言志四録 / 南洲手抄
讀經、宜以我之心讀經之心、以經之心釋我之心。不然徒爾講明訓詁而已、便是終身不曾讀。
新字:読経、宜以我之心読経之心、以経之心釈我之心。不然徒爾講明訓詁而已、便是終身不曽読。
書き下し
経を読むは、宜しく我れの心を以て経の心を読み、経の心を以て我の心を釈すべし。然らずして徒爾に訓詁を講明するのみならば、便ち是れ終身曾て読まざるなり。
現代語訳
経書を読むには、自分の心で経書の心を読み取り、経書の心で自分の心を照らし返すべきである。そうせずに、ただ字句の解釈(訓詁)を明らかにするだけなら、それは一生かかっても一度も読んだことにならない。
解説
古典を「自分と往復させて読む」ことを説いた、読書論の核心の一条です。経書を読むとは、自分の心で著者の心を汲み取り、汲み取ったその心で今度は自分の心を照らし返す——この双方向のやりとりだ、と一斎は言います。字句の詮索(訓詁)に終始するだけの読書は、どれだけ読んでも「一度も読んでいない」に等しい。知識として頭に入れるのではなく、古典を鏡にして自分を映し、自分を変えていく。三十九番の「自得」とも一続きの、深い読書観です。読んで終わりになりがちな私たちに、読書は自分との対話だと教える一条です。
この章句が説くこと
読書経書自己を照らす訓詁
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