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福沢諭吉小品集 / 徳育如何・第8段

はなはだしきは道徳教育論に喋々するその本人が、往々開進の風潮に乗じて、利を射り、名を貪り、犯すべからざるの不品行を犯し、忍ぶべからざるの刻薄を忍び、古代の縄墨をもって糺すときは、父子君臣、夫婦長幼の大倫も、あるいは明を失して危きが如くなるも、なおかつ一世を瞞着して得々横行すべきほどの、この有力なる開進風潮の中にいながら、学校教育の一局部を変革して、もって現在の世態を左右せんと欲するが如きは、肥料の一品を加減して草木の生々を自在にせんとする者に異ならず。 たとい、あるいはその教育も、他の人事とともに歩をともにして進退するときは、すこぶる有力なる方便なりというも、その効験の現わるるはきわめて遅々たるものにして、肥料の草木におけるが如くなるを得ず。ますますその迂闊なるを見るべきのみ。 されば今の世の子弟が不遜軽躁なることもあらば、その不遜軽躁は天下の大教場たる公議輿論をもって教えたるものなれば、この教場の組織を変革するに非ざれば、その弊を矯るによしなし。而してその変革に着手せんとするも、今日の勢において、よく導きて古に復するを得べきや。今の法律を改めて旧套に返るべきや。平民の乗馬を禁ずべきや。次三男の自主独立をとどむべきや。 これを要するに、開進の今日に到着して、かえりみて封建世禄の古制に復せんとするは、喬木より幽谷に移るものにして、何等の力を用うるも、とうてい行わるべからざることと断定せざるをえず。目今その手段を求めて得ざるものなり。論者といえども自から明らかに知るところならん。すでに大教場の変革に手段なきを知らば、局部の学校を変革するも無益なるや明らかなり。ゆえに我が輩は今の世態に満足する者に非ず、少年子弟の不遜軽躁なるを見て、これを賛誉する者に非ずといえども、その局部について直接に改良を求めず、天下の公議輿論にしたがいてこれを導き、自然にその行くところに行かしめ、その止まるところに止まらしめ、公議輿論とともに順に帰せしむること、流にしたがいて水を治むるが如くならんことを欲する者なり。

書き下し

はなはだしきは道徳教育論に喋々するその本人が、往々開進の風潮に乗じて、利を射り、名を貪り、犯すべからざるの不品行を犯し、忍ぶべからざるの刻薄を忍び、古代の縄墨をもって糺すときは、父子君臣、夫婦長幼の大倫も、あるいは明を失して危きが如くなるも、なおかつ一世を瞞着して得々横行すべきほどの、この有力なる開進風潮の中にいながら、学校教育の一局部を変革して、もって現在の世態を左右せんと欲するが如きは、肥料の一品を加減して草木の生々を自在にせんとする者に異ならず。 たとい、あるいはその教育も、他の人事とともに歩をともにして進退するときは、すこぶる有力なる方便なりというも、その効験の現わるるはきわめて遅々たるものにして、肥料の草木におけるが如くなるを得ず。ますますその迂闊なるを見るべきのみ。 されば今の世の子弟が不遜軽躁なることもあらば、その不遜軽躁は天下の大教場たる公議輿論をもって教えたるものなれば、この教場の組織を変革するに非ざれば、その弊を矯るによしなし。而してその変革に着手せんとするも、今日の勢において、よく導きて古に復するを得べきや。今の法律を改めて旧套に返るべきや。平民の乗馬を禁ずべきや。次三男の自主独立をとどむべきや。 これを要するに、開進の今日に到着して、かえりみて封建世禄の古制に復せんとするは、喬木より幽谷に移るものにして、何等の力を用うるも、とうてい行わるべからざることと断定せざるをえず。目今その手段を求めて得ざるものなり。論者といえども自から明らかに知るところならん。すでに大教場の変革に手段なきを知らば、局部の学校を変革するも無益なるや明らかなり。ゆえに我が輩は今の世態に満足する者に非ず、少年子弟の不遜軽躁なるを見て、これを賛誉する者に非ずといえども、その局部について直接に改良を求めず、天下の公議輿論にしたがいてこれを導き、自然にその行くところに行かしめ、その止まるところに止まらしめ、公議輿論とともに順に帰せしむること、流にしたがいて水を治むるが如くならんことを欲する者なり。

現代語訳

はなはだしいのは、道徳教育論をやかましく唱えるその本人が、しばしば開化進歩の風潮に乗じて、利益を追い、名誉をむさぼり、犯してはならない不品行を犯し、耐えてはならない薄情に耐え、古代の規範で正せば、父子・君臣・夫婦・長幼の大きな人倫も、あるいは明らかさを失って危ういように見えるのに、なおかつ一世を欺いて得意げに横行できるほどの、この有力な開化進歩の風潮の中にいながら、学校教育の一局部を変えることで現在の世の中を左右しようとするのは、肥料の一品を加減して草木の成長を思いのままにしようとする者と異ならない。 たとえその教育も、他の人事とともに歩調を合わせて進退するなら、かなり有力な手段だとしても、その効き目の現れるのは非常に遅く、肥料が草木に効くようにはいかない。ますますその見当違いが見て取れるだけである。 だから今の世の子弟が不遜で軽はずみなことがあるなら、その不遜軽はずみは天下の大教室である世論が教えたものであるから、この教室の組織を変えなければ、その弊害を正す方法はない。そしてその変革に着手しようとしても、今日の勢いで、うまく導いて昔に戻すことができるだろうか。今の法律を改めて旧来の型に返せるだろうか。平民の乗馬を禁じられるだろうか。次男三男の自主独立を押しとどめられるだろうか。 つまり、開化進歩の今日に至って、かえりみて封建世禄の古い制度に戻ろうとするのは、高い木から深い谷に移るようなもので、どんな力を用いても、とうてい行えないことと断定せざるをえない。今その手段を求めても得られない。論者自身もはっきり知っているところだろう。すでに大教室の変革に手段がないと知る以上は、局部の学校を変革しても無益であることは明らかである。だから我々は今の世の中に満足する者ではなく、少年子弟の不遜軽はずみを見てこれをほめる者でもないが、その局部について直接の改良を求めず、天下の世論に従ってこれを導き、自然にその行く所に行かせ、その止まる所に止まらせ、世論とともに順に帰らせること、流れに従って水を治めるようにしたいと願う者である。

解説

道徳教育を唱える本人たちが利と名を求める風潮の中にいながら、学校の一部だけを変えて世を動かそうとするのは、肥料の加減で草木を操るようなものだと福沢は批判します。そのうえで、世論という大教室の流れに従って導く「流れにしたがいて水を治める」方針を示します。組織の風土を変えずに研修だけで行動を変えようとする難しさと重なる一節です。福沢の処方がすべて正しいとは限りませんが、教育万能論への冷静な批判として読む価値があります。

この章句が説くこと

大教場公議輿論流れにしたがいて水を治む肥料封建の復古局部の改良

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