言志四録 / 言志録 第二百四十六条 天地の数は掌中に具はる
數始於一而成於十。十復歸於一。大而百千萬億。小而分釐毫絲。皆一十之分合。以至無窮也。易自太極而起。至四象而數略具。以其一二三四之積始成十也。就十中除老陽位一。則餘九。故九爲老陽之數。就十中除少陰位二。則餘八。故八爲少陰之數。就十中除少陽位三。則餘七。故七爲少陽之數。就十中除老陰位四。則餘六。故六爲老陰之數。又自一至十之積。則成五十五。謂之天地之數。今試屈伸五指數之。先自大指屈爲一。食指爲二。中指爲三。無名指爲四。小指爲五。再自小指伸爲六。六與五。卽十一。無名指爲七。七與四。卽十一。中指爲八。八與三。卽十一。食指爲九。九與二。卽十一。大指爲十。十與一。卽十一。每一指皆十一。合五指而成五十五。則天地之數。葢既具於掌中矣。又就天地之數。以其五十充蓍數。餘五。虛之以擬卦位。卦位六虛。五則一不足。蓍用四十九。五十則一有餘。並未定也。方筮時。蓍虛其一。葢去其有餘。歸之於不足。是感應之幾也。乃蓍數退成四十九。而卦位進具六虛。以待於六十四。數於是定矣。蓍之德。圓而神。故七其七。卦之德。方以智。故八其八。用七求八。得九與六。以推吉凶悔吝之所趨。凡是數理之秘也。不獨易爲然。而萬物之數。亦皆不越於此。
新字:数始於一而成於十。十復帰於一。大而百千万億。小而分釐毫糸。皆一十之分合。以至無窮也。易自太極而起。至四象而数略具。以其一二三四之積始成十也。就十中除老陽位一。則余九。故九為老陽之数。就十中除少陰位二。則余八。故八為少陰之数。就十中除少陽位三。則余七。故七為少陽之数。就十中除老陰位四。則余六。故六為老陰之数。又自一至十之積。則成五十五。謂之天地之数。今試屈伸五指数之。先自大指屈為一。食指為二。中指為三。無名指為四。小指為五。再自小指伸為六。六与五。即十一。無名指為七。七与四。即十一。中指為八。八与三。即十一。食指為九。九与二。即十一。大指為十。十与一。即十一。毎一指皆十一。合五指而成五十五。則天地之数。葢既具於掌中矣。又就天地之数。以其五十充蓍数。余五。虚之以擬卦位。卦位六虚。五則一不足。蓍用四十九。五十則一有余。並未定也。方筮時。蓍虚其一。葢去其有余。帰之於不足。是感応之幾也。乃蓍数退成四十九。而卦位進具六虚。以待於六十四。数於是定矣。蓍之徳。円而神。故七其七。卦之徳。方以智。故八其八。用七求八。得九与六。以推吉凶悔吝之所趨。凡是数理之秘也。不独易為然。而万物之数。亦皆不越於此。
書き下し
数は一に始まりて十に成る。十は復た一に帰す。大にしては百千万億、小にしては分釐毫糸、皆一十の分合にして、以て無窮に至るなり。易は太極より起こり、四象に至りて数略ぼ具はる。其の一二三四の積を以て始めて十を成すなり。十の中に就きて老陽の位の一を除けば、則ち九を余す。故に九を老陽の数と為す。十の中に就きて少陰の位の二を除けば、則ち八を余す。故に八を少陰の数と為す。十の中に就きて少陽の位の三を除けば、則ち七を余す。故に七を少陽の数と為す。十の中に就きて老陰の位の四を除けば、則ち六を余す。故に六を老陰の数と為す。又一より十に至るの積は、則ち五十五を成す。之を天地の数と謂ふ。今試みに五指を屈伸して之を数へん。先づ大指より屈して一と為し、食指を二と為し、中指を三と為し、無名指を四と為し、小指を五と為す。再び小指より伸ばして六と為す。六と五と、即ち十一。無名指を七と為す。七と四と、即ち十一。中指を八と為す。八と三と、即ち十一。食指を九と為す。九と二と、即ち十一。大指を十と為す。十と一と、即ち十一。一指毎に皆十一、五指を合せて五十五を成す。則ち天地の数は、蓋し既に掌中に具はれり。又天地の数に就きて、其の五十を以て蓍の数に充て、五を余す。之を虚にして以て卦位に擬す。卦位は六虚なり、五なれば則ち一足らず。蓍は四十九を用ふ、五十なれば則ち一余り有り。並びに未だ定まらざるなり。筮する時に方りて、蓍は其の一を虚にす。蓋し其の余り有るを去りて、之を足らざるに帰す。是れ感応の幾なり。乃ち蓍の数は退きて四十九を成し、而して卦位は進みて六虚を具へ、以て六十四を待つ。数是に於て定まる。蓍の徳は、円にして神なり。故に其の七を七にす。卦の徳は、方にして以て智なり。故に其の八を八にす。七を用ひて八を求め、九と六とを得て、以て吉凶悔吝の趨く所を推す。凡そ是れ数理の秘なり。独り易のみ然りと為すに非ずして、万物の数も、亦皆此に越えず。
現代語訳
