言志四録 / 言志録 第二百三十条 人の分量を知りて備はるを責む
堯舜之上善無盡。責備之言。畢竟難也。必先知其人分量所至。然後責備。不然。寧有窮極。
新字:堯舜之上善無尽。責備之言。畢竟難也。必先知其人分量所至。然後責備。不然。寧有窮極。
書き下し
堯舜の上、善尽くること無し。備はるを責むるの言は、畢竟難きなり。必ず先づ其の人の分量の至る所を知りて、然る後に備はるを責めよ。然らずんば、寧ぞ窮極有らんや。
現代語訳
堯や舜の上にも、善には尽きるところがない。だから人に完全を求める言葉は、結局のところ無理なものである。必ずまずその人の力量がどこまで及ぶかを知り、そのうえで完全を求めよ。そうでなければ、求めることにどうして際限があろうか。
解説
「堯舜の上、善尽くること無し」とは、聖人とされる堯舜でさえ善の到達点ではない、善には限りがないという意味です。そうであれば、人に向かって「完全であれ」と求めるのは、終わりのない要求になってしまいます。一斎は、求めること自体を否定してはいません。まずその人の器量がどこまで届くかを見きわめ、その範囲の中で十分を求めよ、と言っています。前の条で賢者を親しむことを説いたのに続き、人を用いる側の心得を示したものと読めます。部下や後進に何をどこまで期待しているのか。その基準が相手の力量に即しているかを見直すきっかけになる一条です。
この章句が説くこと
求全責備人を見る目力量人材育成寛容
関連する章句
-
孟子・離婁章句下逄蒙、射を羿に學ぶ。羿の道を盡くし、思えらく、天下惟だ羿のみ己に愈れりと為すと。是に於て羿を殺せり。孟子曰く、「是れ亦た羿も罪有り。」公明儀曰く、「宜ど罪無きが若し。」曰く、「薄しと云うのみ。惡んぞ罪無きを得ん。鄭人、子濯孺子をして衛を侵さしむ。衛、庾公之斯をして之を追わしむ。子濯孺子曰く、『今日、我が疾作り、以て弓を執る可からず。吾死なんかな。』其の僕に問いて曰く、『我を追う者は誰ぞや。』其の僕曰く、『庾公之斯なり。』曰く、『吾れ生きん。』其の僕曰く、『庾公之斯は、衛の射を善くする者なり。夫子曰く、吾れ生きんと。何の謂ぞや。』曰く、『庾公之斯は射を尹公之他に學ぶ。尹公之他は射を我に學ぶ。夫れ尹公之他は、端人なり。其の友を取ること必ず端ならん。』庾公之斯至りて曰く、『夫子何為れぞ弓を執らざる。』曰く、『今日、我疾作り、以て弓を執る可からず。』曰く、『小人は射を尹公之他に學び、尹公之他は射を夫子に學ぶ。我、夫子の道を以て、反って夫子を害するに忍びず。然りと雖も、今日の事は、君の事なり。我敢て廢せず。』矢を抽き輪に叩き,其の金を去り、乘矢を發して而る後に反れり。」
-
孟子・告子章句下魯、慎子をして將軍為らしめんと欲す。孟子曰く、「民を教えずして之を用うるは、之を民を殃すと謂う。民を殃する者は、堯舜の世に容れられず。一たび戰いて齊に勝ち、遂に南陽を有つとも、然も且つ不可なり。」慎子勃然として悅ばずして曰く、「此は則ち滑釐の識らざる所なり。」曰く、「吾、に明らかに子に告げん。天子の地は方千里。千里ならざれば、以て諸侯を待つに足らず。諸侯の地は方百里。百里ならざれば、以て宗廟の典籍を守るに足らず。周公の魯に封ぜらるるや、方百里為り。地足らざるに非ず。而も百里に儉せり。太公の齊に封ぜらるるや、亦た方百里為り。地足らざるに非ず。而も百里に儉せり。今魯は方百里なる者五あり。子以為らく、王者作ること有らば、則ち魯は損する所在るか、益する所在るかと。徒に諸を彼に取りて以て此に與うるすら、然も且つ仁者は為さず。況んや人を殺して以て之を求むるに於てをや。君子の君に事うるや、務めて其の君を引きて、以て道に當り仁に志さしむるのみ。」
-
論語・顔淵篇子曰く、『君子は人の美を成し、人の悪を成さず。小人は是に反す。』
-
論語・陽貨篇子曰わく、性相近くして、習い相遠し。
-
『韓非子』外儲說左下第三十三夫れ橘柚を樹うる者は、之を食えば則ち甘く、之を嗅げば則ち香し。枳棘を樹うる者は、成れば而ち人を刺す。故に君子は樹つる所を慎む。
-
葉隠・聞書第一御家中(ごかちゅう)、よき御被官(ごひかん)出来候様(できそうろうよう)に、人を仕立(した)て候事(そうろうこと)忠節なり。我が持分(もちぶん)を人を以て御用に立つるは本望(ほんもう)の事なり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る