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福沢諭吉小品集 / 学者安心論・第2段

嘉永年中、開国の以来、我が日本はあたかも国を創造せしものなれば、もとより政府をも創造せざるべからず。ゆえに旧政府を廃して新政府をつくりたり。自然の勢、もとより怪しむに足らず。その後、廃藩置県、法律改定、学校設立、新聞発行、商売工業の変化より廃刀・断髪等の件々にいたるまで、その趣を見れば、我が日本を評してこれを新造の一国と云わざるをえず。人あるいはこの諸件の変革を見て、その原因を王政維新の一挙に帰し、政府をもって人事百般の源となし、その心事の目的を政府の一方に定めて、他をかえりみざる者多しといえども、余輩の考には政府もまた、ただ人事の一部分にして、その旧政府を改めて新政府をつくりたるも、原因のあるところを求むれば、かの廃藩置県以下の諸件とともに、そのよって来るところをともにし、ひっきょう、天下衆心の変化したるものと思うなり。ゆえにいわく、政府は人事変革の原因に非ずして人心変革の結果なり。 天下の人心すでに改進に赴きたりといえども、億兆の人民とみに旧套を脱すべきに非ず。改進は上流にはじまりて下流に及ぼすものなれば、今の日本国内において改進を悦ぶ者は上流の一方にありて、下流の一方は未だこれに達すること能わず。すなわち廃藩置県を悦ばざる者なり、法律改定を好まざる者なり、新聞の発行を嫌う者なり、商売工業の変化を悪む者なり、廃刀を怒るものなり、断髪を悲しむ者なり。あるいはこの諸件を擯斥するに非ず、口にこれを称し、事にこれを行うといえども、その心事の模範、旧物を脱却すること能わざる者なり。 これを方今、我が国内にある上下二流の党派という。一は改進の党なり、一は守旧の党なり。余輩ここに上下の字を用ゆといえども、敢てその人の品行を評してこれを上下するに非ず。改進家流にも賤しむべき者あらん、守旧家流にも貴ぶべき人物あらん。これを評論するは本編の旨に非ず。ただ、国勢変革の前後をもって、かりに上下の名を下したるのみ。

書き下し

嘉永年中、開国の以来、我が日本はあたかも国を創造せしものなれば、もとより政府をも創造せざるべからず。ゆえに旧政府を廃して新政府をつくりたり。自然の勢、もとより怪しむに足らず。その後、廃藩置県、法律改定、学校設立、新聞発行、商売工業の変化より廃刀・断髪等の件々にいたるまで、その趣を見れば、我が日本を評してこれを新造の一国と云わざるをえず。人あるいはこの諸件の変革を見て、その原因を王政維新の一挙に帰し、政府をもって人事百般の源となし、その心事の目的を政府の一方に定めて、他をかえりみざる者多しといえども、余輩の考には政府もまた、ただ人事の一部分にして、その旧政府を改めて新政府をつくりたるも、原因のあるところを求むれば、かの廃藩置県以下の諸件とともに、そのよって来るところをともにし、ひっきょう、天下衆心の変化したるものと思うなり。ゆえにいわく、政府は人事変革の原因に非ずして人心変革の結果なり。 天下の人心すでに改進に赴きたりといえども、億兆の人民とみに旧套を脱すべきに非ず。改進は上流にはじまりて下流に及ぼすものなれば、今の日本国内において改進を悦ぶ者は上流の一方にありて、下流の一方は未だこれに達すること能わず。すなわち廃藩置県を悦ばざる者なり、法律改定を好まざる者なり、新聞の発行を嫌う者なり、商売工業の変化を悪む者なり、廃刀を怒るものなり、断髪を悲しむ者なり。あるいはこの諸件を擯斥するに非ず、口にこれを称し、事にこれを行うといえども、その心事の模範、旧物を脱却すること能わざる者なり。 これを方今、我が国内にある上下二流の党派という。一は改進の党なり、一は守旧の党なり。余輩ここに上下の字を用ゆといえども、敢てその人の品行を評してこれを上下するに非ず。改進家流にも賤しむべき者あらん、守旧家流にも貴ぶべき人物あらん。これを評論するは本編の旨に非ず。ただ、国勢変革の前後をもって、かりに上下の名を下したるのみ。

現代語訳

嘉永年間に開国して以来、我が日本はあたかも国を創造したようなもので、当然、政府も創造しなければなりませんでした。それゆえ旧政府を廃して新政府をつくりました。自然の勢いであり、怪しむに足りません。その後、廃藩置県、法律の改定、学校の設立、新聞の発行、商売や工業の変化から、廃刀、断髪などの個々の事まで、その趣を見ると、我が日本を新たに造られた一国と呼ばざるをえません。人はこれらの変革を見て、その原因を王政維新の一挙に帰し、政府をあらゆる人事の源とし、心のうえでの目的を政府の一方に定めて、他を顧みない者が多いのですが、私の考えでは、政府もまた人事の一部分にすぎず、旧政府を改めて新政府をつくったのも、その原因を求めれば、あの廃藩置県以下の諸件とその由来を同じくし、結局は天下の人々の心が変化したものと思うのです。ですから、政府は人事変革の原因ではなく、人心変革の結果である、と言うのです。 天下の人心がすでに改進に向かったといっても、億兆の人民が直ちに古い型を脱するわけではありません。改進は上流に始まって下流に及ぶものですから、今の日本国内で改進を喜ぶ者は上流の一方にあり、下流の一方はまだそこに達していません。つまり廃藩置県を喜ばない者、法律の改定を好まない者、新聞の発行を嫌う者、商売や工業の変化を憎む者、廃刀に怒る者、断髪を悲しむ者です。あるいは、これらの件を排斥するのではなく、口ではこれを称え、実際にも行っていても、心のうえの手本が古いものから抜け出せない者です。 これを今、我が国内にある上下二流の党派と呼びます。一つは改進の党、一つは守旧の党です。私はここで上下の字を用いますが、その人の品行を評価して上下をつけるわけではありません。改進家の中にも卑しい者はいるでしょうし、守旧家の中にも尊ぶべき人物はいるでしょう。それを評論するのは本編の趣旨ではありません。ただ国の情勢が変わる前後を基準に、かりに上下の名をつけたにすぎません。

解説

本段の核は『政府は人事変革の原因ではなく、人心変革の結果である』という命題です。福沢は、新しい世の動きの根を、政府ではなく人々の心の変化に置きます。そのうえで、改進を喜ぶ上流と、古い型に留まる下流という二つの流れを仮に立て、人格の優劣ではないと断ります。変革を制度や指導者のせいにしがちな現代の組織にも通じる視点です。ただ、『上流』『下流』の呼び方には当時の階層意識が表れており、今日の感覚と異なります。『賤しむべき者』などの語も同様です。

この章句が説くこと

嘉永開国人心の変革改進と守旧上流と下流政府

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