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福沢諭吉小品集 / 学者安心論・第4段

政談の中に漸進論と急進論なるものあれども、あまり分明なる区別にも非ず。いずれにも進の義は免かれず。ただ、その進の方法を論じたるものならん。これをたとえば、飢たる時に物を喰うは同説なれども、一方は早く喰わんといい、一方は徐々に喰わんというが如し。双方ともに理あり。食物の品柄次第にて、にわかにこれを喰いて腹を痛むることあり、養生法においてもっとも戒むるところなれば用心せざるべからず。あるいは物の性質により、遠慮なく喰いて害をなさざることもあり、喰いて害なくば颯々と喰うもまた可なり。ゆえに漸進急進の別は方法の細目なれば、余輩は、この論者を同一視して、ひとしくこれを改進者流の人物と認めざるをえず。すなわち、今日、我が国にいて民権を主張する学者と名づくべき人なり。 民権論は余輩もはなはだもって同説なり。この国はもとより人民の掛り合いにして、しかも金主の身分たる者なれば、なんとして国の盛衰をよそに見るべけんや、たしかにこれを引請けざるべからず。国の盛衰を引請くるとは、すなわち国政にかかわることなり。人民は国政に関せざるべからざるなり。然りといえども、余輩が今ここにいうところの政の字は、その意味のもっとも広きものにして、ただ政府の官員となり政府の役所に坐して事を商議施行するのみをもって、政にかかわるというに非ず。人民みずから自家の政に従事するの義を旨とするものなり。 たとえば政府にて、学校を立てて生徒を教え、大蔵省を設けて租税を集むるは、政府の政なり。平民が、学塾を開いて生徒を教え、地面を所有して地代小作米を取立つるは、これを何と称すべきや。政府にては学校といい、平民にては塾といい、政府にては大蔵省といい、平民にては帳場といい、その名目は古来の習慣によりて少しく不同あれども、その事の実は毫も異なることなし。すなわち、これを平民の政といいて可なり。 古より家政などいう熟字あり。政の字は政府に限らざることあきらかに知るべし。結局政府に限りて人民の私に行うべからざる政は、裁判の政なり、兵馬の政なり、和戦の政なり、租税(狭き字義にしたがいて)の政なり、この他わずかに数カ条にすぎず。

書き下し

政談の中に漸進論と急進論なるものあれども、あまり分明なる区別にも非ず。いずれにも進の義は免かれず。ただ、その進の方法を論じたるものならん。これをたとえば、飢たる時に物を喰うは同説なれども、一方は早く喰わんといい、一方は徐々に喰わんというが如し。双方ともに理あり。食物の品柄次第にて、にわかにこれを喰いて腹を痛むることあり、養生法においてもっとも戒むるところなれば用心せざるべからず。あるいは物の性質により、遠慮なく喰いて害をなさざることもあり、喰いて害なくば颯々と喰うもまた可なり。ゆえに漸進急進の別は方法の細目なれば、余輩は、この論者を同一視して、ひとしくこれを改進者流の人物と認めざるをえず。すなわち、今日、我が国にいて民権を主張する学者と名づくべき人なり。 民権論は余輩もはなはだもって同説なり。この国はもとより人民の掛り合いにして、しかも金主の身分たる者なれば、なんとして国の盛衰をよそに見るべけんや、たしかにこれを引請けざるべからず。国の盛衰を引請くるとは、すなわち国政にかかわることなり。人民は国政に関せざるべからざるなり。然りといえども、余輩が今ここにいうところの政の字は、その意味のもっとも広きものにして、ただ政府の官員となり政府の役所に坐して事を商議施行するのみをもって、政にかかわるというに非ず。人民みずから自家の政に従事するの義を旨とするものなり。 たとえば政府にて、学校を立てて生徒を教え、大蔵省を設けて租税を集むるは、政府の政なり。平民が、学塾を開いて生徒を教え、地面を所有して地代小作米を取立つるは、これを何と称すべきや。政府にては学校といい、平民にては塾といい、政府にては大蔵省といい、平民にては帳場といい、その名目は古来の習慣によりて少しく不同あれども、その事の実は毫も異なることなし。すなわち、これを平民の政といいて可なり。 古より家政などいう熟字あり。政の字は政府に限らざることあきらかに知るべし。結局政府に限りて人民の私に行うべからざる政は、裁判の政なり、兵馬の政なり、和戦の政なり、租税(狭き字義にしたがいて)の政なり、この他わずかに数カ条にすぎず。

現代語訳

政談の中には漸進論と急進論と呼ばれるものがありますが、あまりはっきりした区別でもありません。どちらも進むという点は同じです。ただ、その進み方を論じたものでしょう。たとえば、空腹のときに食べることは同じ主張でも、一方は早く食べようといい、他方はゆっくり食べようというようなものです。双方に理があります。食べ物の種類によっては、急に食べて腹を痛めることがあり、養生法では最も戒めるところですから、用心しなければなりません。ものの性質によっては、遠慮なく食べても害のないこともあり、食べて害がないなら、さっさと食べるのもまたよいでしょう。ですから、漸進と急進の別は方法の細目ですので、私はこの論者を同一視し、ひとしく改進者の人物と認めざるをえません。すなわち今日、我が国で民権を主張する、学者と名づけるべき人々です。 民権論は私もまったく同説です。この国はもとより人民の関わるもので、しかも出資者の身分である者ですから、どうして国の盛衰を他人事に見ていられるでしょう。確かにこれを引き受けなければなりません。国の盛衰を引き受けるとは、すなわち国政に関わることです。人民は国政に関与しなければなりません。しかし、私が今ここでいう政の字は、その意味の最も広いもので、ただ政府の官員となって政府の役所に座り、事を相談して実行するだけをもって、政に関わるというのではありません。人民がみずから自分の家の政に従事するという意味を旨とします。 たとえば政府が学校を建てて生徒を教え、大蔵省を設けて租税を集めるのは政府の政です。平民が学塾を開いて生徒を教え、土地を所有して地代や小作米を取り立てるのは、何と称すべきでしょうか。政府では学校といい、平民では塾といい、政府では大蔵省といい、平民では帳場といい、その名目は古来の習慣によって少し違いますが、事の実質は少しも異なりません。すなわち、これを平民の政といってよいのです。 古くから家政などという熟語もあります。政の字が政府に限らないことは明らかに分かるでしょう。結局、政府に限り、人民が私的に行ってはならない政は、裁判の政、兵馬の政、和戦の政、租税(狭い字義による)の政で、このほかはわずか数箇条にすぎません。

解説

民権論に福沢が賛成する理由が、ここで語られます。人民は国の出資者のようなもので、国の盛衰を引き受けなければならない。ただし『政』の意味を広く取り直し、学塾の運営や地主の帳場のような自分の持ち場の営みも、民の政だと主張します。政府の政だけが政ではない、という視点の転換です。現代でいえば、会社や地域の運営を自分ごととして担うことが、広い意味での社会への参加になる、と読めます。

この章句が説くこと

漸進論と急進論民権国政広い意味の政平民の政家政

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