福沢諭吉小品集 / 学者安心論・第3段
かくの如く、天下の人心を二流に分ち、今の政府はそのいずれの方にあるものなりやと尋ぬれば、口を放ちてこれを上流といわざるをえず。その明証は、世人誤って人事変革の原因をも政府に帰するに非ずや。この考はもとより誤ならん、政府はひとり変革の原因に非ざるべしといえども、その変革中の一部分たるは論をまたず、政府の精神は改進にあること明白なりというべし。然ばすなわち、いやしくも改進者流をもって自からおる者は、たとい官員にても平人にても、この政府の精神とともに方向をともにし、その改むるところを改め、その進むところに進み、次第に自家の境界を開きて前途に敵なく、ついには、かの守旧家の強きものをも、戦わずして我が境界の内に籠絡するの勢にいたるべきはずなるに、今日の事実において然らざるは何ぞや。その原因は他なし、この改進者流の人々が、おのおのその地位におりて心情の偏重を制すること能わず、些々たる地位の利害に眼をおおわれて事物の判断を誤り、現在の得失に終身の力を用いて、永遠重大の喜憂をかえりみざるによりて然るのみ。 内閣にしばしば大臣の進退あり、諸省府に時々官員の黜陟あり。いずれも皆、その局に限りてやむをえざるの情実に出でたることならん、珍しからぬことなれば、その得失を評するにも及ばず。余輩がとくにここに論ぜざるべからざるものは、かの改進者流の中にても、もっとも喧しき政談家のことなり。この政談家は、政府の内にもあり、また外にもあり。余輩は、その内外を問わず、その人の身分にかかわらず、一般にこれを日本国中一流の人民とみなしてこれを論ぜんと欲するなり。
書き下し
かくの如く、天下の人心を二流に分ち、今の政府はそのいずれの方にあるものなりやと尋ぬれば、口を放ちてこれを上流といわざるをえず。その明証は、世人誤って人事変革の原因をも政府に帰するに非ずや。この考はもとより誤ならん、政府はひとり変革の原因に非ざるべしといえども、その変革中の一部分たるは論をまたず、政府の精神は改進にあること明白なりというべし。然ばすなわち、いやしくも改進者流をもって自からおる者は、たとい官員にても平人にても、この政府の精神とともに方向をともにし、その改むるところを改め、その進むところに進み、次第に自家の境界を開きて前途に敵なく、ついには、かの守旧家の強きものをも、戦わずして我が境界の内に籠絡するの勢にいたるべきはずなるに、今日の事実において然らざるは何ぞや。その原因は他なし、この改進者流の人々が、おのおのその地位におりて心情の偏重を制すること能わず、些々たる地位の利害に眼をおおわれて事物の判断を誤り、現在の得失に終身の力を用いて、永遠重大の喜憂をかえりみざるによりて然るのみ。 内閣にしばしば大臣の進退あり、諸省府に時々官員の黜陟あり。いずれも皆、その局に限りてやむをえざるの情実に出でたることならん、珍しからぬことなれば、その得失を評するにも及ばず。余輩がとくにここに論ぜざるべからざるものは、かの改進者流の中にても、もっとも喧しき政談家のことなり。この政談家は、政府の内にもあり、また外にもあり。余輩は、その内外を問わず、その人の身分にかかわらず、一般にこれを日本国中一流の人民とみなしてこれを論ぜんと欲するなり。
現代語訳
このように天下の人心を二流に分けたとして、今の政府はそのどちらにあるのかと尋ねれば、はっきりと上流と言わざるをえません。その明らかな証拠は、世の人が、人事変革の原因まで政府に帰していることではありませんか。この考えはもとより誤りでしょう。政府だけが変革の原因ではないでしょうが、その変革の一部分であることは言うまでもなく、政府の精神が改進にあることは明白というべきです。そうであれば、いやしくも改進者の流れをもって自任する人々は、官員であっても平民であっても、この政府の精神と方向を同じくし、改めるべきところを改め、進むべきところに進み、次第に自分の境地を開いて、前途に敵がなく、ついには強い守旧家をも戦わずして自分の領域の内に取り込む勢いに至るはずなのに、今日の事実はそうなっていません。それは何故でしょうか。その原因は他でもありません。この改進者の人々が、それぞれの地位にいて心情の偏りを抑えることができず、些細な地位の利害に目を覆われて事物の判断を誤り、目の前の損得に一生の力を使って、永遠で重大な喜びや憂いを顧みないからにほかなりません。 内閣にはしばしば大臣の入れ替えがあり、各省や府には時々官員の昇降があります。いずれもその局の中でやむをえない事情から出たことでしょうし、珍しいことではないので、その損得を論じるにも及びません。私がここでとくに論じなければならないのは、改進者の中でも最もやかましい政談家のことです。この政談家は、政府の内にもおり、外にもいます。私は内外を問わず、その人の身分にかかわらず、一般に日本国中の一流の人民とみなして論じようと思うのです。
