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福沢諭吉小品集 / 旧藩情・第20段

中津の旧藩にて、上下の士族が互に婚姻の好を通ぜざりしは、藩士社会の一大欠典にして、その弊害はほとんど人心の底に根拠して動かすべからざるもののごとし。今日に至ては稀に上下相婚する者もなきに非ざれども、今後ますますこの路を開くべきの勢を見ず。上士の残夢未だ醒めずして陰にこれを忌むものあれば、下士は却てこれを懇望せざるのみならず、士女の別なく、上等の家に育せられたる者は実用に適せず、これと婚姻を通ずるも後日生計の見込なしとて、一概に擯斥する者あり。一方は婚を以て恩徳のごとく心得、一方はその徳を徳とせずしてこれを賤しむの勢なれば、出入の差、甚だ大にして、とても通婚の盛なるべき見込あることなし。 然りといえども、世の中の事物は悉皆先例に傚うものなれば、有力の士は勉めてその魁をなしたきことなり。婚姻はもとより当人の意に従て適不適もあり、また後日生計の見込もなき者と強いて婚すべきには非ざれども、先入するところ、主となりて、良偶を失うの例も少なからず。親戚朋友の注意すべきことなり。一度び互に婚姻すればただ双方両家の好のみならず、親戚の親戚に達して同時に幾家の歓を共にすべし。いわんや子を生み孫を生むに至ては、祖父を共にする者あり、曾祖父を共にする者あり、共に祖先の口碑をともにして、旧藩社会、別に一種の好情帯を生じ、その功能は学校教育の成跡にも万々劣ることなかるべし。

新字:中津の旧藩にて、上下の士族が互に婚姻の好を通ぜざりしは、藩士社会の一大欠典にして、その弊害はほとんど人心の底に根拠して動かすべからざるもののごとし。今日に至ては稀に上下相婚する者もなきに非ざれども、今後ますますこの路を開くべきの勢を見ず。上士の残夢未だ醒めずして陰にこれを忌むものあれば、下士は却てこれを懇望せざるのみならず、士女の別なく、上等の家に育せられたる者は実用に適せず、これと婚姻を通ずるも後日生計の見込なしとて、一概に擯斥する者あり。一方は婚を以て恩徳のごとく心得、一方はその徳を徳とせずしてこれを賤しむの勢なれば、出入の差、甚だ大にして、とても通婚の盛なるべき見込あることなし。 然りといえども、世の中の事物は悉皆先例に傚うものなれば、有力の士は勉めてその魁をなしたきことなり。婚姻はもとより当人の意に従て適不適もあり、また後日生計の見込もなき者と強いて婚すべきには非ざれども、先入するところ、主となりて、良偶を失うの例も少なからず。親戚朋友の注意すべきことなり。一度び互に婚姻すればただ双方両家の好のみならず、親戚の親戚に達して同時に幾家の歓を共にすべし。いわんや子を生み孫を生むに至ては、祖父を共にする者あり、曽祖父を共にする者あり、共に祖先の口碑をともにして、旧藩社会、別に一種の好情帯を生じ、その功能は学校教育の成跡にも万々劣ることなかるべし。

書き下し

中津の旧藩にて、上下の士族が互に婚姻の好を通ぜざりしは、藩士社会の一大欠典にして、その弊害はほとんど人心の底に根拠して動かすべからざるもののごとし。今日に至ては稀に上下相婚する者もなきに非ざれども、今後ますますこの路を開くべきの勢を見ず。上士の残夢未だ醒めずして陰にこれを忌むものあれば、下士は却てこれを懇望せざるのみならず、士女の別なく、上等の家に育せられたる者は実用に適せず、これと婚姻を通ずるも後日生計の見込なしとて、一概に擯斥する者あり。一方は婚を以て恩徳のごとく心得、一方はその徳を徳とせずしてこれを賤しむの勢なれば、出入の差、甚だ大にして、とても通婚の盛なるべき見込あることなし。 然りといえども、世の中の事物は悉皆先例に傚うものなれば、有力の士は勉めてその魁をなしたきことなり。婚姻はもとより当人の意に従て適不適もあり、また後日生計の見込もなき者と強いて婚すべきには非ざれども、先入するところ、主となりて、良偶を失うの例も少なからず。親戚朋友の注意すべきことなり。一度び互に婚姻すればただ双方両家の好のみならず、親戚の親戚に達して同時に幾家の歓を共にすべし。いわんや子を生み孫を生むに至ては、祖父を共にする者あり、曽祖父を共にする者あり、共に祖先の口碑をともにして、旧藩社会、別に一種の好情帯を生じ、その功能は学校教育の成跡にも万々劣ることなかるべし。

現代語訳

中津の旧藩で、上下の士族が互いに婚姻を結ばなかったのは、藩士社会の大きな欠陥で、その弊害は人の心の底にほとんど根を張って動かせないもののようです。今日では、まれに上下の間で結婚する者もいますが、今後ますますこの道が開かれていく勢いは見えません。上士の古い夢がまだ醒めず、ひそかにこれを忌むものがいる一方で、下士の側もかえってこれを望まないばかりか、男女を問わず、上等の家に育てられた者は実用に向かない、結婚しても後日の生計の見込みがない、と一概に排斥する者がいます。一方は結婚を恩徳のように心得、他方はその恩徳をありがたがらずに卑しむという勢いですから、期待のずれは非常に大きく、とても結婚が盛んになる見込みはありません。 しかし、世の中の物事はすべて先例にならうものですから、有力な人が努めてその先駆けとなりたいものです。婚姻はもとより当人の意志によって合う合わないもあり、また後日の生計の見込みのない者と無理に結婚すべきではありませんが、先入観が主になって、良い縁を失う例も少なくありません。親戚や友人が注意すべきことです。一度互いに結婚すれば、ただ両家の親しみだけでなく、親戚の親戚にまで達し、同時に何軒もの喜びを共にするでしょう。まして子を生み孫を生むに至れば、祖父を同じくする者もいれば曾祖父を同じくする者もあり、先祖の言い伝えを共にして、旧藩社会に別の一種の好意の絆を生み、その効果は学校教育の成果にも決して劣らないでしょう。

解説

上士と下士が結婚しなかったことを、福沢は藩士社会の大きな欠陥と見ます。双方の偏見が重なり、互いに婚姻をためらう構図です。同時に、先例が生まれれば広がる、親戚の輪が広がり絆になる、とも述べます。組織内の人事交流や部門の異動が、制度上許されていても心理的に進まない状況を思わせます。なお、結婚を恩徳や卑しみで語る箇所は、身分観と家制度を前提とした当時の論理で、今日の感覚と異なります。

この章句が説くこと

通婚上士と下士偏見先例親戚絆

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