現実を離れて深遠で漠然とした境地に学を求めるのは、仏教や老荘に傾くものとして退けています。学びを「いつか役立てるための準備」と考えがちなとき、目の前の仕事への向き合い方こそが学びそのものだと気づかせてくれます。
この章句が説くこと
学問篤行知行合一戒慎恐懼実践
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