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福沢諭吉小品集 / 徳育如何・第3段

俚諺にいわく、「門前の小僧習わぬ経を読む」と。けだし寺院のかたわらに遊戯する小童輩は、自然に仏法に慣れてその臭気を帯ぶるとの義ならん。すなわち仏の気風に制しらるるものなり。仏の風にあたれば仏に化し、儒の風にあたれば儒に化す。周囲の空気に感じて一般の公議輿論に化せらるるの勢は、これを留めんとして駐むべからず。いかなる独主独行の士人といえども、この間にひとりするを得ざるは、伝染病の地方にいて、ひとりこれを免かるるの術なきが如し。独立の品行、まことに嘉みすべしといえども、おのずからその限りあるものにして、限界を超えて独立せんとするも、人間生々の中にありて決して行わるべきことに非ず。 たとえば言語の如し。一地方にありて独立独行、百事他人に殊なりと称する人にても、その言語には方言を用い、壁を隔ててこれを聞くも、某地方の人たるを知るべし。今この方言は誰れに学びたりやと尋ぬるに、これを教えたる者なし。教うる者なくしてこれを知る。すなわち地方の空気に学びたるものと言わざるをえず。あるいは空気の力に迫られたるものというも可なり。ただに方言のみならず、衣服、飲食の品類より、家屋・庭園・装飾・玩弄の物にいたるまでも、一時一世の流行にほかなるを得ず。流行のものを衣服し、流行のものを飲食し、流行の家屋におり、流行の物を弄ぶ。 この点より見れば、人はあたかも社会の奴隷にして、その圧制を蒙り、毫も自由を得ざるものにして、いかなる有力の士人にても、古今世界にこの圧制を免かれたる者あるを聞かざるなり。有形の物、皆然り。然らばすなわち無形の智徳にして、ひとり社会の圧制を免かるるの理あるべからず。教えずして知るの智あり、学ばずして得るの徳あり。ともに流行の勢にしたがいてその範囲を脱せず。社会はあたかも智徳の大教場というも可なり。この教場の中にありて区々の学校を見れば、如何なる学制あるも、如何なる教則あるも、その教育は、ただわずかに人心の一部分を左右するに足るべしとのことは、必ずしも知識をまちて然る後に知るべき事柄に非ざるなり。

書き下し

俚諺にいわく、「門前の小僧習わぬ経を読む」と。けだし寺院のかたわらに遊戯する小童輩は、自然に仏法に慣れてその臭気を帯ぶるとの義ならん。すなわち仏の気風に制しらるるものなり。仏の風にあたれば仏に化し、儒の風にあたれば儒に化す。周囲の空気に感じて一般の公議輿論に化せらるるの勢は、これを留めんとして駐むべからず。いかなる独主独行の士人といえども、この間にひとりするを得ざるは、伝染病の地方にいて、ひとりこれを免かるるの術なきが如し。独立の品行、まことに嘉みすべしといえども、おのずからその限りあるものにして、限界を超えて独立せんとするも、人間生々の中にありて決して行わるべきことに非ず。 たとえば言語の如し。一地方にありて独立独行、百事他人に殊なりと称する人にても、その言語には方言を用い、壁を隔ててこれを聞くも、某地方の人たるを知るべし。今この方言は誰れに学びたりやと尋ぬるに、これを教えたる者なし。教うる者なくしてこれを知る。すなわち地方の空気に学びたるものと言わざるをえず。あるいは空気の力に迫られたるものというも可なり。ただに方言のみならず、衣服、飲食の品類より、家屋・庭園・装飾・玩弄の物にいたるまでも、一時一世の流行にほかなるを得ず。流行のものを衣服し、流行のものを飲食し、流行の家屋におり、流行の物を弄ぶ。 この点より見れば、人はあたかも社会の奴隷にして、その圧制を蒙り、毫も自由を得ざるものにして、いかなる有力の士人にても、古今世界にこの圧制を免かれたる者あるを聞かざるなり。有形の物、皆然り。然らばすなわち無形の智徳にして、ひとり社会の圧制を免かるるの理あるべからず。教えずして知るの智あり、学ばずして得るの徳あり。ともに流行の勢にしたがいてその範囲を脱せず。社会はあたかも智徳の大教場というも可なり。この教場の中にありて区々の学校を見れば、如何なる学制あるも、如何なる教則あるも、その教育は、ただわずかに人心の一部分を左右するに足るべしとのことは、必ずしも知識をまちて然る後に知るべき事柄に非ざるなり。

現代語訳

ことわざに「門前の小僧、習わぬ経を読む」という。思うに、寺院のそばで遊ぶ子どもたちは、自然に仏法に慣れてその気を帯びるという意味だろう。つまり仏の気風に左右されているのである。仏の風にあたれば仏に化し、儒の風にあたれば儒に化す。周囲の空気に感じて世間一般の世論に変えられていく勢いは、止めようとしても止められない。どれほど独立独行の士であっても、この中でひとり離れていることはできず、それは伝染病の流行する地方にいて、ひとりだけそれを免れる術がないのと同じである。独立した品行はまことに尊ぶべきだが、おのずから限りがあるもので、限界を超えて独立しようとしても、人間社会の中にあっては決して行えることではない。 たとえば言葉がそうである。ある地方にいて、独立独行、万事他人と異なると言われる人でも、その言葉には方言を用い、壁を隔てて聞いても某地方の人だとわかる。では、この方言は誰に学んだのかと尋ねると、教えた者はいない。教える者がなくて知っている。つまり地方の空気に学んだと言わざるをえない。あるいは空気の力に迫られたと言ってもよい。方言ばかりでなく、衣服・飲食の品から、家屋・庭園・装飾・玩具の類に至るまで、その時代その世の流行にほかならない。流行のものを着て、流行のものを飲み食いし、流行の家に住み、流行の物をもてあそぶ。 この点から見れば、人はまるで社会の奴隷で、その圧制を受けて少しも自由がなく、どれほど有力な人でも、古今の世界でこの圧制を免れた者がいるとは聞かない。目に見える物がみなそうである。それならば、目に見えない知恵と徳だけが、社会の圧制を免れる理由があるはずがない。教えられなくても知る知恵があり、学ばなくても得る徳がある。ともに流行の勢いに従ってその範囲を出ない。社会はいわば知恵と徳の大きな教室だと言ってもよい。この教室の中で個々の学校を見れば、どんな学制があり、どんな教則があっても、その教育はわずかに人の心の一部分を左右できるにすぎないということは、必ずしも知識を待って初めてわかる事柄ではない。

解説

門前の小僧の諺から、人は周囲の空気や世論に染まり、完全な独立独行はありえないと福沢は説きます。方言や流行の例が巧みで、教わらずに身につく知と徳があるという指摘です。『学問のすすめ』で独立を説いた福沢が、独立の限界にも触れている点は興味深いところです。職場の暗黙のルールや空気が新人を育て、また縛る現実を考える手がかりになります。独立を尊びつつ、人は環境から離れられないという現実的な見方を、読み手は自分の経験で確かめられます。

この章句が説くこと

門前の小僧公議輿論流行方言社会の圧制大教場

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