都鄙問答 / 卷之四・或人主人行狀ノ是非ヲ問ノ段
平常儉約ヲ思ヨリ外ニ、心ハ有マジ、儉約ト云ヲ、世ニ誤テ、吝コトヽ思フハ非ナリ、聖人ノ約トノ玉フハ、修リヲ退ケ、法ニ從フコトナリ、客ノ云ヘル今ノ親方ノ行ヒハ、皆々法ニ合ヘリ、聖人ノ行ヒニ合ハヾ、中庸トモ云ベシ、然ルヲ汝ハ、善惡ヲ不擇、二人ノ眞中ヲ執ント云、善惡ヲ不擇シテ中ヲ執ルハ、一ヲ擧テ百ヲ廢、コレ時ノ中ヲ害ス、孟子道ヲ賊ト誹玉フ、子莫ガ中ト云ハコレナリ、客ノイヘル今ノ親方ノ行ヒヲ、細ニ心ヲ付テ見ルベシ、一トシテ私ノ勝手ヅクヲナサズ、親類ヨリ手代マデヲ、親ノ子ヲ思フ如クス、聖人、民ヲ子ノゴトクニ思召政ト、大小ノ替リハアレドモ、志シハ同ジ、ソレヲ知ラズシテ、世ニ異ル人ト思ヘルハ、大ナル辟コトナリ、世ノ中ノ有福ナル者、我親類ヲ銘々ニ引請テ、世話ニ思ハヾ、飢ニ及ホドノ者ハアルマジキニ、反テ道アル人ヲ誹アザケルハ、哀キニアラズヤ、
新字:平常倹約ヲ思ヨリ外ニ、心ハ有マジ、倹約ト云ヲ、世ニ誤テ、吝コトヽ思フハ非ナリ、聖人ノ約トノ玉フハ、修リヲ退ケ、法ニ従フコトナリ、客ノ云ヘル今ノ親方ノ行ヒハ、皆々法ニ合ヘリ、聖人ノ行ヒニ合ハヾ、中庸トモ云ベシ、然ルヲ汝ハ、善悪ヲ不択、二人ノ真中ヲ執ント云、善悪ヲ不択シテ中ヲ執ルハ、一ヲ挙テ百ヲ廃、コレ時ノ中ヲ害ス、孟子道ヲ賊ト誹玉フ、子莫ガ中ト云ハコレナリ、客ノイヘル今ノ親方ノ行ヒヲ、細ニ心ヲ付テ見ルベシ、一トシテ私ノ勝手ヅクヲナサズ、親類ヨリ手代マデヲ、親ノ子ヲ思フ如クス、聖人、民ヲ子ノゴトクニ思召政ト、大小ノ替リハアレドモ、志シハ同ジ、ソレヲ知ラズシテ、世ニ異ル人ト思ヘルハ、大ナル辟コトナリ、世ノ中ノ有福ナル者、我親類ヲ銘々ニ引請テ、世話ニ思ハヾ、飢ニ及ホドノ者ハアルマジキニ、反テ道アル人ヲ誹アザケルハ、哀キニアラズヤ、
書き下し
平常倹約を思ふより外に、心は有るまじ。倹約と云ふを、世に誤りて、吝きことゝ思ふは非なり。聖人の約と宣ふは、修りを退け、法に従ふことなり。客の云へる今の親方の行ひは、皆々法に合へり。聖人の行ひに合はゞ、中庸とも云ふべし。然るを汝は、善悪を択ばず、二人の真中を執らんと云ふ。善悪を択ばずして中を執るは、一を挙げて百を廃す、これ時の中を害す。孟子道を賊ふと誹り玉ふ、子莫が中と云ふはこれなり。客のいへる今の親方の行ひを、細かに心を付けて見るべし。一つとして私の勝手づくをなさず、親類より手代までを、親の子を思ふ如くす。聖人、民を子のごとくに思し召す政と、大小の替りはあれども、志しは同じ。それを知らずして、世に異なる人と思へるは、大なる辟ことなり。世の中の有福なる者、我が親類を銘々に引き請けて、世話に思はゞ、飢ゑに及ぶほどの者はあるまじきに、反つて道ある人を誹りあざけるは、哀しきにあらずや。
現代語訳
ふだんから倹約を心がけるほかに、思うことはないはずです。倹約というものを世間は誤って、けちなことだと思っていますが、それは違います。聖人が倹約と言われるのは、ぜいたくを退け、決まりに従うことです。客の言う今の主人の行いは、すべて決まりにかなっています。聖人の行いにかなっているなら、それこそ中庸と言うべきです。それなのにあなたは、善悪を選ばずに二人の真ん中を取ろうと言います。善悪を選ばずに真ん中を取るのは、一つを取り上げて百を捨てることで、時に応じた中を損ないます。孟子が『道をそこなう』と非難された『子莫の中』とは、このことです。客の言う今の主人の行いを、よく気をつけて見てごらんなさい。一つとして私的な身勝手をせず、親類から手代までを、親が子を思うように扱っています。聖人が民を子のように思われる政治と、大小の違いはあっても、志は同じです。それを知らずに、世間と変わった人だと思うのは大きな誤りです。世の中の裕福な者が、それぞれ自分の親類を引き受けて世話をしようと思えば、飢えるほどの者はいなくなるはずなのに、かえって道のある人をそしり、あざけるのは、哀れなことではありませんか。」
解説

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