福沢諭吉小品集 / 養生の心得・第7段
一、病症に由りて度々見わねば療治の行屆かぬも有り、又は三日目五目或は七日目に一度診察してよき病人もあれども、病症のよしあしに係わらず、黄金家の病人は度々見舞、貧家の病人を遂おろかにする醫も、世間には稀れに有るようすなれども、是は甚だ醫の心得違と云ふべし。先病人は貧富貴賤に係らず、重き危篤のものを第一等の病人となし、萬事注意けて精々見舞診察せねば療治は出來ぬものなり。由りて世間の良醫は固疾難症を第一の病人として療治する故に、貧富の差別有る事なし。此旨素人の方にて能心得置き、黄金家にても醫を職人あんまの如く出入醫抔と云ふ可からず。貧者にても遠慮する事なく大病のせつは良醫を頼みて療治を受くべし。全快の後己の不都合を醫に咄し、少しの謝義するとも言の禮云ふとも、其心に誠に有難き眞實を以て禮する貧人の心底は、醫の方でも黄金家の百兩の禮にもあたる心持なれば、鰥寡孤獨の不仕合病人も、遠慮なく名醫の療治を請ひ、大切なる一命助かりし上は、時せつを待て大恩を報ふべし。療治後無沙汰するものは甚だ惡きものなり。 一、醫者の方にても預りたる病人は兎角心に懸るゆへ、折ふしは見舞なれども、病家にても病人のよしあしを度々醫へ注進し沙汰せねばならぬ筈なり。 一、是まで一人の醫に療治を受たる病人、外の醫に轉へ度き事は、人情澤山ある事なり。決して遠慮なく心のまゝに醫を轉へてよし。されども始の醫に沙汰せずに外の醫を頼は心得違なり。轉へるせつ始の醫に其旨を挨拶するなれば、醫の方にて必らず不平ある筈なし。兎角病氣のせつは義理不義理などゝつまらぬ事を思わず、醫に云い度事を一々噺すべし。云い度事を隱してするときは惣方不都合多し。 一、醫見舞たるせつ、酒肴飯菓子抔と種々心配するものあれども、病人に少しも益なく、醫も病家も空しく時を費すなれば、心ある人は止めるべし。 一、全體醫業は甚だ六箇敷物にて、始終書物をよみて學問せねば出來ぬものなり。由て暇あるせつは學問して時を費さぬよう心懸る故に、家を出る事の出來る病人は、成る丈醫の家に來りて療治を受くべし。
新字:一、病症に由りて度々見わねば療治の行届かぬも有り、又は三日目五目或は七日目に一度診察してよき病人もあれども、病症のよしあしに係わらず、黄金家の病人は度々見舞、貧家の病人を遂おろかにする医も、世間には稀れに有るようすなれども、是は甚だ医の心得違と云ふべし。先病人は貧富貴賤に係らず、重き危篤のものを第一等の病人となし、万事注意けて精々見舞診察せねば療治は出来ぬものなり。由りて世間の良医は固疾難症を第一の病人として療治する故に、貧富の差別有る事なし。此旨素人の方にて能心得置き、黄金家にても医を職人あんまの如く出入医抔と云ふ可からず。貧者にても遠慮する事なく大病のせつは良医を頼みて療治を受くべし。全快の後己の不都合を医に咄し、少しの謝義するとも言の礼云ふとも、其心に誠に有難き真実を以て礼する貧人の心底は、医の方でも黄金家の百両の礼にもあたる心持なれば、鰥寡孤独の不仕合病人も、遠慮なく名医の療治を請ひ、大切なる一命助かりし上は、時せつを待て大恩を報ふべし。療治後無沙汰するものは甚だ悪きものなり。 一、医者の方にても預りたる病人は兎角心に懸るゆへ、折ふしは見舞なれども、病家にても病人のよしあしを度々医へ注進し沙汰せねばならぬ筈なり。 一、是まで一人の医に療治を受たる病人、外の医に転へ度き事は、人情沢山ある事なり。決して遠慮なく心のまゝに医を転へてよし。されども始の医に沙汰せずに外の医を頼は心得違なり。