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福沢諭吉小品集 / 学者安心論・第14段

この一事は学者も私に自から許すところならん。ゆえに学者の考にしたがえば、今の学者の品格は政府よりも高くしてはるかにその右に出で、政府は愚にして学者は智なりというべし。智愚はまずここに定まりたり。然らばすなわちかの水掛論は如何すべきや。余輩あえて政府に代りて苦情を述べん。政談家はさまざまの事に口を出し、さまざまの理屈を述べて政府の働を逞しゅうせしめずと。学者はなおもこの政府に直接して衝くが如く刺すが如く、かの小姑を学びて家嫂を煩わさんと欲するか。智者の所業にははなはだもって不似合なり。いわゆる智者にして愚を働くものというべし。 ひっきょう、この水掛論は、元素の異同より生じたるものに非ず。その原因は、近く地位の異同より心情の偏重を生ずるによりて来りしものなれども、今日の有様にては、その是非を分つべからず。余輩はただ今後の成行に眼をつけ、そのいずれかまず直接法の不便利を悟りて、前に出したる手を引き、口を引き、理屈を引き、さらに思想を一層の高きに置きて、無益の対陣を解く者ならんと、かたわらより見物して水掛論の落着を待つのみ。 この全編の大略を概していえば、天下の人心、直接すればその交をまっとうすべからず。今の世間に、この流行病あり。開国以来、我が日本の人心は、守旧と改進と二流に分れて、今の政府は改進の方にあるものなり。然るに、改進の学者流と政府との間に不和あるは何ぞや。この流の人は、民権を論ずれども、その眼をただ政府の一方にのみ着して、自家の事務を忘るるがゆえなり。今の如く政談家の多きは国のために祝すべからず。これを用うるも害あり、これを用いざるもまた害あり。民権論者と政府との不和は、あたかも一流中の内乱にして、これがため事情の紛紜をいたし、ついには守旧と改進との分界も分明ならざるの禍を招くべし。

書き下し

この一事は学者も私に自から許すところならん。ゆえに学者の考にしたがえば、今の学者の品格は政府よりも高くしてはるかにその右に出で、政府は愚にして学者は智なりというべし。智愚はまずここに定まりたり。然らばすなわちかの水掛論は如何すべきや。余輩あえて政府に代りて苦情を述べん。政談家はさまざまの事に口を出し、さまざまの理屈を述べて政府の働を逞しゅうせしめずと。学者はなおもこの政府に直接して衝くが如く刺すが如く、かの小姑を学びて家嫂を煩わさんと欲するか。智者の所業にははなはだもって不似合なり。いわゆる智者にして愚を働くものというべし。 ひっきょう、この水掛論は、元素の異同より生じたるものに非ず。その原因は、近く地位の異同より心情の偏重を生ずるによりて来りしものなれども、今日の有様にては、その是非を分つべからず。余輩はただ今後の成行に眼をつけ、そのいずれかまず直接法の不便利を悟りて、前に出したる手を引き、口を引き、理屈を引き、さらに思想を一層の高きに置きて、無益の対陣を解く者ならんと、かたわらより見物して水掛論の落着を待つのみ。 この全編の大略を概していえば、天下の人心、直接すればその交をまっとうすべからず。今の世間に、この流行病あり。開国以来、我が日本の人心は、守旧と改進と二流に分れて、今の政府は改進の方にあるものなり。然るに、改進の学者流と政府との間に不和あるは何ぞや。この流の人は、民権を論ずれども、その眼をただ政府の一方にのみ着して、自家の事務を忘るるがゆえなり。今の如く政談家の多きは国のために祝すべからず。これを用うるも害あり、これを用いざるもまた害あり。民権論者と政府との不和は、あたかも一流中の内乱にして、これがため事情の紛紜をいたし、ついには守旧と改進との分界も分明ならざるの禍を招くべし。

現代語訳

この点は学者も、ひそかに自分で認めるところでしょう。ですから学者の考えによれば、今の学者の品格は政府よりも高く、はるかにその上に出ており、政府は愚かで学者は賢いということになります。智愚はここで定まりました。そうであれば、あの水掛け論はどうすべきでしょうか。私はあえて政府に代わって苦情を述べましょう。政談家はさまざまなことに口を出し、さまざまな理屈を述べて、政府の働きを活発にさせない、と。学者は、なおもこの政府に直接向かって、突くように刺すように、あの小姑をまねて兄嫁を煩わせようというのでしょうか。賢い者の行いにはまことに不似合いです。いわゆる賢い者でありながら愚かな行いをする者というべきです。 結局、この水掛け論は、元素の違いから生じたものではありません。その原因は、近くにいて地位の違いから心情の偏りを生じたことにあるのですが、今日の有様では、その是非を分けることはできません。私はただ今後の成り行きに目をつけ、どちらがまず直接的な方法の不便に気づいて、前に出した手を引き、口を引き、理屈を引き、さらに思想を一段高いところに置いて、無益な対陣を解く者になるかと、傍らから見物して水掛け論の決着を待つだけです。 この全編の大略を概していえば、天下の人心は、直接に接すればその交際を全うできません。今の世間に、この流行病があります。開国以来、我が日本の人心は、守旧と改進の二流に分かれ、今の政府は改進の側にあります。それなのに、改進の学者の流れと政府の間に不和があるのは何故でしょうか。この流れの人は、民権を論じながら、その目をただ政府の一方にのみ向けて、自分の事務を忘れるからです。今のように政談家が多いのは、国のために祝うべきではありません。これを用いても害があり、用いなくてもまた害があります。民権論者と政府の不和は、あたかも一つの流れの内部での内乱であり、そのために事情が入り乱れ、ついには守旧と改進の分界も不明になる災いを招くでしょう。

解説

福沢は、学者が自分を賢いと認めるのなら、その賢さにふさわしく振る舞え、と迫ります。突くように刺すように政府に迫る姿は、賢い者が愚かな行いをする姿だ、という皮肉です。そのうえで水掛け論は地位の違いから生まれた心情の偏りで、どちらかが手を引いて思想を一段高みに置くのを待つ、と傍観を表明します。この段は、ここまでの全編の要約にもなっています。現代の対立でも、先に引く側が賢い、という考え方は一つの手がかりになります。

この章句が説くこと

学者の品格水掛け論小姑のたとえ直接の弊害民権論者内乱

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