下学老談抄録 / 天を畏れ独りを慎む
畏天而愼獨、敬鬼神而盡誠、是は外より見へぬ事にて、云はゞ無用の世話なり、然れども內正しからねば外の正しきは皆僞り物也、譬ば御日がらにも人の知らぬやうにして 魚鳥を喰ひ、外にては子細がましく聖語など口走れども、 寢覺の慰には淨瑠璃本を讀て悅ぶ類ひ也、又誠を盡さんにはさせる證據のなき者也、只鬼神には心に恐れあれば是を誓ひ、袁了凡が陰隲錄の趣に習はゞ、名聞誠はできぬ道理也、名聞誠とは、世にいふ上手者にて、學文數奇の前にては氣に入樣に褒め、書物きらひの前にては學問すれば、かたくじけ直ぐろくなる人はなしと、かく世間の味を知らねば、勤向は行ぬなどゝ口に任せていひ、又人の見る前にては諸藝に精を出し、人なき塲にてはせず、我は精出しても不器用などゝ、取合之類ひ也、
新字:畏天而慎独、敬鬼神而尽誠、是は外より見へぬ事にて、云はゞ無用の世話なり、然れども内正しからねば外の正しきは皆偽り物也、譬ば御日がらにも人の知らぬやうにして 魚鳥を喰ひ、外にては子細がましく聖語など口走れども、 寝覚の慰には浄瑠璃本を読て悦ぶ類ひ也、又誠を尽さんにはさせる証拠のなき者也、只鬼神には心に恐れあれば是を誓ひ、袁了凡が陰隲録の趣に習はゞ、名聞誠はできぬ道理也、名聞誠とは、世にいふ上手者にて、学文数奇の前にては気に入様に褒め、書物きらひの前にては学問すれば、かたくじけ直ぐろくなる人はなしと、かく世間の味を知らねば、勤向は行ぬなどゝ口に任せていひ、又人の見る前にては諸芸に精を出し、人なき塲にてはせず、我は精出しても不器用などゝ、取合之類ひ也、
書き下し
畏天而愼獨、敬鬼神而盡誠、是は外より見へぬ事にて、云はゞ無用の世話なり、然れども內正しからねば外の正しきは皆僞り物也、譬ば御日がらにも人の知らぬやうにして 魚鳥を喰ひ、外にては子細がましく聖語など口走れども、 寢覺の慰には淨瑠璃本を讀て悅ぶ類ひ也、又誠を盡さんにはさせる證據のなき者也、只鬼神には心に恐れあれば是を誓ひ、袁了凡が陰隲錄の趣に習はゞ、名聞誠はできぬ道理也、名聞誠とは、世にいふ上手者にて、學文數奇の前にては氣に入樣に褒め、書物きらひの前にては學問すれば、かたくじけ直ぐろくなる人はなしと、かく世間の味を知らねば、勤向は行ぬなどゝ口に任せていひ、又人の見る前にては諸藝に精を出し、人なき塲にてはせず、我は精出しても不器用などゝ、取合之類ひ也、
現代語訳
天を畏れて独りを慎み、鬼神を敬って誠を尽くしなさい。これは外から見えないことなので、言ってみれば無用の世話です。けれども内が正しくなければ、外の正しさはみな偽り物です。たとえば、精進の御日がらにも人の知らないようにして魚や鳥を食い、外では子細ありげに聖人の言葉などを口走りながら、寝覚めの慰みには浄瑠璃本を読んで喜ぶような類いです。また、誠を尽くそうにも、はっきりした証拠がないものです。ただ鬼神には、心に恐れがあるので誓い、袁了凡の陰隲録の趣旨に倣えば、名聞の誠はできない道理です。名聞の誠とは、世にいう上手者で、学問好きの前では気に入るように褒め、書物嫌いの前では、学問をすれば固く頑なになり素直でなくなる、そんな人はいない、このように世間の味を知らなければ、勤めは行えないなどと口に任せて言い、また人が見る前では諸芸に精を出し、人のいないところではせず、自分は精を出しても不器用だなどと、取り繕う類いです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『肝要工夫録』・独りを慎む古語に不愧屋漏則心安而體舒とありて、家の片隅などの人見ざるくらき所にてをこなひなす事、又こゝろに獨り思ふ事にても、みづから顧みて、少しも心に恥づる事なく、たとへ多くの人前に出すとも、恥づることなきやうにあれば、いつも心安樂に身體ものび〱として、是程快然たるはなきことなり。人が見聞せざるとて、たゞ私欲の爲に手前勝手のをこなひをなし、道に背くことは、小人の常にして、其不善を揜ひて、言葉に取かざりなどいひ、其快からざることをするは愚なる事なり。是等の仕業は揜ひても、其肺肝までも見ゆるごとくにて、殊に天道はなほ明らかに知り玉ふ事なり。古語に天の聞くこと雷のごとく、天のみること電のごとしといふて、人は知るまひ見まひと思ふても、天の見聞し玉ふことすみやかなれば、不善を行ふ者には、目前に天より禍を降し玉ふことなり。歌道に、
