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福沢諭吉小品集 / 経世の学、また講究すべし・第4段

たとえば今ここに一種の学校を設けて、まったく経世の学を禁じ、政治・経済の書を禁じ、また歴史をも禁じて、生徒を養うこと数年の後は必ず成業にいたらん。その時において、生徒の所得は理学・徳学にして、純然たる良民たる者ならん。然るに、この良民が家にありて一部の経世書を読むか、または外に出でて一夜の政談演説を聴き、しかもその書、その演説は、すこぶる詭激奇抜の民権論にして、人を驚かすに足るものとせん。ここにおいて、かの良民は如何の感をなすべきや。聾盲とみに耳目を開きて声色に逢うが如く、一時は心事を顛覆するや必せり。心事顛覆したり、また判断の明識あるべからず。かくの如きはすなわち、辛苦数年、順良の生徒を養育して、一夜の演説、もってその所得を一掃したるものというべし。 ただにこれを一掃するのみならず、順良の極度より詭激の極度に移るその有様は、かの仏蘭西北部の人が葡萄酒に酔い、菓子屋の丁稚が甘に耽るが如く、底止するところを知らざるにいたるべし。人を順良にせんとするの方便は、たまたまこれを詭激に導くの助けをなし、目的の齟齬する、これよりはなはだしきはなし。ひっきょう、社会は活世界にして、学校に教うる者も活物なれば、学ぶ者もまた活物なり。この活物の運動は、親子の間柄にてもなおかつ自由ならざるものあり。いわんや他人の子を教うるにおいてをや。決して意の如くなるべからざるなり。 学校の教育は、決して教者の意の如くなるべきものに非ず。すでに不如意なるを知らば、その不如意に処するの法を案ずるこそ緊要なれ。前にいえる如く、少年輩がややもすれば経世の議論を吐き、あるいは流行の政談に奔走して、無益に心身を労し、はなはだしきは国安妨害の弊に陥るが如きは、元とその輩の無勘弁なるがためなり。その無勘弁の原因は何ぞや。真成の経世論を知らざるがためなり。詭激の経世論、もとより厭うべしといえども、その論者はこれを知るがゆえに論ずるに非ず、知らざるがゆえにこれを論ずるのみ。

書き下し

たとえば今ここに一種の学校を設けて、まったく経世の学を禁じ、政治・経済の書を禁じ、また歴史をも禁じて、生徒を養うこと数年の後は必ず成業にいたらん。その時において、生徒の所得は理学・徳学にして、純然たる良民たる者ならん。然るに、この良民が家にありて一部の経世書を読むか、または外に出でて一夜の政談演説を聴き、しかもその書、その演説は、すこぶる詭激奇抜の民権論にして、人を驚かすに足るものとせん。ここにおいて、かの良民は如何の感をなすべきや。聾盲とみに耳目を開きて声色に逢うが如く、一時は心事を顛覆するや必せり。心事顛覆したり、また判断の明識あるべからず。かくの如きはすなわち、辛苦数年、順良の生徒を養育して、一夜の演説、もってその所得を一掃したるものというべし。 ただにこれを一掃するのみならず、順良の極度より詭激の極度に移るその有様は、かの仏蘭西北部の人が葡萄酒に酔い、菓子屋の丁稚が甘に耽るが如く、底止するところを知らざるにいたるべし。人を順良にせんとするの方便は、たまたまこれを詭激に導くの助けをなし、目的の齟齬する、これよりはなはだしきはなし。ひっきょう、社会は活世界にして、学校に教うる者も活物なれば、学ぶ者もまた活物なり。この活物の運動は、親子の間柄にてもなおかつ自由ならざるものあり。いわんや他人の子を教うるにおいてをや。決して意の如くなるべからざるなり。 学校の教育は、決して教者の意の如くなるべきものに非ず。すでに不如意なるを知らば、その不如意に処するの法を案ずるこそ緊要なれ。前にいえる如く、少年輩がややもすれば経世の議論を吐き、あるいは流行の政談に奔走して、無益に心身を労し、はなはだしきは国安妨害の弊に陥るが如きは、元とその輩の無勘弁なるがためなり。その無勘弁の原因は何ぞや。真成の経世論を知らざるがためなり。詭激の経世論、もとより厭うべしといえども、その論者はこれを知るがゆえに論ずるに非ず、知らざるがゆえにこれを論ずるのみ。

現代語訳

たとえば今ここに一種の学校を設け、まったく経世の学を禁じ、政治・経済の書を禁じ、歴史をも禁じて、生徒を数年養うなら、必ず卒業に至るでしょう。そのとき、生徒の習得したものは物理と道徳で、純然たる良民であるでしょう。ところが、この良民が家で一部の経世の書を読み、あるいは外に出て一夜の政談演説を聴き、しかもその書、その演説が、きわめて過激で奇抜な民権論で、人を驚かすに足るものだとします。そのとき、この良民はどのような感想を抱くでしょうか。耳の聞こえない者、目の見えない者が、にわかに耳目を開いて音や色に出会ったように、一時は心の中をひっくり返されるに違いありません。心の中がひっくり返ったなら、もう判断の明識などありえません。これは言ってみれば、何年も辛苦して素直な生徒を育てても、一夜の演説でその習得を一掃されてしまうということです。 一掃されるだけではありません。素直の極みから過激の極みへ移るその様子は、あのフランス北部の人が葡萄酒に酔い、菓子屋の丁稚が甘いものに耽るのと同じで、行き着くところを知らないでしょう。人を素直にしようとする方便が、たまたまこれを過激に導く助けとなり、目的に食い違うことこれよりはなはだしいものはありません。結局、社会は生きた世界で、学校で教えるものも生き物であり、学ぶ者もまた生き物です。この生き物の動きは、親子の間柄でさえ思うままにならないものがあります。ましてや他人の子を教えるにおいてはなおさらです。決して意のままになるものではありません。 学校の教育は、決して教える者の思いどおりになるものではありません。すでに思いどおりにならないと知ったなら、その思いどおりにならないものにどう対処するかを考えることが肝要です。前に言ったように、少年たちがややもすれば経世の議論を口にし、あるいは流行の政談に奔走して、無益に心身を労し、はなはだしくは治安を妨げる弊害に陥るのは、もともとその者たちに分別がないためです。その分別のない原因は何でしょうか。真の経世論を知らないためです。過激な経世論はもとより嫌うべきものですが、その論者は知っているから論じるのではなく、知らないから論じるにすぎません。

解説

経世の学を禁じた学校で育てた良民が、一夜の過激な演説で心を覆される、という想定です。禁じて守るほど、触れたときの反動は大きいと福沢は論じます。教育は生き物の営みで、教える側の思いどおりにならない、という認識が重要です。過激な議論をする人は、知っているから論じるのではなく、知らないから論じるのだという指摘も鋭いものです。現代でも、情報を遮るほど極端な意見に流れやすくなることがあります。なお「聾盲」は当時の比喩で、今日の感覚とは異なります。

この章句が説くこと

詭激民権論活物不如意真成の経世論演説

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