学則 / 学則一
東海不出聖人。西海不出聖人。是唯詩書禮樂之爲敎也。古之時楚雖大邦。其左史倚相所爲誦。三墳五典九丘八索之書。舍是無爲學。而後豪傑自陳良之徒。蓋皆北學於中國云。則吾東方之民又奚適。亦唯言語異宜。鐘呂之饗爰居。彼謂之侏儷鴃舌者。吾眎猶彼。假使仲尼乘桴。子路從之游。亦未如之何已。
新字:東海不出聖人。西海不出聖人。是唯詩書礼楽之為教也。古之時楚雖大邦。其左史倚相所為誦。三墳五典九丘八索之書。舎是無為学。而後豪傑自陳良之徒。蓋皆北学於中国云。則吾東方之民又奚適。亦唯言語異宜。鐘呂之饗爰居。彼謂之侏儷鴃舌者。吾眎猶彼。仮使仲尼乗桴。子路従之游。亦未如之何已。
書き下し
東海に聖人出でず。西海に聖人出でず。是れ唯だ詩書礼楽の教へと為るなり。古の時、楚は大邦なりと雖も、其の左史倚相の誦する所為るは、三墳・五典・九丘・八索の書なり。是を舎きては学と為す無し。而して後の豪傑、陳良の徒よりして、蓋し皆北のかた中国に学ぶと云ふ。則ち吾が東方の民、又た奚くにか適かん。亦た唯だ言語宜しきを異にす。鐘呂もて爰居を饗す。彼の之を侏儷鴃舌と謂ふ者、吾れ眎ること猶ほ彼のごとし。仮使ひ仲尼桴に乗り、子路之に従ひて游ぶとも、亦た之を如何ともする未きのみ。
現代語訳
東の海(日本)に聖人は出なかった。西の海の彼方にも聖人は出なかった。だから教えとなるのはただ『詩経』『書経』と礼楽だけである。古代、楚は大国であったが、その左史の倚相が暗誦していたのは三墳・五典・九丘・八索という古書であった。これを除いては学問とするものがなかった。後の豪傑たちも、陳良(楚の儒者)の一派をはじめとして、みな北の中国本土へ出て学んだという。それならば、我々東方の民はどこへ行けばよいのか。ただ言葉の勝手が違うのである。それは鐘や大呂の音楽で海鳥の爰居をもてなすようなもので、相手を驚かせるだけだ。あちらが我々の言葉を「侏儷鴃舌(わけのわからぬ蛮人のさえずり)」と呼ぶように、こちらから見ればあちらの言葉も同じくさえずりにしか聞こえない。たとえ孔子が筏に乗って海を渡り、子路がお供をして来たとしても、どうにもならなかったであろう。
解説
この章句が説くこと
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