福沢諭吉小品集 / 徳育如何・第11段
然るにその国人のもっとも尊崇する徳教は何ものなるぞと尋ぬるに、支那人も聖人の書を読みて忠孝の教を重んじ、日本人もまた然り。ひとしく同一の徳教を奉じてその徳育を蒙る者が、人事の実際においてはまったく反対の事相を呈す。怪しむべきに非ずや。ひっきょう、徳教の働は、その国の輿論に妨なき限界にまで達して、それ以上に運動するを得ざるの実証なり。もしもこの限界を越ゆるときは、徳教の趣を変じて輿論に適合し、その意味を表裏・陰陽に解して、あたかも輿論に差支なきの姿を装い、もってその体をまっとうするの実を見るべし。蛮夷、夏を乱だるは聖人の憂うるところなれども、その聖人国を蛮夷に奪われたるは今の大清なれども、大清の人民もまた聖人の書をもって教となすべし。徳川政府も忠義の道をもって天朝に奉じて、まことに忠義なりしかども、末年にいたり公議輿論をもってその政府を倒せば、これを倒したる者もまた、まことに忠義なり。ゆえに支那にて士人の去就を自在にすれば聖人に称せられ、日本にて同様の事を行えば聖人の教に背くとて、これを咎むべし。 蛮夷が中華を乱だるも、聖人の道をもってこれを防ぐべし。すでにこれを乱だりてこれを押領したるうえは、また、聖人の道をもってこれを守るべし。敵のためにも可なり、味方のためにも可なり。その働くべき部分の内にありて自由に働をたくましゅうし、輿論にあえばすなわち装を変ずべし。これすなわち聖教の聖教たるゆえんにして、尋常一様、小儒輩の得て知るところに非ざるなり。(孟子に放伐論ありなどとて、その書を忌むが如きも小儒の考にして、笑うに堪えたるものなり。数百年間、日本人が孟子を読みて、これがために不臣の念を起したるものあるを聞かず。書中の一字一句、もって人心を左右するにたるものなりとすれば、君臣の義理固き我が国において、十二君に歴事し公山仏の召にも応ぜんとしたる孔子の書を読むもまた不都合ならん。※々然たる儒論、取るに足らざるなり。)
書き下し
然るにその国人のもっとも尊崇する徳教は何ものなるぞと尋ぬるに、支那人も聖人の書を読みて忠孝の教を重んじ、日本人もまた然り。ひとしく同一の徳教を奉じてその徳育を蒙る者が、人事の実際においてはまったく反対の事相を呈す。怪しむべきに非ずや。ひっきょう、徳教の働は、その国の輿論に妨なき限界にまで達して、それ以上に運動するを得ざるの実証なり。もしもこの限界を越ゆるときは、徳教の趣を変じて輿論に適合し、その意味を表裏・陰陽に解して、あたかも輿論に差支なきの姿を装い、もってその体をまっとうするの実を見るべし。蛮夷、夏を乱だるは聖人の憂うるところなれども、その聖人国を蛮夷に奪われたるは今の大清なれども、大清の人民もまた聖人の書をもって教となすべし。徳川政府も忠義の道をもって天朝に奉じて、まことに忠義なりしかども、末年にいたり公議輿論をもってその政府を倒せば、これを倒したる者もまた、まことに忠義なり。ゆえに支那にて士人の去就を自在にすれば聖人に称せられ、日本にて同様の事を行えば聖人の教に背くとて、これを咎むべし。 蛮夷が中華を乱だるも、聖人の道をもってこれを防ぐべし。すでにこれを乱だりてこれを押領したるうえは、また、聖人の道をもってこれを守るべし。敵のためにも可なり、味方のためにも可なり。その働くべき部分の内にありて自由に働をたくましゅうし、輿論にあえばすなわち装を変ずべし。これすなわち聖教の聖教たるゆえんにして、尋常一様、小儒輩の得て知るところに非ざるなり。(孟子に放伐論ありなどとて、その書を忌むが如きも小儒の考にして、笑うに堪えたるものなり。数百年間、日本人が孟子を読みて、これがために不臣の念を起したるものあるを聞かず。書中の一字一句、もって人心を左右するにたるものなりとすれば、君臣の義理固き我が国において、十二君に歴事し公山仏の召にも応ぜんとしたる孔子の書を読むもまた不都合ならん。※々然たる儒論、取るに足らざるなり。)
