言志四録 / 言志録 第二百二十六条 悪も亦性と謂はざるべからず
情之本體。卽性也。則惡之本體。卽善也。惡亦不可不謂之性。
新字:情之本体。即性也。則悪之本体。即善也。悪亦不可不謂之性。
書き下し
情の本体は即ち性なり。則ち悪の本体は即ち善なり。悪も亦之を性と謂はざるべからず。
現代語訳
情(感情)の本体は性(天から受けた本性)である。とすれば、悪の本体は善である。悪もまた性と呼ばないわけにはいかない。
解説
性と情、善と悪の関係を論じた短く難解な一条です。宋学では、天から受けた本性である「性」が、外物に触れて動いたものが「情」だとされます。情の本体が性であるなら、情が行き過ぎて生じる悪も、元をたどれば性、すなわち善に行き着く。結びの「悪も亦之を性と謂はざるべからず」は、程明道の「善は固より性なり、然れども悪も亦之を性と謂はざるべからず」をそのまま踏まえています。前に一斎が、過不及のあるところが悪だと述べた条とも一続きの考えです。悪を善と別の実体とせず、善の本体が偏った姿と見る視点は、人の欠点や組織の不具合を、その根にある本来の力の表れとして捉え直す手がかりになります。
この章句が説くこと
性と情善悪人性論過不及
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