学則 / 對西肥水秀才問
曆。不佞未之學。然以臆道之。古法必簡易。觀於堯命羲和。分處四方以親驗合不。隨而改之。不亦簡乎。後世必求以法盡之。然愈精愈舛者。以其人所推驗不過三四十年之久耳。必得數百千歳之壽。目擊親見。而後得其梗槩。此乃世所無。故堯典聖人之智。乃爲至矣。授時曆。世所推崇。然僅以三四十年之推驗者。與它曆同。是以不佞未之能信。
新字:暦。不佞未之学。然以臆道之。古法必簡易。観於堯命羲和。分処四方以親験合不。随而改之。不亦簡乎。後世必求以法尽之。然愈精愈舛者。以其人所推験不過三四十年之久耳。必得数百千歳之寿。目撃親見。而後得其梗槩。此乃世所無。故堯典聖人之智。乃為至矣。授時暦。世所推崇。然僅以三四十年之推験者。与它暦同。是以不佞未之能信。
書き下し
暦は、不佞未だ之を学ばず。然れども臆を以て之を道へば、古法は必ず簡易なり。堯の羲和に命じ、四方に分処して以て親しく合不を験し、随ひて之を改めしむるを観るに、亦た簡ならずや。後世は必ず法を以て之を尽くさんことを求む。然れども愈〻精にして愈〻舛ふ者は、其の人の推験する所、三四十年の久しきに過ぎざるを以てなり。必ず数百千歳の寿を得て、目撃親見して、而る後に其の梗概を得ん。此れ乃ち世に無き所なり。故に堯典の聖人の智、乃ち至れりと為す。授時暦は、世の推崇する所なり。然れども僅かに三四十年の推験を以てする者は、它暦と同じ。是を以て不佞未だ之を信ずる能はず。
現代語訳
暦については、私はまだ学んでいない。しかし推量で言えば、古の方法は必ず簡単でわかりやすいものだったはずだ。堯が羲氏・和氏に命じ、四方に分かれて住まわせて、(暦が天象と)合っているかどうかを自分で確かめさせ、それに従って改めさせたのを見れば、なんと簡単ではないか。後世は必ず法則によってすべてを割り切ろうとする。しかし精密になればなるほど食い違うのは、その人が観測して確かめられるのが、せいぜい三、四十年の長さにすぎないからである。数百年、千年の寿命を得て、自分の目で見届けて、はじめてそのおおよそがわかるだろう。そんなことはこの世にありえない。だから『書経』堯典に見える聖人の知恵こそが、至れるものなのである。授時暦(元の暦)は世に推し崇められている。しかしわずか三、四十年の観測によっている点では、ほかの暦と同じである。だから私はまだそれを信じることができない。
解説
この章句が説くこと
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『学則』對西肥水秀才問歳差の如きは、古来未だ定数有らず。不佞を以て之を思ふに、日月は盈縮有りて一年にして初めに復る。故に暦家能く之を言ふ。歳差の如きは、安くんぞ其の天の盈に非ざるを知らんや。堯より今日に至るまで、人其の盈を見て未だ其の縮を見ず。安くんぞ数千歳の後必ず縮まざるを知らんや。何となれば則ち天地日月は皆活物なればなり。又た授時の法は、已往は歳ごとに一を増し、将来は歳ごとに一を減ず。吾知らず、数千万年の後、算尽くる時は何如と。大氏其の始めを知らず、其の終りを知らず。吾其の中間に処りて、蜉蝣の年を以て之を量る。其の愈〻精にして愈〻舛ふ者は此を以てなり。
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『学則』對西肥水秀才問然るに世の自ら好しとする者は、多く謂ふ、古は自ら古、今は自ら今、何ぞ必ずしも古を学ばんと。自ら以て達すと為す。殊に知らず、古には聖人有りて、今は聖人無きことを。則ち其の人の為す所の今なるは、誠に誣ひず。而して其の能く聖人の道に悖らざる者は、吾未だ之を信ぜず。其の人自ら己の心を以て之を断じ、是れ古の聖人に悖らずと謂はば、則ち其の人自ら以て聖と為すなり。豈に妄ならずや。乃ち其の習ふ所に溺れ、往往乎として之に語るも通ずる能はず。故に不佞未だ嘗て人の為に之を言はず。争ひを悪めばなり。今足下の見る所、不佞と符す。故に詳らかに之を言ふのみ。