数は一に始まって十で完成する。十はまた一に帰る。大きくは百・千・万・億、小さくは分・釐・毫・糸に至るまで、すべて一と十とが分かれたり合わさったりしたもので、それによって限りなく続いていくのである。易は太極から起こり、四象(老陽・少陰・少陽・老陰)に至って数がほぼ備わる。その一・二・三・四を積み重ねることで、はじめて十ができるのである。十の中から老陽の位である一を除けば九が残る。だから九を老陽の数とする。十の中から少陰の位である二を除けば八が残る。だから八を少陰の数とする。十の中から少陽の位である三を除けば七が残る。だから七を少陽の数とする。十の中から老陰の位である四を除けば六が残る。だから六を老陰の数とする。また一から十までを積み重ねると五十五になる。これを天地の数という。いま試しに五本の指を折ったり伸ばしたりして数えてみよう。まず親指から折って一とし、人差し指を二、中指を三、薬指を四、小指を五とする。次に小指から伸ばして六とする。六と五で十一になる。薬指を七とする。七と四で十一になる。中指を八とする。八と三で十一になる。人差し指を九とする。九と二で十一になる。親指を十とする。十と一で十一になる。どの指もみな十一で、五本の指を合わせると五十五になる。つまり天地の数は、思うにすでに手のひらの中に備わっているのである。また天地の数について言えば、そのうち五十を蓍(占いに使う筮竹)の数に当て、五が余る。これを空けておいて卦の位になぞらえる。卦の位は六つの虚ろな位(六爻)であるから、五では一つ足りない。蓍は四十九本を用いるから、五十では一つ余る。どちらもまだ定まっていないのである。いざ占う時になると、蓍は一本を取り除いて使わない。思うに、余っているものを取り去って、足りないものの方へ帰すのである。これが感応(天と人との響き合い)の兆しである。こうして蓍の数は一つ退いて四十九となり、卦の位は一つ進んで六つの虚ろな位が備わり、六十四卦を待つ。数はここにおいて定まるのである。蓍の徳は円くて神妙である。だから七を七倍する(四十九)。卦の徳は方正で知恵がある。だから八を八倍する(六十四)。七を用いて八を求め、九と六を得て、それによって吉・凶・悔・吝の向かうところを推し量る。これらはみな数の道理の奥義である。易だけがそうなのではなく、万物の数もまた、みなこの範囲を越えることはない。
解説
この章句が説くこと
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易経・繋辞上天は一、地は二、天は三、地は四、天は五、地は六、天は七、地は八、天は九、地は十。天数は五、地数は五、五位相得て各々合すること有り。天数は二十有五、地数は三十、凡そ天地の数は、五十有五。此れ変化を成して、鬼神を行う所以なり。大衍(たいえん)の数は五十、其の用は四十有九。分かちて二と為し、以て両に象る。一を掛(か)けて、以て三に象る。之を揲(かぞ)うるに四を以てし、以て四時に象る。奇を扐(ろく)に帰して、以て閏に象る。五歳にして再び閏す、故に再び扐して而る後に掛く。
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易経・繋辞上乾の策は、二百一十有六。坤の策は、百四十有四。凡そ三百有六十、期(き)の日に当たる。二篇の策は、万有一千五百二十、万物の数に当たる。是の故に、四たび営みて易を成し、十有八変して卦を成す。八卦にして小成し、引きて之を伸べ、類に触れて之を長ずれば、天下の能事畢(おわ)る。道を顕わし徳行を神にす。是の故に与に酬酢(しゅうさく)すべく、与に神を祐(たす)くべし。子曰く、「変化の道を知る者は、其れ神の為す所を知るか」と。
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『管子』五行一なる者は本なり、二なる者は器なり、三なる者は充なり、治むる者は四なり、敎うる者は五なり、守る者は六なり、立つる者は七なり、前なる者は八なり、終わる者は九なり、十なる者は然る後に五官を六府に具え、五聲を六律に具うるなり。六月にして日至る、是の故に人に六多有り、六多は天地を街く所以なり。天道は九を以て制し、地理は八を以て制し、人道は六を以て制す。天を以て父と為し、地を以て母と為し、以て萬物に開き、以て一統に總ぶ。九制・六府・三充に通じて明天子と為る。槩水を脩め、上は以て天堇を待つ。五藏に反りて以て親しまざるを視る。祀を治めて之をし、下は以て地位を觀る。神廬に貨曋し、精氣に合す。已に合して常有り、常有りて經有り。審らかに其の聲を合わせ、十二鐘を脩めて以て人情を律す。人情已に得て、萬物に極有り、然る後に德有り。故に陽氣に通ずるは、天に事うる所以なり、日月を經緯して、之を民に用う。隂氣に通ずるは、地に事うる所以なり、星厯を經緯して以て其の離を視る。道の若きに通じて然る後に行有り。然らば則ち神筮も靈ならず、神も卜せず、黄帝の澤叅、治の至りなり。
