言志四録 / 言志録 第二百十七条 忍の字は病根を抜かず
忍字未拔去病根。所謂克伐怨欲不行者也。張公藝書百忍字。恐俗見。
新字:忍字未抜去病根。所謂克伐怨欲不行者也。張公芸書百忍字。恐俗見。
書き下し
忍の字は未だ病根を抜き去らず。所謂克伐怨欲行はれざる者なり。張公芸の百忍の字を書せしは、恐らくは俗見ならん。
現代語訳
「忍」の字(じっとこらえること)は、まだ病の根を抜き去ってはいない。『論語』憲問にいう「克(勝ちたがり)・伐(誇り)・怨(うらみ)・欲(むさぼり)を行わない」というだけの段階のものである。張公芸(唐の人、九代同居の家長)が「忍」の字を百余り書いて示したというのは、おそらく俗な見方であろう。
解説
耐え忍ぶことは美徳とされがちですが、一斎はそれを修養の最終段階とは見ません。こらえているということは、怒りや欲の根がまだ心に残っているということだからです。『論語』憲問で、克・伐・怨・欲を行わないのは仁かと問われた孔子は、難しいことではあるが仁かどうかはわからないと答えました。一斎はこれを引き、忍はその段階にとどまると言います。唐の張公芸が九代同居の秘訣を問われて「忍」の字を百余り書いたという美談も、俗な見方だと退けます。次の条でも忍の字が論じられ、一斎の問題意識が続いています。我慢で乗り切ることと、そもそも怒りや不満が生じにくい心を養うことの違いを考えさせる言葉です。
この章句が説くこと
忍耐克己病根修養
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