解説
この章句が説くこと
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福沢諭吉小品集・学者安心論・第2段嘉永年中、開国の以来、我が日本はあたかも国を創造せしものなれば、もとより政府をも創造せざるべからず。ゆえに旧政府を廃して新政府をつくりたり。自然の勢、もとより怪しむに足らず。その後、廃藩置県、法律改定、学校設立、新聞発行、商売工業の変化より廃刀・断髪等の件々にいたるまで、その趣を見れば、我が日本を評してこれを新造の一国と云わざるをえず。人あるいはこの諸件の変革を見て、その原因を王政維新の一挙に帰し、政府をもって人事百般の源となし、その心事の目的を政府の一方に定めて、他をかえりみざる者多しといえども、余輩の考には政府もまた、ただ人事の一部分にして、その旧政府を改めて新政府をつくりたるも、原因のあるところを求むれば、かの廃藩置県以下の諸件とともに、そのよって来るところをともにし、ひっきょう、天下衆心の変化したるものと思うなり。ゆえにいわく、政府は人事変革の原因に非ずして人心変革の結果なり。 天下の人心すでに改進に赴きたりといえども、億兆の人民とみに旧套を脱すべきに非ず。改進は上流にはじまりて下流に及ぼすものなれば、今の日本国内において改進を悦ぶ者は上流の一方にありて、下流の一方は未だこれに達すること能わず。すなわち廃藩置県を悦ばざる者なり、法律改定を好まざる者なり、新聞の発行を嫌う者なり、商売工業の変化を悪む者なり、廃刀を怒るものなり、断髪を悲しむ者なり。あるいはこの諸件を擯斥するに非ず、口にこれを称し、事にこれを行うといえども、その心事の模範、旧物を脱却すること能わざる者なり。 これを方今、我が国内にある上下二流の党派という。一は改進の党なり、一は守旧の党なり。余輩ここに上下の字を用ゆといえども、敢てその人の品行を評してこれを上下するに非ず。改進家流にも賤しむべき者あらん、守旧家流にも貴ぶべき人物あらん。これを評論するは本編の旨に非ず。ただ、国勢変革の前後をもって、かりに上下の名を下したるのみ。
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福沢諭吉小品集・学者安心論・第8段今の如く役談家の繁昌する時節において、国のために利害をはかれば、政府をしてその議論を用いしむるも害あり、用いしめざるもまた害あり。これを用いんか、奇計妙策、たちまち実際に行われて、この法を作り、かの律を製し、この条をけずり、かの目を加え、したがって出だせばしたがって改め、無辜の人民は身の進退を貸して他の草紙に供するが如きことあらん。国のために大なる害なり。あるいはこれを捨てて用いざらんか、怨望満野、建白の門は市の如く、新聞紙の面は裏店の井戸端の如く、その煩わしきや衝くが如く、その面倒なるや刺すが如く、あたかも無数の小姑が一人の家嫂を窘るに異ならず。いかなる政府も、これに堪ゆること能わざるにいたらん。これに堪えずして手を出だせば、ついに双方の気配を損じ、国内に不和を生ずることあらん。また国のために害ありというべし。左にその一例をしめさん。 今の民権論者は、しきりに政府に向いて不平を訴うるが如くなるは何ぞや。政府は、果して論者と思想の元素を殊にして、その方向まったく相反するものか。政府は、前にいえる廃藩置県以下の諸件を慊とせずして、論者の持張する改進の旨とまったく相戻るものか。あるいはかりに政府をして改進を悦ばざるものとするも、この事物の変革、人心の騒乱に際して、政府のみひとりその方向を別にするを得べきか。余輩決してこれを信ぜず。論者といえどもまた然らん。政府は人事変革の原因に非ずして人心変革の結果なりとのことは、前すでにこれを述べて、論者もこれに同意したることならん。 然らばすなわち論者が不平を訴うるところは、事の元素にあらずしてその枝葉にあり、政府の精神にあらずしてその外形にあること、明らかに知るべし。この枝葉・外形の事よりして双方の間に不和を生じ、改進の一元素中に意外の変を起すは、国のためにもっとも悲しむべき事ならずや。すなわち、編首にいわゆる直接のために眼光を掩われて地位の利害に眩するものなり。
