言志四録 / 言志後録 第八十二条 習気を除く
性之動爲情。畢竟不可斷滅。唯發而中節。則爲性之作用。然錮閉自性者爲習氣。而情之發毎夾習氣。有所黏著。是錮閉也。故習氣不可不除矣。工夫機筈。在一念發動上。就即反觀自性。覓未發時景象以挽回之。則情之所感。純以性動。無不中節也。然工夫甚難。不爲習氣壓倒者少矣。故常常戒愼之於未感之時。猶有所失。則又必挽回之於纔感之際。工夫無此外耳。
新字:性之動為情。畢竟不可断滅。唯発而中節。則為性之作用。然錮閉自性者為習気。而情之発毎夾習気。有所黏著。是錮閉也。故習気不可不除矣。工夫機筈。在一念発動上。就即反観自性。覓未発時景象以挽回之。則情之所感。純以性動。無不中節也。然工夫甚難。不為習気圧倒者少矣。故常常戒慎之於未感之時。猶有所失。則又必挽回之於纔感之際。工夫無此外耳。
書き下し
性の動くを情と為す。畢竟断滅すべからず。唯発して節に中れば、則ち性の作用と為る。然れども自性を錮閉する者を習気と為す。而して情の発するや毎に習気を夾み、黏著する所有り。是れ錮閉なり。故に習気は除かざるべからず。工夫の機筈は、一念発動の上に在り。就即ち自性を反観し、未発の時の景象を覓めて以て之を挽回すれば、則ち情の感ずる所、純ら性を以て動き、節に中らざる無し。然れども工夫甚だ難し。習気の為に圧倒せられざる者少なし。故に常常之を未だ感ぜざるの時に戒慎し、猶ほ失ふ所有れば、則ち又必ず之を纔かに感ずるの際に挽回す。工夫此の外無きのみ。
現代語訳
性(本性)が動いたものが情(感情)である。情は結局、断ち切って消し去ることはできない。ただ、発して節度にかなえば、それは性の働きとなる。しかし自分の本性を閉じ込めてしまうものがあり、それを習気(習慣によって染みついた癖)という。情が発するときには、いつもこの習気が混じり込み、何かにこびりつくところがある。これが本性を閉じ込めるということである。だから習気は除かなければならない。工夫の要所(弓の引き金と矢はず)は、一つの思いが動き出すその瞬間にある。その場ですぐに自分の本性を振り返り、まだ情が発していないときの心のありさまを求めて引き戻せば、情が感じるところは純粋に性によって動き、節度にかなわないことはない。しかしこの工夫はたいへん難しい。習気に押し倒されない者は少ない。だから常日頃、まだ物に感じていないときに戒め慎み、それでもなお失うところがあれば、必ず感じ始めたばかりのときに引き戻すのである。工夫はこれ以外にはない。
解説
この章句が説くこと
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