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『慎思録』巻之五天下の事、上世の法は簡略にして、後世に至りて益詳密なり。学術制度の如き皆然り。此れ古今の気運の漸く開くるなり。自然の時勢、当に此くの如くなるべし。六経の説く所の者の如きは、其の大略なり。後儒世に出づるに至りて、其の説を為すや、漸く潤色を加へて詳細なり。漢魏以下の諸子及び宋の諸大儒の説く所の如き是れなり。然り而して後儒の説は精詳を加ふと雖も、皆是れ六経語孟の中に有る所の道理を、転た論述して漸く細密なる者なり。六経語孟の範囲の外に出づること能はず。然れども上世の聖人の説く所、其の簡略なる者は、差誤有るべからず。後世の諸儒の論ずる所、其の繁詳なる者は、或いは時として疎漏過誤有り。蓋し其の略なる者は、道理簡要にして、該閲する所周偏なり。其の詳なる者は、論説繁衍して、分析する所或いは過誤有るなり。暦学の如き、其の法後世に至りて益精しく、頗る古人の言ひ到らざる処有り。然れども虞書の中の数語暦象を説く者は、其の根源にして、後世の暦を説く者は、此の規模の外に出づること能はず。其の余の法術も亦皆此くの如し。
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『学則』對西肥水秀才問数学も亦た不佞未だ之を学ばず。然れども今の数学者流を観るに、種種の奇巧を設けて、以て其の精微を誇る。其の実は世に用無し。故に古法は必ず簡なるを知るなり。且つ円率の如きは、乃ち方を積みて以て之を測る。積みて数万に至ると雖も、亦た数万の微塵の弧の算に入らざる有り。豈に円率と為すに足らんや。往歳清人朱載堉の楽書を献ず。朝廷不佞をして考閲せしむ。中に円率有り。諸を周礼・周髀に本づく。其の法拠るべきが如し。然れども未だ其の如何を審らかにせず。
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『学則』對西肥水秀才問問ふを承く。律暦の古法は甚だ簡なりと。甚だ鄙衷に愜ふ。不佞楽を好む。是に由りて声律の説を推覈し、頗る其の蘊を尽くすを得たり。夏書に曰く、詩は志を言ひ、歌は言を永くし、声は永きに依り、律は声を和すと。是れ律は本人の音を以て準と為す。後世乃ち尺度累黍を以て之を求む。失ふ所以なり。今本邦に伝ふる所の黄鍾は、乃ち古の黄鍾なること、誠に足下の言の如し。楽家に譜有り。試みに之を唱へば、則ち人の口中の音の最も濁れる者を黄鍾と為すを知らん。何ぞ必ずしも紛紛たらん。三分損益の如きも亦た大概之を言ふ。何となれば則ち必ず耳を以て聴きて乃ち定まればなり。後世の尺度を以て律管を截るが如きは、必ず毫忽の数有り。目睹る能はず、刀截る能はず。将た何の益かあらん。故に古来大概之を言ふ者、反りて妙理に臻るなり。
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史記 暦書昔古に在りしより、暦は正を建てて孟春に作る。時に於いて冰泮け蟄発し、百草奮ひ興り、秭鳺先づ滜く。物廼ち歳に具はり、東に生じ、次いで四時に順ひ、冬分に卒はる、時に雞三たび号びて、卒に明く。十二節を撫して、丑に卒はる。日月成る、故に明らかなり。明とは孟なり、幽とは幼なり、幽明とは雌雄なり。雌雄代々興りて、至正の統に順ふなり。日は西に帰し、明を東に起こす。月は東に帰し、明を西に起こす。正、天に率はず、又人に由らざれば、則ち凡そ事壊れ易くして成り難し。王者は姓を易へ命を受くれば、必ず始初を慎み、正朔を改め、服色を易へ、天元に推し本づき、厥の意に順承す。太史公曰く、神農以前は尚し。蓋し黄帝は星暦を考定し、五行を建立し、消息を起こし、閏余を正す、是に於いて天地神祇物類の官有り、是を五官と謂ふ。各々其の序を司り、相乱れざるなり。民是を以て能く信有り、神是を以て能く明徳有り。民神業を異にし、敬して瀆さず、故に神之に嘉生を降し、民物を以て享し、災禍生ぜず、求むる所匱しからず。少暤氏の衰ふるや、九黎徳を乱し、民神雑擾し、物を放ふべからず、禍菑薦りに至り、其の気を尽くす莫し。顓頊之を受け、乃ち南正重に命じて天を司りて以て神を属めしめ、火正黎に命じて地を司りて以て民を属めしめ、旧常に復して、相侵瀆すること無からしむ。其の後三苗九黎の徳に服す、故に二官咸職とする所を廃し、而して閏余次を乖き、孟陬殄滅し、摂提紀無く、暦数序を失ふ。堯復た重・黎の後の、旧を忘れざる者を遂げ、復た之を典らしめ、而して羲和の官を立つ。時を明らかにし度を正せば、則ち陰陽調ひ、風雨節あり、茂気至り、民夭疫無し。年耆いて舜に禅り、文祖に申戒して云ふ「天の暦数爾の躬に在り」と。舜も亦以て禹に命ず。是に由りて之を観れば、王者の重んずる所なり。
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