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福沢諭吉小品集 / 瘠我慢の説・第13段

漢楚軍談のむかしと明治の今日とは世態固より同じからず。三千年前の項羽を以て今日の榎本氏を責るはほとんど無稽なるに似たれども、万古不変は人生の心情にして、氏が維新の朝に青雲の志を遂げて富貴得々たりといえども、時に顧みて箱館の旧を思い、当時随行部下の諸士が戦没し負傷したる惨状より、爾来家に残りし父母兄弟が死者の死を悲しむと共に、自身の方向に迷うて路傍に彷徨するの事実を想像し聞見するときは、男子の鉄腸もこれが為めに寸断せざるを得ず。夜雨秋寒うして眠就らず残燈明滅独り思うの時には、或は死霊生霊無数の暗鬼を出現して眼中に分明なることもあるべし。 蓋し氏の本心は、今日に至るまでもこの種の脱走士人を見捨てたるに非ず、その挙を美としてその死を憐まざるに非ず。今一証を示さんに、駿州清見寺内に石碑あり、この碑は、前年幕府の軍艦咸臨丸が、清水港に撃たれたるときに戦没したる春山弁造以下脱走士の為めに建てたるものにして、碑の背面に食人之食者死人之事の九字を大書して榎本武揚と記し、公衆の観に任して憚るところなきを見れば、その心事の大概は窺知るに足るべし。すなわち氏はかつて徳川家の食を食む者にして、不幸にして自分は徳川の事に死するの機会を失うたれども、他人のこれに死するものあるを見れば慷慨惆悵自から禁ずる能わず、欽慕の余り遂に右の文字をも石に刻したることならん。 すでに他人の忠勇を嘉みするときは、同時に自から省みて聊か不愉快を感ずるもまた人生の至情に免かるべからざるところなれば、その心事を推察するに、時としては目下の富貴に安んじて安楽豪奢余念なき折柄、また時としては旧時の惨状を懐うて慙愧の念を催おし、一喜一憂一哀一楽、来往常ならずして身を終るまで円満の安心快楽はあるべからざることならん。されば我輩を以て氏の為めに謀るに、人の食を食むの故を以て必ずしもその人の事に死すべしと勧告するにはあらざれども、人情の一点より他に対して常に遠慮するところなきを得ず。

新字:漢楚軍談のむかしと明治の今日とは世態固より同じからず。三千年前の項羽を以て今日の榎本氏を責るはほとんど無稽なるに似たれども、万古不変は人生の心情にして、氏が維新の朝に青雲の志を遂げて富貴得々たりといえども、時に顧みて箱館の旧を思い、当時随行部下の諸士が戦没し負傷したる惨状より、爾来家に残りし父母兄弟が死者の死を悲しむと共に、自身の方向に迷うて路傍に彷徨するの事実を想像し聞見するときは、男子の鉄腸もこれが為めに寸断せざるを得ず。夜雨秋寒うして眠就らず残灯明滅独り思うの時には、或は死霊生霊無数の暗鬼を出現して眼中に分明なることもあるべし。 蓋し氏の本心は、今日に至るまでもこの種の脱走士人を見捨てたるに非ず、その挙を美としてその死を憐まざるに非ず。今一証を示さんに、駿州清見寺内に石碑あり、この碑は、前年幕府の軍艦咸臨丸が、清水港に撃たれたるときに戦没したる春山弁造以下脱走士の為めに建てたるものにして、碑の背面に食人之食者死人之事の九字を大書して榎本武揚と記し、公衆の観に任して憚るところなきを見れば、その心事の大概は窺知るに足るべし。すなわち氏はかつて徳川家の食を食む者にして、不幸にして自分は徳川の事に死するの機会を失うたれども、他人のこれに死するものあるを見れば慷慨惆悵自から禁ずる能わず、欽慕の余り遂に右の文字をも石に刻したることならん。 すでに他人の忠勇を嘉みするときは、同時に自から省みて聊か不愉快を感ずるもまた人生の至情に免かるべからざるところなれば、その心事を推察するに、時としては目下の富貴に安んじて安楽豪奢余念なき折柄、また時としては旧時の惨状を懐うて慚愧の念を催おし、一喜一憂一哀一楽、来往常ならずして身を終るまで円満の安心快楽はあるべからざることならん。されば我輩を以て氏の為めに謀るに、人の食を食むの故を以て必ずしもその人の事に死すべしと勧告するにはあらざれども、人情の一点より他に対して常に遠慮するところなきを得ず。

