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福沢諭吉小品集 / 旧藩情・第12段

これに反して上士は古より藩中無敵の好地位を占るが為に、漸次に惰弱に陥るは必然の勢、二、三十年以来、酒を飲み宴を開くの風を生じ(元来飲酒会宴の事は下士に多くして、上士は都て質朴なりき)、殊に徳川の末年、諸侯の妻子を放解して国邑に帰えすの令を出したるとき、江戸定府とて古来江戸の中津藩邸に住居する藩士も中津に移住し、かつこの時には天下多事にして、藩地の士族も頻りに都会の地に往来してその風俗に慣れ、その物品を携えて帰り、中津へ移住する江戸の定府藩士は妻子と共に大都会の軽便流を田舎藩地の中心に排列するの勢なれば、すでに惰弱なる田舎の士族は、あたかもこれに眩惑して、ますます華美軽薄の風に移り、およそ中津にて酒宴遊興の盛なる、古来特にこの時を以て最とす。故に中津の上等士族は、天下多事のために士気を興奮するには非ずして、かえってこれがためにその懶惰不行儀の風を進めたる者というべし。 右のごとく上士の気風は少しく退却の痕を顕わし、下士の力は漸く進歩の路に在り。一方に釁の乗ずべきものあれば、他の一方においてこれを黙せざるもまた自然の勢、これを如何ともすべからず。この時に下士の壮年にして非役なる者(全く非役には非ざれども、藩政の要路に関らざる者なり)数十名、ひそかに相議して、当時執権の家老を害せんとの事を企てたることあり。中津藩においては古来未曾有の大事件、もしこの事をして三十年の前にあらしめなば、即日にその党与を捕縛して遺類なきは疑を容れざるところなれども、如何せん、この時の事勢においてこれを抑制すること能わず、ついに姑息の策に出で、その執政を黜けて一時の人心を慰めたり。二百五十余年、一定不変と名けたる権力に平均を失い、その事実に顕われたるものは、この度の事件をもって始とす。(事は文久三癸亥の年に在り)

新字:これに反して上士は古より藩中無敵の好地位を占るが為に、漸次に惰弱に陥るは必然の勢、二、三十年以来、酒を飲み宴を開くの風を生じ(元来飲酒会宴の事は下士に多くして、上士は都て質朴なりき)、殊に徳川の末年、諸侯の妻子を放解して国邑に帰えすの令を出したるとき、江戸定府とて古来江戸の中津藩邸に住居する藩士も中津に移住し、かつこの時には天下多事にして、藩地の士族も頻りに都会の地に往来してその風俗に慣れ、その物品を携えて帰り、中津へ移住する江戸の定府藩士は妻子と共に大都会の軽便流を田舎藩地の中心に排列するの勢なれば、すでに惰弱なる田舎の士族は、あたかもこれに眩惑して、ますます華美軽薄の風に移り、およそ中津にて酒宴遊興の盛なる、古来特にこの時を以て最とす。故に中津の上等士族は、天下多事のために士気を興奮するには非ずして、かえってこれがためにその懶惰不行儀の風を進めたる者というべし。 右のごとく上士の気風は少しく退却の痕を顕わし、下士の力は漸く進歩の路に在り。一方に釁の乗ずべきものあれば、他の一方においてこれを黙せざるもまた自然の勢、これを如何ともすべからず。この時に下士の壮年にして非役なる者(全く非役には非ざれども、藩政の要路に関らざる者なり)数十名、ひそかに相議して、当時執権の家老を害せんとの事を企てたることあり。中津藩においては古来未曽有の大事件、もしこの事をして三十年の前にあらしめなば、即日にその党与を捕縛して遺類なきは疑を容れざるところなれども、如何せん、この時の事勢においてこれを抑制すること能わず、ついに姑息の策に出で、その執政を黜けて一時の人心を慰めたり。二百五十余年、一定不変と名けたる権力に平均を失い、その事実に顕われたるものは、この度の事件をもって始とす。(事は文久三癸亥の年に在り)

