言志四録 / 言志録 第百五十八条 己を脩むるに敬を以てす
脩己以敬。以安人。以安百姓。壹是天心流注。
新字:脩己以敬。以安人。以安百姓。壱是天心流注。
書き下し
己を脩むるに敬を以てし、以て人を安んじ、以て百姓を安んず。壱に是れ天心の流注なり。
現代語訳
敬をもって自分を修め、それによって周りの人を安らかにし、さらに天下の人々を安らかにする。これはすべて、天の心が流れ注いでいることにほかならない。
解説
論語憲問篇で、子路が君子とは何かと問うたのに対し、孔子が「己を脩むるに敬を以てす」「己を脩めて以て人を安んず」「己を脩めて以て百姓を安んず」と三段に答えた言葉を踏まえています。一斎はこの三段を一続きのものと見て、敬による自己修養が身近な人の安らぎへ、さらに万民の安らぎへと広がってゆくのは、すべて天の心がそのまま流れ注いだものだと言います。自分を修めることと人を治めることは別々の事業ではなく、同じ一つの流れだという考えです。組織を率いる立場にある人にとって、人を動かす工夫より先に、自分の在り方を整えることが周りに及ぼす影響を考えさせる一条です。
この章句が説くこと
敬修己治人為政天心リーダーシップ
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