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福沢諭吉小品集・学者安心論・第7段いずれも皆、国の文明のために重大なる事件にして、学者のこれに着眼するは祝すべきことなれども、学者はただこれに眼を着し、これを議論に唱うるのみにして、その施行の一段にいたりては、ことごとくこれを政府の政に托し、政府はこの法をかくの如くしてこの事をかくの如くなすべしといい、この事の行われざることあらば、この法をもってこれを禁ずべしといい、これを禁じこれを勧め、一切万事、政府の道具仕掛けをもって天下の事を料理すべきものと思い、はなはだしきは己れ自から政府の地位に進み、自からその事を試んとする者なきに非ず。これすなわち上書建白の多くして、官府に反故のうずたかきゆえんなり。 かりにその上書建白をして御採用の栄を得せしめ、今一歩を進めて本人も御抜擢の命を拝することあらん。而してその素志果して行われたるか、案に相違の失望なるべし。人事の失望は十に八、九、弟は兄の勝手に外出するを羨み、兄は親爺の勝手に物を買うを羨み、親爺はまた隣翁の富貴自在なるを羨むといえども、この弟が兄の年齢となり、兄が父となり、親爺が隣家の富を得るも、決して自由自在なるに非ず、案に相違の不都合あるべきのみ。この不都合をもかえりみず、この失望にも懲りず、なおも奇計妙策をめぐらして、名は三千余方の兄弟にはかるといい、その内実の極意は、暗に政府を促して己が妙計を用いしめんと欲するにすぎず。区々たる政府の政に熱中奔走して、自家の領分はこれを放却して忘れたるが如し。内を外にするというべきか、外を内にするというべきか、いずれにも本気の沙汰とは認め難し。政の字の広き意味にしたがえば、人民の政事には際限あるべからず。これを放却して誰に託せんと欲するか、思わざるのはなはだしきものというべし。この人民の政を捨てて政府の政にのみ心を労し、再三の失望にも懲りずして無益の談論に日を送る者は、余輩これを政談家といわずして、新奇に役談家の名を下すもまた不可なきが如く思うなり。
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福沢諭吉小品集・学者安心論・第14段この一事は学者も私に自から許すところならん。ゆえに学者の考にしたがえば、今の学者の品格は政府よりも高くしてはるかにその右に出で、政府は愚にして学者は智なりというべし。智愚はまずここに定まりたり。然らばすなわちかの水掛論は如何すべきや。余輩あえて政府に代りて苦情を述べん。政談家はさまざまの事に口を出し、さまざまの理屈を述べて政府の働を逞しゅうせしめずと。学者はなおもこの政府に直接して衝くが如く刺すが如く、かの小姑を学びて家嫂を煩わさんと欲するか。智者の所業にははなはだもって不似合なり。いわゆる智者にして愚を働くものというべし。 ひっきょう、この水掛論は、元素の異同より生じたるものに非ず。その原因は、近く地位の異同より心情の偏重を生ずるによりて来りしものなれども、今日の有様にては、その是非を分つべからず。余輩はただ今後の成行に眼をつけ、そのいずれかまず直接法の不便利を悟りて、前に出したる手を引き、口を引き、理屈を引き、さらに思想を一層の高きに置きて、無益の対陣を解く者ならんと、かたわらより見物して水掛論の落着を待つのみ。 この全編の大略を概していえば、天下の人心、直接すればその交をまっとうすべからず。今の世間に、この流行病あり。開国以来、我が日本の人心は、守旧と改進と二流に分れて、今の政府は改進の方にあるものなり。然るに、改進の学者流と政府との間に不和あるは何ぞや。この流の人は、民権を論ずれども、その眼をただ政府の一方にのみ着して、自家の事務を忘るるがゆえなり。今の如く政談家の多きは国のために祝すべからず。これを用うるも害あり、これを用いざるもまた害あり。民権論者と政府との不和は、あたかも一流中の内乱にして、これがため事情の紛紜をいたし、ついには守旧と改進との分界も分明ならざるの禍を招くべし。
