言志四録 / 言志後録 第三十条 気魄の人と懦弱の人
氣魄人認以爲中者固過。而其認以爲小過者。則宛是狂人態也。懦弱人認以爲中者固不及。而其認以爲不及者。則殆是醉倒狀也。
新字:気魄人認以為中者固過。而其認以為小過者。則宛是狂人態也。懦弱人認以為中者固不及。而其認以為不及者。則殆是酔倒状也。
書き下し
気魄の人の認めて以て中と為す者は、固より過ぎたり。而して其の認めて以て小しく過ぐと為す者は、則ち宛も是れ狂人の態なり。懦弱の人の認めて以て中と為す者は、固より及ばず。而して其の認めて以て及ばずと為す者は、則ち殆ど是れ酔倒の状なり。
現代語訳
気迫の強い人が自分でちょうどよい(中)と思っているところは、もともと行き過ぎている。そしてその人が少し行き過ぎたと思うところは、まるで狂人のありさまである。気の弱い人が自分でちょうどよいと思っているところは、もともと足りていない。そしてその人が足りないと思うところは、ほとんど酔いつぶれて倒れた姿である。
解説
人は自分の気質を物差しにして「ちょうどよい」を測ってしまう、という鋭い観察です。気迫の強い人の「中」はすでに行き過ぎで、本人が「少しやりすぎた」と思うころには周囲から見れば常軌を逸している。気の弱い人の「中」はすでに不足で、本人が「足りない」と感じるころには、酔いつぶれたように何もできていない。論語の「過ぎたるは猶ほ及ばざるがごとし」を、自己認識の歪みという角度から言い直したものと読めます。自分の目盛りそのものがずれている以上、自分の感覚だけで加減を決めるのは危うい。押しの強さも慎重さも、自分の基準を人に照らして補正してみる必要があることを示す一条です。
この章句が説くこと
中庸気質過不及自己認識
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