書き下し

漢楚軍談のむかしと明治の今日とは世態固より同じからず。三千年前の項羽を以て今日の榎本氏を責るはほとんど無稽なるに似たれども、万古不変は人生の心情にして、氏が維新の朝に青雲の志を遂げて富貴得々たりといえども、時に顧みて箱館の旧を思い、当時随行部下の諸士が戦没し負傷したる惨状より、爾来家に残りし父母兄弟が死者の死を悲しむと共に、自身の方向に迷うて路傍に彷徨するの事実を想像し聞見するときは、男子の鉄腸もこれが為めに寸断せざるを得ず。夜雨秋寒うして眠就らず残灯明滅独り思うの時には、或は死霊生霊無数の暗鬼を出現して眼中に分明なることもあるべし。 蓋し氏の本心は、今日に至るまでもこの種の脱走士人を見捨てたるに非ず、その挙を美としてその死を憐まざるに非ず。今一証を示さんに、駿州清見寺内に石碑あり、この碑は、前年幕府の軍艦咸臨丸が、清水港に撃たれたるときに戦没したる春山弁造以下脱走士の為めに建てたるものにして、碑の背面に食人之食者死人之事の九字を大書して榎本武揚と記し、公衆の観に任して憚るところなきを見れば、その心事の大概は窺知るに足るべし。すなわち氏はかつて徳川家の食を食む者にして、不幸にして自分は徳川の事に死するの機会を失うたれども、他人のこれに死するものあるを見れば慷慨惆悵自から禁ずる能わず、欽慕の余り遂に右の文字をも石に刻したることならん。 すでに他人の忠勇を嘉みするときは、同時に自から省みて聊か不愉快を感ずるもまた人生の至情に免かるべからざるところなれば、その心事を推察するに、時としては目下の富貴に安んじて安楽豪奢余念なき折柄、また時としては旧時の惨状を懐うて慚愧の念を催おし、一喜一憂一哀一楽、来往常ならずして身を終るまで円満の安心快楽はあるべからざることならん。されば我輩を以て氏の為めに謀るに、人の食を食むの故を以て必ずしもその人の事に死すべしと勧告するにはあらざれども、人情の一点より他に対して常に遠慮するところなきを得ず。

現代語訳

漢楚の軍談の昔と明治の今日とでは、世の中の様子はもとより同じではありません。三千年前の項羽をもって今日の榎本氏を責めるのは、ほとんど根拠のないことに見えるかもしれません。しかし、人の心情は万古変わらないものです。氏が維新の朝に立身出世の志を遂げて富貴を得て得意であっても、ふと箱館の昔を思い、当時従った部下の諸士が戦没し負傷した惨状から、その後、家に残った父母兄弟が死者の死を悲しむと同時に、自分自身の行く先に迷って路傍をさまよう事実を想像し、見聞きするときは、男子の鉄のような腸も、そのためにずたずたに切れずにはいられないでしょう。夜の雨が降り秋の寒さに眠れず、消え残る灯が明滅する中、独り思いにふけるときには、あるいは死んだ者や生きている者の亡霊が、無数の暗鬼となって、目の前にはっきりと現れることもあるでしょう。 おそらく氏の本心は、今日に至るまでも、この種の脱走した士人を見捨てたわけではなく、その挙を立派と思い、その死を憐れまないわけではありません。ここに一つの証拠を示しましょう。駿州の清見寺の境内に石碑があります。この碑は、先年、幕府の軍艦咸臨丸が清水港で撃たれたときに戦没した、春山弁造以下の脱走士のために建てたものです。碑の背面には、食人之食者死人之事の九字を大書して、榎本武揚と記し、公衆の目に任せてはばかるところがありません。これを見れば、その心中の大体は窺い知るに足ります。つまり氏はかつて徳川家の禄を食んだ者で、不幸にして自分は徳川の事に死ぬ機会を失いましたが、他人がこれに死ぬのを見ると、憤り悲しむ気持ちを自ら禁じ得ず、敬い慕うあまりについに右の文字を石に刻んだのでしょう。 既に他人の忠勇を褒め称えるときは、同時に自分を省みて、少し不愉快を感じるのもまた人情として免れないところですから、その心中を推察すると、ある時は目下の富貴に安んじて安楽と豪奢に余念がないとき、またある時は昔の惨状を思って恥じる念を起こし、一喜一憂、一哀一楽が常なく行き来して、一生を終えるまで円満な安心と快楽はないでしょう。ですから私が氏のために考えるに、人の禄を食んだからといって、必ずその人のために死ぬべきだと勧告するわけではありませんが、人情の一点から、他に対して常に遠慮するところがなければなりません。

解説

榎本批判を、時代を超えた人情の問題として語る段です。福沢は、三千年前の項羽を持ち出すのは無理があるかもしれないが人の心は変わらないと述べ、榎本自身が戦没者の碑に揮毫した事実から、彼の本心は仲間を見捨てていないと認めます。だからこそ心の内の葛藤を推察し、遠慮が必要だと説きます。批判の相手にも一定の理解を示す書き方は、現代の振り返りの場面にも通じます。ただし本人の内心を推し量る論は、証拠が限られる点に注意が要ります。

この章句が説くこと

人情慚愧咸臨丸清見寺遠慮榎本武揚

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