転へるせつ始の医に其旨を挨拶するなれば、医の方にて必らず不平ある筈なし。兎角病気のせつは義理不義理などゝつまらぬ事を思わず、医に云い度事を一々噺すべし。云い度事を隠してするときは惣方不都合多し。 一、医見舞たるせつ、酒肴飯菓子抔と種々心配するものあれども、病人に少しも益なく、医も病家も空しく時を費すなれば、心ある人は止めるべし。 一、全体医業は甚だ六箇敷物にて、始終書物をよみて学問せねば出来ぬものなり。由て暇あるせつは学問して時を費さぬよう心懸る故に、家を出る事の出来る病人は、成る丈医の家に来りて療治を受くべし。
書き下し
一、病症に由りて度々見わねば療治の行届かぬも有り、又は三日目五目或は七日目に一度診察してよき病人もあれども、病症のよしあしに係わらず、黄金家の病人は度々見舞、貧家の病人を遂おろかにする医も、世間には稀れに有るようすなれども、是は甚だ医の心得違と云ふべし。先病人は貧富貴賤に係らず、重き危篤のものを第一等の病人となし、万事注意けて精々見舞診察せねば療治は出来ぬものなり。由りて世間の良医は固疾難症を第一の病人として療治する故に、貧富の差別有る事なし。此旨素人の方にて能心得置き、黄金家にても医を職人あんまの如く出入医抔と云ふ可からず。貧者にても遠慮する事なく大病のせつは良医を頼みて療治を受くべし。全快の後己の不都合を医に咄し、少しの謝義するとも言の礼云ふとも、其心に誠に有難き真実を以て礼する貧人の心底は、医の方でも黄金家の百両の礼にもあたる心持なれば、鰥寡孤独の不仕合病人も、遠慮なく名医の療治を請ひ、大切なる一命助かりし上は、時せつを待て大恩を報ふべし。療治後無沙汰するものは甚だ悪きものなり。 一、医者の方にても預りたる病人は兎角心に懸るゆへ、折ふしは見舞なれども、病家にても病人のよしあしを度々医へ注進し沙汰せねばならぬ筈なり。 一、是まで一人の医に療治を受たる病人、外の医に転へ度き事は、人情沢山ある事なり。決して遠慮なく心のまゝに医を転へてよし。されども始の医に沙汰せずに外の医を頼は心得違なり。転へるせつ始の医に其旨を挨拶するなれば、医の方にて必らず不平ある筈なし。兎角病気のせつは義理不義理などゝつまらぬ事を思わず、医に云い度事を一々噺すべし。云い度事を隠してするときは惣方不都合多し。 一、医見舞たるせつ、酒肴飯菓子抔と種々心配するものあれども、病人に少しも益なく、医も病家も空しく時を費すなれば、心ある人は止めるべし。 一、全体医業は甚だ六箇敷物にて、始終書物をよみて学問せねば出来ぬものなり。由て暇あるせつは学問して時を費さぬよう心懸る故に、家を出る事の出来る病人は、成る丈医の家に来りて療治を受くべし。
現代語訳
一、病気の種類によって、度々診察しなければ治療が行き届かないものもあり、また三日目、五日目、あるいは七日目に一度診察すればよい病人もありますが、病状の良し悪しに関わらず、金持ちの家の病人は度々見舞い、貧しい家の病人をおろそかにする医者も、世間にはまれにあるようです。これは、医者の大きな心得違いといえましょう。まず、病人は貧富や貴賤に関わらず、重くて危篤のものを第一等の病人とし、万事に注意して、精々見舞い診察しなければ、治療はできないものです。そこで、世間の良い医者は、頑固で難しい病を第一の病人として治療するので、貧富の差別はありません。この旨を素人の側でもよく心得ておき、金持ちの家でも、医者を職人や按摩のように、出入りの医者などと言ってはいけません。貧しい者でも、遠慮なく大病のときは良い医者を頼んで治療を受けなさい。