言志四録 / 言志後録 第六十条 先天と後天
先天而天不違。廓然太公。未發之中也。誠也。後天而奉天時。物來順應。已發之和也。敬也。凡無事時當存先天本體。有事時當著後天工夫。先天後天。要其理則非一矣。學者所宜致思。
新字:先天而天不違。廓然太公。未発之中也。誠也。後天而奉天時。物来順応。已発之和也。敬也。凡無事時当存先天本体。有事時当著後天工夫。先天後天。要其理則非一矣。学者所宜致思。
書き下し
天に先だちて天違はず、廓然として太公なるは、未発の中なり、誠なり。天に後れて天の時を奉じ、物来りて順応するは、已発の和なり、敬なり。凡そ事無き時は当に先天の本体を存すべく、事有る時は当に後天の工夫を著くべし。先天後天、其の理を要すれば則ち一に非ず。学者の宜しく思ひを致すべき所なり。
現代語訳
天に先んじて事を行っても天の理に背かず、からりとして大いに公平であるのは、心がまだ動き出す前の「中」であり、「誠」である。天に後れて天の時を奉じ、物事がやって来ればそのまま順当に応じるのは、心が動き出したあとの「和」であり、「敬」である。およそ事のないときは先天の本体を保ち、事のあるときは後天の工夫を施すべきである。先天と後天とは、その理を要約すれば、ただ一つのものとして済ませられるものではない。学ぶ者がよく思いを致すべきところである。
解説
易の乾卦文言伝の「天に先だちて天違はず、天に後れて天の時を奉ず」を軸に、宋学の重要な概念を組み合わせた一条です。先天の側には、程明道の「廓然として大公、物来りて順応す」の前半、中庸の「未発の中」、そして「誠」を配し、後天の側には「物来りて順応す」、「已発の和」、「敬」を配しています。事のない平時には心の本体をそのまま保ち、事に当たるときには敬の工夫で天の時に従って応じよ、というのが要点です。両者は別々の理ではないとも言えそうですが、一斎はあえて一つに片づけず、学ぶ者に考えさせています。平時の心構えと有事の対応をどう使い分け、どうつなげるかを考える手がかりになります。
この章句が説くこと
先天後天中和誠敬易
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