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易経・繋辞上是の故に、貴賤を列(つら)ぬる者は位に存す。小大を斉(ひと)しくする者は、卦に存す。吉凶を弁ずる者は、辞に存す。悔吝を憂うる者は、介(かい)に存す。震(うご)きて咎无き者は、悔に存す。是の故に、卦に小大有り、辞に険易(けんい)有り。辞なる者は、各々其の之(ゆ)く所を指すなり。易は天地と準(なぞら)う、故に能く天地の道を弥綸(びりん)す。仰いで以て天文を観、俯して以て地理を察す、是の故に幽明の故を知る。始めに原(もと)づきて終わりに反る、故に死生の説を知る。精気は物と為り、遊魂は変と為る、是の故に鬼神の情状を知る。天地と相似たり、故に違わず。知は万物に周(あまね)くして、道は天下を済(すく)う、故に過たず。旁行して流れず、天を楽しみ命を知る、故に憂えず。土に安んじ仁に敦(あつ)し、故に能く愛す。天地の化を範囲して過たず、万物を曲成して遺さず、昼夜の道に通じて知る、故に神に方(ほう)无くして易に体无し。
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『近思録』巻3 致知「易に聖人の道四つ有り。以て言ふ者は其の辞を尚び、以て動く者は其の変を尚び、以て器を制する者は其の象を尚び、以て卜筮する者は其の占を尚ぶ」。吉凶消長の理、進退存亡の道は、辞に備はる。辞を推し卦を考ふれば、以て変を知るべし。象と占とは其の中に在り。「君子居れば則ち其の象を観て其の辞を玩び、動けば則ち其の変を観て其の占を玩ぶ」。辞に得て其の意に達せざる者は之有り、未だ辞に得ずして能く其の意に通ずる者有らざるなり。至微なる者は理なり、至著なる者は象なり。体用一源、顕微無間なり。「会通を観て以て其の典礼を行ふ」ときは、則ち辞備はらざる所無し。故に善く学ぶ者は言を求むること必ず近きよりす。近きを易る者は、言を知る者に非ざるなり。予の伝ふる所の者は辞なり。辞に由りて以て意を得るは、則ち人に在り。伊川先生張閎中に答ふる書に曰く、易伝未だ伝へざるは、自ら精力の未だ衰へざるを量り、尚ほ少しく進む有らんことを覬(こひねが)ふのみ。来書に云ふ、「易の義は本数より起こる」と。義数より起こると謂ふは則ち非なり。理有りて後に象有り、象有りて後に数有り。易は象に因りて以て理を明らかにし、象に由りて以て数を知る。其の義を得れば則ち象数其の中に在り。必ず象の隠微を窮め、数の毫忽を尽くさんと欲するは、乃ち流れを尋ねて末を逐ふなり。術家の尚ぶ所にして、儒者の務むる所に非ざるなり。時を知り勢を識るは、易を学ぶの大方なり。大畜の初二は、乾体剛健なるも、以て進むに足らず。四五は陰柔にして能く止む。時の盛衰、勢の強弱は、易を学ぶ者の宜しく深く識るべき所なり。諸卦の二五は、位に当たらずと雖も、多く中を以て美と為す。三四は位に当たると雖も、或いは中ならざるを以て過ちと為す。中は常に正より重し。蓋し中なれば則ち正に違はず、正は必ずしも中ならず。天下の理は中より善きは莫し、九二六五に於て見るべし。問ふ、胡先生九四を解して太子と作す、恐らくは是れ卦の義にあらざらん。
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易経・繋辞上是の故に、易に太極有り。是れ両儀を生じ、両儀は四象を生じ、四象は八卦を生ず。八卦は吉凶を定め、吉凶は大業を生ず。是の故に、法象は天地より大なるは莫(な)く、変通は四時より大なるは莫く、象を縣(か)けて明らかを著(あら)わすは日月より大なるは莫く、崇高は富貴より大なるは莫し。物を備え用を致し、器を立て成して以て天下の利と為すは、聖人より大なるは莫し。賾(さく)を探り隠を索(もと)め、深きを鉤(と)り遠きを致し、以て天下の吉凶を定め、天下の亹亹(びび)たる者を成すは、蓍亀(しき)より大なるは莫し。
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