学論抄録 / 武を大道とする学と儒者の偏見への反論
莫一人與國政者、唯主紀事考例敎授引按而已矣、此方儒家、其爲小也固無論矣、遂其學廢武、與先王孔子之文不同矣、出入將相、通理治亂、可以稱君子儒者殆希矣、若有儒之可用者、則先改儒爲武、而後使其與事、著爲恒例、故武門之學、獨施功於天下、非與百家爭衡也、是以我先師斷以武爲天下大道、以黜陟歸乎掌握、治亂係於謀議也、誰謂不然耶、此是 時王之制、古之所謂大道、非耶、而師爲敎也、要立定脚跟於國神之傳、諮仁義於聖人之門、求勝敗於孫吳之秘、而一彼此於胸臆、以具天地之大量也、爾來吾曹以武學立門戶、非外乎文也、從 國制而倡大道也、近日世儒或云、武士宜止司兵仗而已、苟與國政者、以武自處則謬矣、或云大道者吾儒之學、以武爲大道者謬矣、此欲一人之私言改時王之制、易時俗之風也、亦弗思耳矣、嘗聞觀瀾先生曰、彼以文立、我以武立、學者須先識此體制、可謂得要矣、夫兵法以戰止戰、止戈爲武、以致人而不致於人爲法、戰爭之道、在于誅國賊而成太平也、以儒爲業者、倡仁義禮智、固是矣、而華彼夷我、陷乎非禮之賊而不自知、不亦悲乎、是無他、以不能致彼而致於彼也、亦坐於不知武、與古之爲己之學異也耳矣、孔聖愼戰、臨事好謀、君子有不戰、戰則必勝、兵法曰、事之而不窮謂之謀、當知若干軍器在謀中、然儒者或以爲談武非吾事也、
新字:莫一人与国政者、唯主紀事考例教授引按而已矣、此方儒家、其為小也固無論矣、遂其学廃武、与先王孔子之文不同矣、出入将相、通理治乱、可以称君子儒者殆希矣、若有儒之可用者、則先改儒為武、而後使其与事、著為恒例、故武門之学、独施功於天下、非与百家争衡也、是以我先師断以武為天下大道、以黜陟帰乎掌握、治乱係於謀議也、誰謂不然耶、此是 時王之制、古之所謂大道、非耶、而師為教也、要立定脚跟於国神之伝、諮仁義於聖人之門、求勝敗於孫呉之秘、而一彼此於胸臆、以具天地之大量也、爾来吾曹以武学立門戸、非外乎文也、従 国制而倡大道也、近日世儒或云、武士宜止司兵仗而已、苟与国政者、以武自処則謬矣、或云大道者吾儒之学、以武為大道者謬矣、此欲一人之私言改時王之制、易時俗之風也、亦弗思耳矣、嘗聞観瀾先生曰、彼以文立、我以武立、学者須先識此体制、可謂得要矣、夫兵法以戦止戦、止戈為武、以致人而不致於人為法、戦争之道、在于誅国賊而成太平也、以儒為業者、倡仁義礼智、固是矣、而華彼夷我、陥乎非礼之賊而不自知、不亦悲乎、是無他、以不能致彼而致於彼也、亦坐於不知武、与古之為己之学異也耳矣、孔聖慎戦、臨事好謀、君子有不戦、戦則必勝、兵法曰、事之而不窮謂之謀、当知若干軍器在謀中、然儒者或以為談武非吾事也、
書き下し
一人として国政に与る莫く、唯だ紀事・考例・教授・引按を主るのみ。此の方の儒家、其の小なること固より論無し。遂に其の学武を廃し、先王孔子の文と同じからず。将相に出入し、理乱に通じ、以て君子儒と称すべき者は殆ど希なり。若し儒の用ふべき者有れば、則ち先づ儒を改めて武と為し、而して後に事に与らしめ、著して恒例と為す。故に武門の学、独り功を天下に施し、百家と衡を争ふに非ざるなり。是を以て我が先師は断じて武を以て天下の大道と為し、黜陟は掌握に帰し、治乱は謀議に係るなり。誰か然らずと謂はんや。此れ是れ時王の制、古の所謂大道に非ずや。而して師の教へたるや、要は脚跟を国神の伝に立て定め、仁義を聖人の門に諮り、勝敗を孫呉の秘に求め、而して彼此を胸臆に一にして、以て天地の大量を具ふるなり。爾来吾が曹は武学を以て門戸を立つるも、文に外れるに非ざるなり。国制に従ひて大道を倡ふるなり。近日世儒或いは云ふ、武士は宜しく兵仗を司るに止まるべきのみ、苟くも国政に与らば、武を以て自ら処るは謬りなりと。或いは云ふ、大道は吾が儒の学なり、武を以て大道と為すは謬りなりと。