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説苑・敬慎存亡禍福は、其の要身に在り。聖人誡めを重んじ、忽せにする所を敬慎す。中庸に曰わく、「隠より見わるるは莫く、微より顕らかなるは莫し。故に君子は其の独りを慎むなり」と。諺に曰わく、「誠に垢無ければ、思うに辱無し」と。夫れ誠ならず思わずして以て身を存し国を全うする者も亦た難きかな。詩に曰わく、「戦戦兢兢として、深淵に臨むが如く、薄氷を履むが如し」と。此を之れ謂うなり。
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伝習録・薛侃録正之問う、「『戒懼は是れ己の知らざる時の工夫、慎独は是れ己の独り知る時の工夫』。此の説は如何」と。先生曰く、「只だ是れ一個の工夫なり。事無き時も固より是れ独り知る。事有る時も亦た是れ独り知る。人、若し此の独り知るの地に力を用うるを知らず、只だ人の共に知る処に功を用いば、便ち是れ偽を作すなり。便ち是れ『君子を見て而る後に厭然たり』なり。此の独り知る処は便ち是れ誠の萌芽なり。此の処は善念・悪念を論ぜず、更に虚仮無し。一たび是ならば百も是、一たび錯らば百も錯る。正に是れ王覇・義利・誠偽・善悪の界頭なり。此に於て一たび立ちて立定せば、便ち是れ本を端(ただ)し源を澄ますなり。便ち是れ誠を立つるなり。古人の許多の身を誠にするの工夫、精神命脈は、全体、只だ此の処に在り。真に是れ見(あら)わるる莫く顕るる莫し。時と無く処と無く、終無く始無く、只だ是れ此個の工夫なり。今、若し又た戒懼を分ちて己の知らざると為さば、即ち工夫は便ち支離し、亦た間断有り。既に戒懼は即ち是れ知るなり。己、若し知らずんば、是れ誰か戒懼せん。此くの如きの見解は、便ち断滅の禅定に流入せんことを要す」と。曰く、「善念・悪念を論ぜず、更に虚仮無しとは、則ち独り知るの地に、更に念無き時無きか」と。曰く、「戒懼も亦た是れ念なり。戒懼の念は、時として息(や)むべき無し。若し戒懼の心、稍(すこ)しく存せざる有らば、昏瞶(こんかい)に非ずんば、便ち已に悪念に流入す。朝より暮に至り、少きより老に至るまで、若し念無からんことを要せば、即ち是れ己、知らざるなり。此れは昏睡を除き、槁木死灰を除くなり」と。
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荘子・庚桑楚物を備えて以て形を将(やしな)い、不虞(ふぐ)を蔵して以て心を生じ、中を敬して以て彼に達す。是の若くにして万悪至る者は、皆な天なり、而して人に非ざるなり。以て成を滑(みだ)すに足らず、霊台に内(い)るべからず。霊台なる者は持する有り。而して其の持する所を知らず。而して持すべからざる者なり。其の誠を己に見(あら)わさずして発すれば、発する毎に当たらず。業(すで)に入りて舎(す)てざれば、更(か)うる毎に失を為す。不善を顕明の中に為す者は、人得て之を誅す。不善を幽閒(ゆうかん)の中に為す者は、鬼得て之を誅す。人に明らかに、鬼に明らかなる者、然る後に能く独り行く。
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『大和俗訓』巻之三・心術上一およそ人の一念の不善も、かならず天に通ずる理あり。天は高きに居て、ひききに聞くといへり。上天を欺くべからず。おそるべし。人をあざむけば、つひに其、偽あらはる。内に誠あれば、必外にあらはるといへり。下人をあざむくべからず。恥づべし。天を欺き、人をあざむくは、共に我が心を欺くによれり。我が心に不善と知りながら、これを行ふ、是自欺なり。我が心あざむくべからず。およそ、天と人と我が心と、皆あざむくべからず。唯一すぢに誠あるべし。ここを以て、君子の心は、つねに青天白日の如くなり。小人の心は、常に陰暗くしてはかりがたし。
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『呻吟語』内篇・存心・君子は天を畏れて人を畏れず君子は天を畏れて人を畏れず。名教を畏れて刑罰を畏れず。不義を畏れて不利を畏れず。徒生を畏れて生を捨つるを畏れず。

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