現代語訳
ところがその国の人々がもっとも尊崇する徳の教えは何かと尋ねると、支那人も聖人の書を読んで忠孝の教えを重んじ、日本人もまた同じである。同じ徳の教えを奉じてその徳育を受けた者が、人事の実際ではまったく反対の様相を示す。不思議ではないか。結局、徳の教えの働きは、その国の世論に妨げのない限界まで達して、それ以上には動けないということの証拠である。もしこの限界を越えるときは、徳の教えは趣を変じて世論に適合し、その意味を表裏・陰陽に解釈して、あたかも世論に差し支えないような姿を装い、それによってその体裁を全うする実情が見られる。蛮夷が中華を乱すのは聖人の憂えるところであるが、その聖人の国を蛮夷に奪われたのが今の大清であり、しかし大清の人民もまた聖人の書を教えとしている。徳川政府も忠義の道をもって天朝に奉じ、まことに忠義であったが、末年に至って世論によってその政府を倒せば、これを倒した者もまた、まことに忠義である。だから支那で士人の去就を自由にすれば聖人に称賛され、日本で同じことを行えば聖人の教えに背くといって、これをとがめるのである。 蛮夷が中華を乱すのも、聖人の道でこれを防ぐべきだという。すでにこれを乱してこれを領有した以上は、また聖人の道でこれを守るべきだという。敵のためにもよく、味方のためにもよい。その働くべき範囲の内で自由に働きを強め、世論に合わなければ装いを変える。これこそ聖人の教えが聖人の教えたるゆえんであって、ありきたりの小儒たちが知り得るところではない。(孟子に放伐論があるといって、その書を忌むようなことも小儒の考えで、笑うに堪えない。数百年間、日本人が孟子を読んで、そのために臣下にあるまじき念を起こした者がいるとは聞かない。書中の一字一句が人の心を左右するに足るものだとすれば、君臣の義理が堅い我が国で、十二の君主に仕え、公山弗擾の招きにも応じようとした孔子の書を読むのもまた不都合だろう。こうした堅苦しい儒者の議論は、取るに足りない。)
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
史記 季布欒布列伝斉に使ひし、未だ還らざるに、漢彭越を召し、責むるに謀反を以てし、三族を夷す。已にして彭越の頭を雒陽の下に梟し、詔して曰く「敢へて収め視る者有らば、輒ち之を捕へよ」と。布斉より還り、事を彭越の頭の下に奏し、祠りて之を哭す。吏布を捕へて以聞す。上布を召し、罵りて曰く「若彭越と反するか。吾人を禁じて収むる勿からしむるに、若独り祠りて之を哭す、越と反すること明らかなり。趣やかに之を亨よ」と。方に提げて湯に趣くに、布顧みて曰く「願はくは一言して死せん」と。上曰く「何をか言はん」と。布曰く「方に上の彭城に困しみ、滎陽・成皋の間に敗るるに、項王の遂に西する能はざる所以は、徒だ彭王梁の地に居り、漢と合従して楚を苦しむるを以てなり。是の時に当たり、彭王一たび顧みて、楚に与せば則ち漢破れ、漢に与せば楚破れん。且つ垓下の会、彭王微かりせば、項氏亡びず。天下已に定まり、彭王符を剖き封を受く、亦た之を万世に伝へんと欲す。今陛下一たび兵を梁に徴し、彭王病みて行かず、而るに陛下疑ひて以て反と為す、反の形未だ見えざるに、苛小の案を以て之を誅滅す、臣恐らくは功臣人人自ら危ぶまん。今彭王已に死す、臣生くるは死するに如かず、請ふ亨に就かん」と。是に於て上乃ち布の罪を釈し、拝して都尉と為す。孝文の時、燕の相と為り、将軍に至る。布乃ち称して曰く「窮困して身を辱め志を下す能はざるは、人に非ず。富貴にして意を快くする能はざるは、賢に非ず」と。是に於て嘗て徳有る者には厚く之に報い、怨み有る者には必ず法を以て之を滅す。呉・楚反せし時、軍功を以て兪侯に封ぜられ、復た燕の相と為る。燕・斉の間皆欒布の為に社を立て、欒公社と号す。景帝中五年薨ず。子賁嗣ぎ、太常と為り、犠牲令の如くならず、国除かる。太史公曰く、項羽の気を以てして、季布勇を以て楚に顕はれ、身ら軍を屨みて旗を搴ること数々なり、壮士と謂ふべし。然れども刑戮を被り、人の奴と為りて死せざるに至るは、何ぞ其の下れるや。