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福沢諭吉小品集・学者安心論・第13段今政府と人民とは他人の間柄なり。未だ遠ざからずして、まず相近づかんとするは、事の順序を誤るものというべし。けだし各種の人がめいめいの地位にいて、その地位の利害におおわれ、ついに事柄の判断を誤るものは、他の地位の有様を詳にすること能わざるがゆえなり。その有様に密接すること、同居人が眠食をともにするが如くなるがゆえなり。その相接すること密に過ぎ、かえって他の全体を見ること能わずして、局処をうかがうに察々たるがゆえなり。なお、かの、山を望み見ずして山に登りて山を見るが如く、とうてい物の真情を知るによしなし。真情相通ぜざれば、双方の交際は、ただ局処の不平と不平と敵対の勢をなすのみ。 ここにおいてか、人を妬み人を悪て、たがいに寸分の余地をのこさず、力ある者は力をつくし、智恵ある者は智恵をたくましゅうし、ただ一片の不平心を慰めんがために孜々として、永遠の利害はこれを放却して忘れたるが如くなるにいたる者、すくなからず。ひっきょう、その本は、たがいに近づくべからざるの有様をもって、強いて相近づかんとし、たがいにその有様を誤解して、かえってますます遠隔敵視の禍を増すものというべし。 今世間の喋々を聞けば、一方の説にいわく、人民無智無法なるがゆえに政府これに権力を附与すべからずと。また一方はいわく、政府はさまざまの事に手を出し、さまざまの法をつくりて人民の働をたくましゅうせしめずと。いわゆる水掛論なり。然りといえども、智愚相対してその間に不和あれば、智者まず他を容れてこれを処置せざるべからず。 ゆえに真の愚民に対しては、政府まずその愚を容れてこの水掛論の処置に任せざるべからずといえども、本編の主として論ずる学者にいたりては、すなわちこれを愚民と同一視すべからず。この流の人は、改進政談家をもって自からおり、肉を裁するをいさぎよしとせずして、天下を裁するの志を抱き、政府に対してこれに感服せざるのみならず、つねに不平を訴うるほどのことなれば、その心志のとどまるところは、かえって政府の上流にありといわざるをえず。
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福沢諭吉小品集・学者安心論・第9段たとえば新聞記者の禁獄の如し。その罰の当否はしばらく擱き、とにかくに日本国において、学者と名づくる人物が獄屋に入りたるという事柄は、決して美談に非ず。窃盗博徒といえども、これを捕縛してもらさざるは、法律上において称すべき事なれども、その囚徒が獄内に充満するは、祝すべきに非ず。窃盗博徒、なおかつ然り、いわんや字を知る文人学者においてをや。国のためにもっとも悲しむべき事なり。この一段にいたりては、政府の人においても、学者の仲間においても、いやしくも愛国の念あらん者なれば、私情をさりてこれを考え、心の底にこれを愉快なりと思う者はなかるべし。 なおこれよりも禍の大なるものあり。前すでにいえる如く、我が国内の人心は守旧と改進との二流に分れ、政府は学者とともに改進の一方におり、二流の分界判然として、あたかも敵対の如くなりしかども、改進の人は進みて退かず、難を凌ぎ危を冒し、あえて寸鉄に衂らずしてもって今日の場合にいたりたるは、ただに強勇というべきのみに非ず、これを評して智と称せざるべからず。然るに今些々たる枝葉よりして、改進一流の内にあたかも内乱を起し、自家の戦争に忙わしくして外患をかえりみず、ついにはかの判然たる二流の分界も、さらに混同するのおそれなきに非ず。もとよりこの二流は、はじめより元素を殊にするものなれば、とうてい親和抱合すべからざるものと思わるれども、人事紛紜の際には思のほかなる異像を現出するものなり。近くその一例を示さん。
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