言志四録 / 言志録 第百十九条 己に在る者を恃む
士當恃在己者。動天驚地極大事業。亦都自一己締造。
新字:士当恃在己者。動天驚地極大事業。亦都自一己締造。
書き下し
士は当に己に在る者を恃むべし。動天驚地、極大の事業も、亦都て一己より締造す。
現代語訳
士たる者は、自分自身の内にあるものを頼みとすべきである。天を動かし地を驚かすような極めて大きな事業も、すべて自分一人から築き上げられるのである。
解説
前条の「古今第一等の人物を期す」に続き、その志を支える自恃を説いた一条です。「己に在る者」とは、地位や財産、人脈といった外にあるものではなく、自らの志や徳、学識といった内にあるものです。天地を揺るがすほどの大事業も、始まりはいつも一人の人間の内側からだ、と一斎は言います。『孟子』の「求むれば則ち之を得」「我に在る者を求む」という考えにも通じます。少し後の条では「士は独立自信を貴ぶ」とも説かれ、権勢に寄りかかる心を戒めています。環境や人のせいにしたくなるとき、自分の手の内にあるもので何ができるかを考え直す起点になる言葉です。
この章句が説くこと
自恃独立立志事業主体性
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