全快の後、自分の不都合を医者に話し、少しの謝礼をし、礼の言葉を述べて、その心に誠にありがたいという真実をもって礼をする貧しい人の心の内は、医者の側でも、金持ちの百両の礼にも匹敵する気持ちですから、身寄りのない不運な病人も、遠慮なく名医の治療を受け、大切な一命が助かった上は、時節を待って大恩に報いなさい。治療後に沙汰なしにする者は、非常に悪い者です。 一、医者の側でも、預かった病人は、とかく心にかかるので、折々は見舞いに行きますが、病家でも、病人の良し悪しを度々医者に知らせ、連絡しなければならないはずです。 一、これまで一人の医者に治療を受けた病人が、他の医者に換えたいと思うことは、人情としてたくさんあることです。決して遠慮なく、心のままに医者を換えてかまいません。ただし、初めの医者に連絡せずに他の医者を頼むのは、心得違いです。換えるときに、初めの医者にその旨を挨拶すれば、医者の側で必ず不平を言うことはありません。とかく病気のときは、義理だ不義理だなどとつまらないことを思わず、医者に言いたいことを一々話しなさい。言いたいことを隠してするときは、双方に不都合が多いものです。 一、医者が見舞いに来たとき、酒肴や飯、菓子などといろいろ気を遣う者がありますが、病人には少しも益がなく、医者も病家も空しく時間を費やすので、心ある人はやめるべきです。 一、そもそも医業は非常に難しいもので、いつも書物を読んで学問をしなければできないものです。そこで、暇があるときは学問をして時間を無駄にしないよう心がけているので、家を出ることのできる病人は、なるべく医者の家に来て治療を受けなさい。
解説
この章句が説くこと
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『洗心洞箚記』卷上・第九十一條学者は心性の理に明らかにし、天人の義を知ると云ふと雖も、然れども儀礼の喪服、及び卜氏の伝に精通せずんば、則ち人倫の差等の微妙なる処に於て、分暁明白なる能はず。如し分暁明白ならずんば、則ち其の行事は未だ妄行恣睢、空と俗とに陥るを免れざるなり。是れ聖教に背くを知らずして自ら之に背くなり。故に礼は講究せざるべからざるなり。然れども徒らに講究して経伝に精通すと雖も、心性の理に明らかならず、天人の義を知らずんば、則ち是れ乃ち源無きの学にして、章句訓詁の陋に終る。是れ亦先聖の教に非ざるなり。要するに一に偏るは不可なり。吁、聖教は円にして方、方にして円なり。志無くんば則ち担当し難し、亦宜ならずや。
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史記 孔子世家吾は周に従はん」と。故に書伝・礼記は孔氏よりす。孔子魯の大師に語る、「楽は其れ知るべきなり。始め作すに翕如たり、之を縦てば純如たり、皦如たり、繹如たり、以て成る」と。「吾衛より魯に反り、然る後に楽正しく、雅頌各々其の所を得たり」と。古者詩三千余篇、孔子に至るに及び、其の重なるを去り、礼義に施すべきを取り、上は契・后稷を采り、中は殷周の盛んなるを述べ、幽厲の缺くるに至る、衽席に始まる、故に曰く「関雎の乱以て風の始めと為し、鹿鳴を小雅の始めと為し、文王を大雅の始めと為し、清廟を頌の始めと為す」と。三百五篇孔子皆之を弦歌し、以て韶武雅頌の音に合はんことを求む。礼楽此より得て述ぶべく、以て王道を備へ、六芸を成す。孔子晩にして易を喜み、彖・繫・象・説卦・文言を序す。易を読み、韋編三たび絶つ。曰く、「我に数年を仮さば、是くの若くして、我易に於て則ち彬彬たらん」と。