言志四録 / 言志録 第六十七条 利は天下公共の物
利者。天下公共之物。何曾有惡。但自專之。則爲取怨之道耳。
新字:利者。天下公共之物。何曽有悪。但自専之。則為取怨之道耳。
書き下し
利は、天下公共の物なり。何ぞ曾て悪有らん。但だ自ら之を専らにすれば、則ち怨みを取るの道と為るのみ。
現代語訳
利益は、天下の人々が共有するものである。どうしてもともと悪いことがあろうか。ただ自分一人でそれを独占すれば、怨みを買う道となるだけである。
解説
儒学ではしばしば義と利が対立するものとして語られ、利を求めることは卑しいとされがちでした。一斎はここで、利そのものは天下の共有物であり、何も悪いことはないと言い切ります。問題は利ではなく、それを自分一人で「専らにする」、独り占めすることにあるというのです。論語の「利に放りて行へば怨み多し」を、利を否定する言葉ではなく独占を戒める言葉として読み解いたものとも言えます。前条の「小利の為に動かざるは難し」と並べると、利を避けるのでも追うのでもなく、利とどう付き合うかという一斎の考えが見えてきます。利益を上げることと、それを関係者とどう分かち合うかを考える経営者や働く人にとって、示唆の多い一条です。
この章句が説くこと
義と利公共独占分配経営
関連する章句
-
言志四録・言志耋録 第二百六十三条 功利の二字功利の二字は、固より好からざる字面に非ず。民の利とする所に因りて之を利すれば、則ち虞廷も亦功を以て禹を称す。但だ謀と計とを以て病と為すのみ。学者之を審かにせよ。
-
言志四録・言志耋録 第二百五条 名利は厭ふべきに非ず名の干めずして来る者は、実なり。利の貪らずして至る者は、義なり。名利は厭ふべきに非ず。但干むると貪るとの病為るのみ。
-
『慎思録』巻之六近世の俗儒、名を好み異を立つるを以て心と為す者は、義利公私の弁を知らず、徒に利を言はざるを以て高しと為す。故に大学の所謂国は利を以て利と為さず、義を以て利と為すの言を疑ひて、以て利を言ふの事にして、君子の言に非ずと為す。知らず、利は是れ身を養ひ民を養ひ、国家に無かるべからざるの事、即ち是れ義の和なることを。故に君子も亦利を欲せざるに非ず。蓋し義有りて利自ら来たれば、則ち義に於いて害無し。只義を舎てて利を取り、利の為に義を行ふ者は、不可なり。苟も義を以て主と為せば、則ち利も亦義なり。利を以て主と為せば、則ち義も亦利なり。公私の間に在るのみ。蓋し利は人に施すべくして、己に専らにすべからず。夫子罕に利を言ふは、利を言はざるに非ざるなり。
-
言志四録・言志録 第二百二十一条 公欲は無かるべからず私欲は有るべからず。公欲は無かるべからず。公欲無ければ則ち人を恕すること能はず。私欲有れば則ち物を仁すること能はず。
-
言志四録・言志後録 第百二十二条 名利は悪物に非ず名利は固より悪物に非ず。但だ己私の累はす所と為るべからず。之を愛好すと雖も、亦自ら恰好中を得る処有り。即ち天理の当然なり。凡そ人情の愛好すべき者何ぞ限らん。而して其の間亦小大有り、軽重有り。能く之を権衡すれば、斯に其の中を得。即ち天理の在る所なり。人は只だ己私の累を為すを怕る。名利豈に果して人を累はさんや。
-
論語・里仁篇子曰わく、利に放(ほしいまま)にして行えば、怨み多し。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る