-
史記 刺客列伝居ること頃之、豫譲又身に漆して厲と為り、炭を呑みて唖と為り、形状をして知るべからざらしめ、市に行乞す。其の妻識らざるなり。行きて其の友に見ゆ。其の友之を識りて曰く、「汝は豫譲に非ずや」と。曰く、「我是なり」と。其の友為に泣きて曰く、「子の才を以て、質を委ねて臣として襄子に事へば、襄子必ず子を近幸せん。子を近幸せば、乃ち欲する所を為すこと、顧って易からずや。何ぞ乃ち身を残し形を苦しめ、以て襄子に報ぜんことを求めんと欲する。亦難からずや」と。豫譲曰く、「既已に質を委ねて臣として人に事へ、而して之を殺さんことを求むるは、是れ二心を懐きて以て其の君に事ふるなり。且つ吾が為す所の者は極めて難きのみ。然れども此を為す所以の者は、将に以て天下後世の人臣と為りて二心を懐きて以て其の君に事ふる者を愧ぢしめんとするなり」と。既に去り、頃之、襄子当に出づべし。豫譲、当に過ぐべき所の橋の下に伏す。襄子橋に至り、馬驚く。襄子曰く、「此れ必ず是れ豫譲ならん」と。人をして之を問はしむれば、果して豫譲なり。是に於て襄子乃ち豫譲を数めて曰く、「子は嘗て范・中行氏に事へずや。智伯尽く之を滅ぼす。而るに子は為に讎を報ぜず、而して反って質を委ねて智伯に臣たり。智伯も亦已に死せり。而るに子独り何を以て之が為に讎を報ずることの深きや」と。豫譲曰く、「臣、范・中行氏に事ふ。范・中行氏は皆衆人もて我を遇す。我故に衆人もて之に報ず。智伯に至りては、国士もて我を遇す。我故に国士もて之に報ず」と。襄子喟然として嘆息して泣きて曰く、「嗟乎豫子。子の智伯の為にする、名既に成れり。而して寡人の子を赦す、亦已に足れり。子其れ自ら計を為せ。寡人復た子を釈さず」と。兵をして之を囲ましむ。豫譲曰く、「臣聞く、明主は人の美を掩はず、而して忠臣は名に死するの義有りと。前に君已に寛く臣を赦し、天下君の賢を称せざる莫し。今日の事、臣固より誅に伏せん。然れども願はくは君の衣を請ひて之を撃ち、以て讎を報ずるの意を致さば、則ち死すと雖も恨みず。敢て望む所に非ざるなり。敢て腹心を布く」と。是に於て襄子大いに之を義とし、乃ち使をして衣を持ちて豫譲に与へしむ。豫譲剣を抜きて三たび躍りて之を撃ち、
-
史記 范雎蔡沢列伝蔡沢曰く、「若し夫れ秦の商君、楚の呉起、越の大夫種、その卒然たるもまた願ふべきか」と。応侯、蔡沢の己を困しめて以て説かんと欲するを知り、また謬りて曰く、「何為れぞ不可ならん。夫れ公孫鞅の孝公に事ふるや、身を極めて貳慮無く、公を尽くして私を顧みず。刀鋸を設けて以て姦邪を禁じ、賞罰を信にして以て治を致す。腹心を披き、情素を示し、怨咎を蒙り、旧友を欺き、魏の公子卬を奪ひ、秦の社稷を安んじ、百姓を利し、卒に秦の為に将を禽にし敵を破り、地を攘ふこと千里。呉起の悼王に事ふるや、私をして公を害するを得ざらしめ、讒をして忠を蔽ふを得ざらしめ、言は茍合を取らず、行ひは茍容を取らず、危ふきが為に行ひを易へず、義を行ひて難を辟けず、然して霸主の為に国を彊くし、禍凶を辞せず。大夫種の越王に事ふるや、主困辱すと雖も、忠を悉くして解らず、主絶亡すと雖も、能を尽くして離れず、功を成して矜らず、貴富にして驕怠せず。此の三子の若き者は、固より義の至りなり、忠の節なり。是の故に君子は義を以て難に死し、死を視ること帰するが如し。