孔子詩書礼楽を以て教ふ、弟子蓋し三千、身六芸に通ずる者七十有二人。顔濁鄒の徒の如き、頗る業を受くる者甚だ衆し。孔子四を以て教ふ、文・行・忠・信。四を絶つ、意毋く、必毋く、固毋く、我毋し。慎む所は、斉・戦・疾。子罕に利と命と仁とを言ふ。憤せざれば啓せず、一隅を挙げて三隅を以て反さざれば、則ち復たせざるなり。其の郷党に於ては、恂恂として言ふ能はざる者に似たり。其の宗廟朝廷に於ては、辯辯として言ふ、唯謹むのみ。朝にて、上大夫と言ふには、誾誾如たり。下大夫と言ふには、侃侃如たり。公門に入るには、鞠躬如たり。趨り進むには、翼如たり。君召して儐せしむれば、色勃如たり。君命じて召せば、駕を俟たずして行く。魚餒れ、肉敗れ、割正しからざれば、食はず。席正しからざれば、坐せず。喪有る者の側に食するときは、未だ嘗て飽かざるなり。是の日哭すれば、則ち歌はず。斉衰・瞽者を見れば、童子と雖も必ず変ず。「三人行へば、必ず我が師を得」と。
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『大和俗訓』巻之二・為学下一学問の道は、師を尊ぶにあり。師尊くして道尊ぶべし。道尊くして民道をうやまふ。故に君として位高しといへども、師をば臣として賤しめず。いにしへ大学にしては、天子にをしふるにも北面せず。師をたつとべばなり。
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孔子家語・致思孔子伯魚に謂いて曰わく、「鯉よ、吾聞く、以て人と終日倦まざる者は、其れ唯だ学のみと。其の容体は観るに足らず、其の勇力は憚るに足らず、其の先祖は称するに足らず、其の族姓は道うに足らず。終わりて大名有り、以て四方に顕聞し、声を後裔に流す者は、豈に学の効に非ずや。故に君子は学ばずんばある可からず。其の容は飭らずんばある可からず、飭らざれば類無く、類無ければ親を失い、親を失えば忠ならず、忠ならざれば礼を失い、礼を失えば立たず。夫れ遠くして光有る者は、飭なり。近くして愈々明らかなる者は、学なり。之を汙池に譬うるに、水潦焉に注ぎ、雚葦焉に生ず。之を観る者有りと雖も、孰か其の源を知らんや。」
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『童子問』卷中問ふ。然らば則ち仁義は中より重きか。曰く、然り。学問は仁義より貴きは莫く、而して仁義を存するは、礼より要なるは莫し。故に論語は礼を言ひて、中を言はず。顔淵仁を問ふ。子曰く、己に克ちて礼に復るを仁と為す、と。又曰く、君子博く文を学び、之を約するに礼を以てせば、亦以て畔かざるべきか、と。又曰く、恭にして礼無ければ則ち労す。慎にして礼無ければ則ち葸す。勇にして礼無ければ則ち乱す。直にして礼無ければ則ち絞す、と。是れ皆孔門の人を教ふる切要の言にして、万世学問の規矩準縄、所謂至当一に帰し、精義二無き者なり。蓋し唐虞の時は、教法未だ詳らかならず。其の行ふ所、仁義に非ざるは莫くして、未だ仁義の目有らず。故に曰く、允に其の中を執れ、と。孔孟に至るに及びて、専ら仁義を以て教と為して、礼を以て要と為す。中は猶ほ星無きの秤のごとく、礼は猶ほ秤の物を量るがごとし。中には泛然として拠り難きの患ひ有り、而して礼には秩然として執るべきの則有り。礼は本仁義に由りて生ずと雖も、又能く仁義を存するの功有り。夫子常に礼を以て人を教へて、中を言はざる所以なり。
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