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福沢諭吉小品集 / 瘠我慢の説・第14段

古来の習慣に従えば、凡そこの種の人は遁世出家して死者の菩提を弔うの例もあれども、今の世間の風潮にて出家落飾も不似合とならば、ただその身を社会の暗処に隠してその生活を質素にし、一切万事控目にして世間の耳目に触れざるの覚悟こそ本意なれ。 これを要するに維新の際、脱走の一挙に失敗したるは、氏が政治上の死にして、たといその肉体の身は死せざるも最早政治上に再生すべからざるものと観念して唯一身を慎み、一は以て同行戦死者の霊を弔してまたその遺族の人々の不幸不平を慰め、また一には凡そ何事に限らず大挙してその首領の地位に在る者は、成敗共に責に任じて決してこれを遁るべからず、成ればその栄誉を専らにし敗すればその苦難に当るとの主義を明にするは、士流社会の風教上に大切なることなるべし。すなわちこれ我輩が榎本氏の出処に就き所望の一点にして、独り氏の一身の為めのみにあらず、国家百年の謀において士風消長の為めに軽々看過すべからざるところのものなり。 以上の立言は我輩が勝、榎本の二氏に向て攻撃を試みたるにあらず。謹んで筆鋒を寛にして苛酷の文字を用いず、以てその人の名誉を保護するのみか、実際においてもその智謀忠勇の功名をば飽くまでも認る者なれども、凡そ人生の行路に富貴を取れば功名を失い、功名を全うせんとするときは富貴を棄てざるべからざるの場合あり。二氏のごときは正しくこの局に当る者にして、勝氏が和議を主張して幕府を解きたるは誠に手際よき智謀の功名なれども、これを解きて主家の廃滅したるその廃滅の因縁が、偶ま以て一旧臣の為めに富貴を得せしむるの方便となりたる姿にては、たといその富貴は自から求めずして天外より授けられたるにもせよ、三河武士の末流たる徳川一類の身として考うれば、折角の功名手柄も世間の見るところにて光を失わざるを得ず。

書き下し

古来の習慣に従えば、凡そこの種の人は遁世出家して死者の菩提を弔うの例もあれども、今の世間の風潮にて出家落飾も不似合とならば、ただその身を社会の暗処に隠してその生活を質素にし、一切万事控目にして世間の耳目に触れざるの覚悟こそ本意なれ。 これを要するに維新の際、脱走の一挙に失敗したるは、氏が政治上の死にして、たといその肉体の身は死せざるも最早政治上に再生すべからざるものと観念して唯一身を慎み、一は以て同行戦死者の霊を弔してまたその遺族の人々の不幸不平を慰め、また一には凡そ何事に限らず大挙してその首領の地位に在る者は、成敗共に責に任じて決してこれを遁るべからず、成ればその栄誉を専らにし敗すればその苦難に当るとの主義を明にするは、士流社会の風教上に大切なることなるべし。すなわちこれ我輩が榎本氏の出処に就き所望の一点にして、独り氏の一身の為めのみにあらず、国家百年の謀において士風消長の為めに軽々看過すべからざるところのものなり。 以上の立言は我輩が勝、榎本の二氏に向て攻撃を試みたるにあらず。謹んで筆鋒を寛にして苛酷の文字を用いず、以てその人の名誉を保護するのみか、実際においてもその智謀忠勇の功名をば飽くまでも認る者なれども、凡そ人生の行路に富貴を取れば功名を失い、功名を全うせんとするときは富貴を棄てざるべからざるの場合あり。二氏のごときは正しくこの局に当る者にして、勝氏が和議を主張して幕府を解きたるは誠に手際よき智謀の功名なれども、これを解きて主家の廃滅したるその廃滅の因縁が、偶ま以て一旧臣の為めに富貴を得せしむるの方便となりたる姿にては、たといその富貴は自から求めずして天外より授けられたるにもせよ、三河武士の末流たる徳川一類の身として考うれば、折角の功名手柄も世間の見るところにて光を失わざるを得ず。

現代語訳

古来の習慣に従えば、およそこの種の人は、世を遁れて出家し、死者の菩提を弔う例もありますが、今の世間の風潮で、出家して髪を落とすのも似合わないというなら、せめてその身を社会の目立たない所に隠して、生活を質素にし、何事も控えめにして、世間の耳目に触れないという覚悟こそが本意でしょう。 要するに、維新のとき、脱走の挙に失敗したのは、氏にとっての政治上の死であり、たとえ肉体は死ななくても、もはや政治の上に再び生きるべきではないと観念して、ただ一身を慎み、一つには同行して戦死した者の霊を弔い、またその遺族の不幸や不平を慰め、もう一つには、およそ何事であれ、大きな事業を起こしてその首領の地位にある者は、成功も失敗も共に責任を負って決してこれを逃れてはならず、成功すればその栄誉を独占し、失敗すればその苦難に当たる、という主義を明らかにすることが、士族社会の風教の上で大切なことでしょう。これこそ私が榎本氏の身の処し方について望む一点であり、ただ氏一身のためだけでなく、国家百年の計において、士風の消長のために、軽々しく見過ごすべきではないところです。 以上の言葉は、私が勝、榎本の二氏に対して攻撃を試みたものではありません。つつしんで筆の勢いをゆるめ、苛酷な文字を用いず、その人の名誉を守るばかりか、実際においても、その智謀や忠勇の功名はあくまで認めるものですが、およそ人生の行路には、富貴を取れば功名を失い、功名を全うしようとすれば富貴を捨てなければならない場合があります。二氏はまさにこの局面に当たる者で、勝氏が和議を主張して幕府を解体したのは、まことに手際のよい智謀の功名ですが、これを解体して主家が廃滅したその廃滅の因縁が、たまたま一人の旧臣に富貴を得させる手段となった形では、その富貴は自ら求めずに天から授けられたものだとしても、三河武士の末流である徳川一族の身として考えると、せっかくの功名手柄も、世間の見るところでは光を失わざるを得ません。

解説

福沢が榎本に望む身の処し方と、その原則が語られます。首領の地位にある者は成敗ともに責任を負い、成功すれば栄誉を独占し、失敗すれば苦難に当たるという主義です。そして、富貴を取れば功名を失い、功名を全うするなら富貴を捨てねばならない場合がある、と二者択一の厳しい論理を示します。現代の経営者や管理職にとっても責任の取り方は避けられない問いです。ただ、失敗した者を表舞台から退けるべきかは、再起の機会を重んじる立場からの異論もありえます。

この章句が説くこと

首領の責任政治上の死成敗功名富貴風教

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