生きて辱めらるるは死して栄あるに如かず。士は固より身を殺して以て名を成す有り、義の在る所と雖も、死すと雖も恨む所無し。何為れぞ不可ならんや」と。蔡沢曰く、「主聖に臣賢なるは、天下の盛福なり。君明に臣直なるは、国の福なり。父慈に子孝に、夫信に妻貞なるは、家の福なり。故に比干は忠なれども殷を存する能はず、子胥は智なれども呉を完くする能はず、申生は孝なれども晋国乱る。是れ皆忠臣孝子有りて、国家滅乱する者は、何ぞや。明君賢父以てこれを聴く無し。故に天下その君父を以て僇辱と為してその臣子を憐れむ。今、商君・呉起・大夫種の人臣たるは、是なり。その君は非なり。故に世に三子は功を致して徳とせられずと称す、豈に世に遇はずして死するを慕はんや。
-
史記 蒙恬列伝蒙恬に令して曰く、「君の過ち多し。而して卿の弟毅大罪有り。法内史に及ぶ」と。恬曰く、「吾が先人より、子孫に及ぶまで、功信を秦に積むこと三世なり。今臣兵三十余万を将ゐ、身は囚系せらると雖も、其の勢以て倍畔するに足る。然れども自ら必ず死するを知りて義を守る者は、敢て先人の教へを辱めず、以て先主を忘れざればなり。昔周の成王初めて立ち、未だ襁緥を離れず、周公旦王を負ひて以て朝し、卒に天下を定む。成王病有りて甚だ殆きに及び、公旦自ら其の爪を揃りて以て河に沈め、曰く、『王未だ識有らず、是れ旦事を執る。罪殃有らば、旦其の不祥を受けん』と。乃ち書して之を記府に蔵す。信と謂ふべし。王の能く国を治むるに及び、賊臣有りて言ふ、『周公旦乱を為さんと欲すること久し。王若し備へずんば、必ず大事有らん』と。王乃ち大いに怒り、周公旦走りて楚に奔る。成王記府を観て、周公旦の沈書を得、乃ち流涕して曰く、『孰か周公旦の乱を為さんと欲すと謂ふや』と。之を言ふ者を殺して周公旦を反す。故に周書に曰く『必ず参にして之を伍にせよ』と。今恬の宗、世々二心無し。而して事卒に此の如し。是れ必ず孽臣の逆乱、内陵の道なり。夫れ成王は失ひて復た振るひ、則ち卒に昌ゆ。桀は関竜逢を殺し、紂は王子比干を殺して悔いず、身死して則ち国亡ぶ。臣故に曰く、過ちは振ふべく諫めは覚るべしと。参伍を察するは、上聖の法なり。凡そ臣の言は、以て咎を免れんことを求むるに非ず、将に以て諫めて死せんとす。願はくは陛下万民の為に道に従ふを思へ」と。
-
史記 張耳陳余列伝遂に死す。此の時に当り、名天下に聞こゆ。張敖已に出で、魯元公主を尚りし故を以て、封じて宣平侯と為す。是に於て上張王の諸客を賢とし、鉗奴を以て張王に従ひて関に入りし者、諸侯の相・郡守と為らざる無し。孝恵・高后・文帝・孝景の時に及び、張王の客の子孫皆二千石と為るを得たり。張敖は、高后の六年に薨ず。子偃魯元王と為る。母の呂后の女なる故を以て、呂后封じて魯元王と為す。元王弱く、兄弟少なし。乃ち張敖の他姫の子二人を封ず。寿は楽昌侯と為り、侈は信都侯と為る。高后崩じ、諸呂無道なり。大臣之を誅し、而して魯元王及び楽昌侯・信諸侯を廃す。孝文帝即位し、復た故の魯元王偃を封じて南宮侯と為し、張氏を続がしむ。
-
説苑・立節晋の献公の時、士有り、狐突と曰う。太子申生に傅たり。公驪姫を立てて夫人と為し、国憂い多し。狐突疾と称して出でず。六年、献公譖を以て太子を誅す。太子将に死せんとし、人をして狐突に謂わしめて曰わく、「吾が君老いたり、国家難多し。傅一たび出でて以て吾が君を輔けよ。申生賜を受けて以て死すとも恨みず」と。再拝稽首して死す。狐突乃ち復た献公に事う。三年、献公卒す。狐突諸大夫に辞して曰わく、「突太子の詔を受く。今事終われり。其の久しく乱世に生くるよりは、死して太子に報ゆるに若かず」と。乃ち帰りて自殺す。
人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る