言志四録 / 言志録 第九条 虚名を冒すの恥
君子。有德之稱。有其德則有其位。視德之高下爲位之崇卑。及叔世有無其德而居其位者。則君子亦遂有專就在位而稱之者。今之君子。盍知冒虛名之爲恥。
新字:君子。有徳之称。有其徳則有其位。視徳之高下為位之崇卑。及叔世有無其徳而居其位者。則君子亦遂有専就在位而称之者。今之君子。盍知冒虚名之為恥。
書き下し
君子とは有徳の称なり。其の徳有れば則ち其の位有り。徳の高下を視て位の崇卑を為す。叔世に及びて其の徳無くして其の位に居る者有れば、則ち君子も亦遂に専ら位に在るに就きて之を称する者有り。今の君子、盍ぞ虚名を冒すの恥たるを知らざる。
現代語訳
君子とは本来、徳のある人を呼ぶ名である。徳があればそれにふさわしい地位があり、徳の高い低いを見て地位の上下を定めた。ところが末の世(叔世)になって、徳がないのに位にいる者が現れると、君子という語もついには、もっぱら位についているというだけで呼ぶ場合が出てきた。今の君子たちは、どうして実のない名を身に負うことが恥であると知らないのか。
解説
「君子」という言葉の意味の変化を手がかりに、名と実のずれを鋭く突いた条です。古代には徳のある人が君子と呼ばれ、徳に応じて位が与えられました。ところが世が衰えると、徳のない者が位に就き、位にいるというだけで君子と呼ばれるようになったと一斎は言います。論語にも君子を徳と位の両義で用いる例があり、一斎はその混同を問題にしています。肩書きにふさわしい中身を備えないまま、その名で呼ばれることを恥と思え、という叱咤です。役職や肩書きを得たとき、その名に見合う徳と力が自分にあるのかを静かに問い直す材料になります。
この章句が説くこと
君子徳と位名実恥リーダーの資格
関連する章句
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『長短経』品目〔油然は進まざるの貌なり。越は過ぐるなり。孫卿曰く「夫れ君子は貴ぶ可きを為すを能くするも、人をして必ず己を貴ばしむる能わず。信ず可きを為すを能くするも、人をして必ず己を信ぜしむる能わず。用う可きを為すを能くするも、人をして必ず己を用いしむる能わず。故に君子は修めざるを恥じて、汚さるるを恥じず。信ならざるを恥じて、信ぜられざるを恥じず。能わざるを恥じて、用いられざるを恥じず。誉に誘われず、誹を怨まず、道に率いて行い、端然として己を正す。之を君子と謂うなり」と。〕
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『幽夢影』巻下・恥の一字は君子を治む「恥」の一字は、君子を治むる所以なり。「痛」の一字は、小人を治むる所以なり。
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『慎思録』巻之一人は聖人に非ず、誰か過ち無からん。過ち有りと雖も、之を知りて能く改むれば、則ち過ち無きに帰す。故に人の過ち有るは、以て恥と為す所に非ず。苟も私意蔽固なれば、則ち過ち有りと雖も、之を知ること能はず。之を知ると雖も、又改むること能はず。恥づべしと為す所以なり。其の過ち有る時に方りて、以て過ちに非ずと為して、遮護掩蔵すべからず。須らく直ちに己が過ちと為して、顕揚して速やかに之を改むべし。然らば則ち其の心術に於て、分毫も損闕する所無し。何の恥か之れ有らん。子貢の所謂君子の過ちや、日月の食の如し。過てば人皆之を見、更むれば人皆之を仰ぐといふ者は、此の謂なり。苟も過ちを恥ぢて非を遂げ、以て吾が過ちに非ずと為して、偽り飾り掩ひ蔵せば、則ち其の過ちたるや益大にして、罅漏百出す。甚だ醜づべしと為す所以なり。子夏曰く、小人の過つや必ず文ると。此の謂なり。
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論語・八佾篇季氏、泰山に旅す。子、冉有に謂いて曰く、『子、止むる能わざるか。』曰く、『能わず。』子曰く、『ああ!曾て泰山は林放に如かずと謂えりや。』
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