此れ一人の私言を以て時王の制を改め、時俗の風を易へんと欲するなり。亦た思はざるのみ。嘗て観瀾先生の曰ふを聞く、彼は文を以て立ち、我は武を以て立つ、学者須らく先づ此の体制を識るべし、と。要を得たりと謂ふべし。夫れ兵法は戦を以て戦を止む。戈を止むるを武と為す。人を致して人に致されざるを以て法と為す。戦争の道は、国賊を誅して太平を成すに在るなり。儒を以て業と為す者、仁義礼智を倡ふるは、固より是なり。而れども華は彼にして夷は我と、非礼の賊に陥りて自ら知らず、亦た悲しからずや。是れ他無し、彼を致すこと能はずして彼に致さるるを以てなり。亦た武を知らざるに坐し、古の為己の学と異なるのみ。孔聖は戦を慎み、事に臨みて謀を好む。君子は戦はざる有り、戦へば則ち必ず勝つ。兵法に曰く、之を事として窮まらざる、之を謀と謂ふ、と。当に知るべし、若干の軍器は謀の中に在り。然るに儒者或いは以為へらく、武を談ずるは吾が事に非ずと。
現代語訳
(官の儒者であっても)国政に関与する者は一人もなく、ただ記録・先例の考証・教授・引用の注釈を司るだけでした。こちらの国の儒家は、その小さいことは論ずるまでもありません。ついにその学問は武を捨て、先王や孔子の説く文とは同じではなくなりました。将相のそばに出入りして治乱の理に通じ、君子儒と称すべき者は、ほとんどまれです。もし儒者で用いるべき者がいれば、まず儒をあらためて武とし、その後に政務に与らせ、記して恒例としました。だから武門の学が、ひとり天下に功を施しており、諸子百家と優劣を争うものではありません。そのため私の先師は、武をもって天下の大道であると断じ、人の登用・罷免は掌中に帰し、治乱は謀議に係るとしました。誰がそうでないと言えましょう。これは時の王の制度で、古のいわゆる大道ではないでしょうか。師の教えは、要するに脚の踵をしっかり国神の伝えに据え、仁義を聖人の門に諮り、勝敗を孫子・呉子の秘に求め、彼と此を胸中で一つにして、天地の大きな度量を備えるものです。以来、われわれは武学で一門を立てていますが、文に背くものではありません。国の制度に従って大道を唱えているのです。近ごろ世の儒者はあるいは「武士はただ武器を司るだけにとどめるべきで、もし国政に与って武で自らを処するのは誤りだ」と言い、あるいは「大道は我ら儒の学であって、武を大道とするのは誤りだ」と言います。これは一人の私的な言い分で、時の王の制度を改め、時の風俗を変えようとするもので、よく考えていないだけです。かつて観瀾先生が「彼は文で立ち、我は武で立つ。学者はまずこの体制を知らなければならない」と言うのを聞きました。要点を得ていると言えます。兵法は戦いをもって戦いを止めるもので、「戈を止める」と書いて武です。人を思うままにして人に思うままにされないことを法とし、戦争の道は、国賊を誅して太平を成すことにあります。儒を業とする者が仁義礼智を唱えるのは、もとより正しいことです。しかし「華は彼、夷は我」と(自国を夷とし)、非礼の賊に陥って自ら気づかないのは、悲しいことではありませんか。他でもなく、彼を思うままにできず彼に思うままにされるからです。これも武を知らないことによるもので、古の「己のための学」と異なるのです。孔子は戦いを慎み、事に臨んで謀を好みました。君子は戦わないこともあり、戦えば必ず勝ちます。兵法に「これを事として行き詰まらないものを謀という」とあります。知るべきです、多少の武器も謀の中にあるのです。ところが儒者の中には、武を語るのは我が事ではないと思っている者がいます。
解説
この章句が説くこと
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