言志四録 / 言志録 第百五十九条 敬を一物と錯認する勿れ
勿錯認敬做一物。放在胸中。不但不生聰明。却窒聰明。即是累。譬猶肚中有塊。氣血爲之澁滯不流。即是病。
新字:勿錯認敬做一物。放在胸中。不但不生聰明。却窒聰明。即是累。譬猶肚中有塊。気血為之渋滞不流。即是病。
書き下し
敬を錯認して一物と做し、胸中に放在すること勿れ。但に聡明を生ぜざるのみならず、却つて聡明を窒ぐ。即ち是れ累なり。譬へば猶ほ肚中に塊有れば、気血之が為に渋滞して流れざるがごとし。即ち是れ病なり。
現代語訳
敬を何か一つの物のように思い違いして、胸の中に置いておいてはならない。そうすると聡明さを生まないばかりか、かえって聡明さをふさいでしまう。それはつまり心の負担である。たとえば腹の中にしこりがあると、気や血がそのために滞って流れなくなるようなものである。それはつまり病である。
解説
敬の効用を説いた条に続けて、敬の取り違えを戒めています。敬を「敬まなければならない」という一つの観念として胸に抱え込むと、それが固いしこりとなり、心の流れを止めてしまう。本来は聡明さを生むはずの敬が、かえって聡明さを塞ぐ重荷になるというのです。腹の中の塊が気血の巡りを妨げるという比喩は、医学にも通じた一斎らしいものです。敬は心が澄んで行き届いている状態そのものであって、心の中に据え置く物ではありません。規律やルールを意識しすぎて、かえって動きが硬くなり判断が鈍る。そんな状態に陥っていないかを考える材料になります。
この章句が説くこと
敬聡明執着心術柔軟さ
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