書き下し

これに反して上士は古より藩中無敵の好地位を占るが為に、漸次に惰弱に陥るは必然の勢、二、三十年以来、酒を飲み宴を開くの風を生じ(元来飲酒会宴の事は下士に多くして、上士は都て質朴なりき)、殊に徳川の末年、諸侯の妻子を放解して国邑に帰えすの令を出したるとき、江戸定府とて古来江戸の中津藩邸に住居する藩士も中津に移住し、かつこの時には天下多事にして、藩地の士族も頻りに都会の地に往来してその風俗に慣れ、その物品を携えて帰り、中津へ移住する江戸の定府藩士は妻子と共に大都会の軽便流を田舎藩地の中心に排列するの勢なれば、すでに惰弱なる田舎の士族は、あたかもこれに眩惑して、ますます華美軽薄の風に移り、およそ中津にて酒宴遊興の盛なる、古来特にこの時を以て最とす。故に中津の上等士族は、天下多事のために士気を興奮するには非ずして、かえってこれがためにその懶惰不行儀の風を進めたる者というべし。 右のごとく上士の気風は少しく退却の痕を顕わし、下士の力は漸く進歩の路に在り。一方に釁の乗ずべきものあれば、他の一方においてこれを黙せざるもまた自然の勢、これを如何ともすべからず。この時に下士の壮年にして非役なる者(全く非役には非ざれども、藩政の要路に関らざる者なり)数十名、ひそかに相議して、当時執権の家老を害せんとの事を企てたることあり。中津藩においては古来未曽有の大事件、もしこの事をして三十年の前にあらしめなば、即日にその党与を捕縛して遺類なきは疑を容れざるところなれども、如何せん、この時の事勢においてこれを抑制すること能わず、ついに姑息の策に出で、その執政を黜けて一時の人心を慰めたり。二百五十余年、一定不変と名けたる権力に平均を失い、その事実に顕われたるものは、この度の事件をもって始とす。(事は文久三癸亥の年に在り)

現代語訳

これに反して上士は、昔から藩中で無敵の好位置を占めていたため、次第に惰弱に陥るのは避けられない成り行きでした。二、三十年来、酒を飲み宴会を開く風潮が生まれ(もともと飲酒や宴会は下士に多く、上士はすべて質朴でした)、とくに徳川時代の末年、諸侯の妻子を江戸から領国へ帰す命令が出たとき、江戸定府といって昔から江戸の中津藩邸に住んでいた藩士も中津に移り住みました。この時期は世の中が多事で、藩地の士族もしきりに都会に往来して、その風俗に慣れ、その品物を持ち帰りました。中津へ移住する江戸定府の藩士は妻子とともに、大都会の軽便な風を田舎の藩地の中心に並べるという勢いでしたから、すでに惰弱だった田舎の士族は、これに目がくらみ、ますます華美で軽薄な風に移りました。中津で酒宴や遊興が盛んなことは、古来、この時を最高とします。ですから中津の上等士族は、世の中が多事であるために士気を奮い立たせたのではなく、かえってそのために怠惰で不行儀な風をいっそう進めた者というべきです。 以上のように、上士の気風は少し後退の跡を見せ、下士の力は次第に進歩の道にあります。一方に付け入る隙があれば、他方が黙っていないのもまた自然の勢いで、どうしようもありません。この時、下士の壮年で役のない者(まったく役がないわけではありませんが、藩政の要路に関わらない者です)数十名が、ひそかに相談して、当時権力を握っていた家老を殺そうと企てたことがあります。中津藩では古来未曾有の大事件で、もしこの事が三十年前であれば、即日にその仲間を捕らえて残らず処罰したことは疑いありません。しかしこのときの情勢ではこれを抑えることができず、ついに一時しのぎの策に出て、その執政を退けて当面の人心を慰めました。二百五十余年、一定不変とされた権力の均衡が崩れたことが事実としてあらわれたのは、この事件が最初です。(事は文久三年癸亥の年にあります。)

解説

上士は地位の安泰ゆえに惰弱に陥り、下士は力をつけて、ついに家老襲撃の企てにまで至ります。福沢は、強い立場にいることが慢心を招き、変化の時代に気を引き締めるどころか浮かれてしまう、と見ています。権力の均衡が崩れるのは、一方の驕りと他方の成長が重なったときだ、という見立てです。現代の組織でも、安定した部門が緩み、周縁の部門が力をつけて関係が逆転することがあります。ただし記述は福沢自身の観察で、藩の公式の記録とは限りません。

この章句が説くこと

上士惰弱下士の台頭江戸定府家老文久三年

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