福沢諭吉小品集 / 旧藩情・第13段
この事情に従て維新の際に至り、ますます下士族の権力を逞うすることあらば、或は人物を黜陟し或は禄制を変革し、なお甚しきは所謂要路の因循吏を殺して、当時流行の青面書生が家老参事の地位を占めて得々たるがごとき奇談をも出現すべきはずなるに、中津藩に限りてこの変を見ざりしは、蓋し、また謂れなきに非ず。下等士族の輩が、数年以来教育に心を用るといえども、その教育は悉皆上等士族の風を真似たるものなれば、もとよりその範囲を脱すること能わず。剣術の巧拙を争わん歟、上士の内に剣客甚だ多くして毫も下士の侮を取らず。漢学の深浅を論ぜん歟、下士の勤学は日浅くして、もとより上士の文雅に及ぶべからず。 また下士の内に少しく和学を研究し水戸の学流を悦ぶ者あれども、田舎の和学、田舎の水戸流にして、日本活世界の有様を知らず。すべて中津の士族は他国に出ること少なく他藩人に交ること稀なるを以て、藩外の事情を知るの便なし。故に下等士族が教育を得てその気力を増し、心の底には常に上士を蔑視して憚るところなしといえども、その気力なるものはただ一藩内に養成したる気力にして、所謂世間見ずの田舎者なれば、他藩の例に傚てこれを実地に活用すること能わず。かつその仲間の教育なり年齢なり、また門閥なり、おおよそ一様同等にして抜群の巨魁なきがために、衆力を中心に集めて方向を一にするを得ず。ついに維新の前後より廃藩置県の時に際し今日に至るまで、中津藩に限りて無事静穏なりし由縁なり。もしもこの際に流行の洋学者か、または有力なる勤王家が、藩政を攪擾することあらば、とても今日の旧中津藩は見るべからざるなり。今その然らざるは、これを偶然の幸福、因循の賜というべし。
書き下し
この事情に従て維新の際に至り、ますます下士族の権力を逞うすることあらば、或は人物を黜陟し或は禄制を変革し、なお甚しきは所謂要路の因循吏を殺して、当時流行の青面書生が家老参事の地位を占めて得々たるがごとき奇談をも出現すべきはずなるに、中津藩に限りてこの変を見ざりしは、蓋し、また謂れなきに非ず。下等士族の輩が、数年以来教育に心を用るといえども、その教育は悉皆上等士族の風を真似たるものなれば、もとよりその範囲を脱すること能わず。剣術の巧拙を争わん歟、上士の内に剣客甚だ多くして毫も下士の侮を取らず。漢学の深浅を論ぜん歟、下士の勤学は日浅くして、もとより上士の文雅に及ぶべからず。 また下士の内に少しく和学を研究し水戸の学流を悦ぶ者あれども、田舎の和学、田舎の水戸流にして、日本活世界の有様を知らず。すべて中津の士族は他国に出ること少なく他藩人に交ること稀なるを以て、藩外の事情を知るの便なし。故に下等士族が教育を得てその気力を増し、心の底には常に上士を蔑視して憚るところなしといえども、その気力なるものはただ一藩内に養成したる気力にして、所謂世間見ずの田舎者なれば、他藩の例に傚てこれを実地に活用すること能わず。かつその仲間の教育なり年齢なり、また門閥なり、おおよそ一様同等にして抜群の巨魁なきがために、衆力を中心に集めて方向を一にするを得ず。ついに維新の前後より廃藩置県の時に際し今日に至るまで、中津藩に限りて無事静穏なりし由縁なり。もしもこの際に流行の洋学者か、または有力なる勤王家が、藩政を攪擾することあらば、とても今日の旧中津藩は見るべからざるなり。今その然らざるは、これを偶然の幸福、因循の賜というべし。
現代語訳
こうした事情から、維新の際にいっそう下士族が権力をふるえば、人物を登用したり退けたり、禄の制度を変えたり、さらにひどくなれば、いわゆる要路の因循な役人を殺して、当時流行の青白い顔の書生が家老や参事の地位を占めて得意になる、といった奇妙な話も現れるはずでした。ところが、中津藩に限ってはこの変動を見なかったのには、理由がないわけではありません。下等士族の者たちは、数年来、教育に心を向けてきましたが、その教育はすべて上等士族の風をまねたものですから、もとよりその範囲を脱することができません。剣術の巧拙を争おうとすれば、上士の中に剣客が非常に多く、少しも下士に侮られません。漢学の深さを論じようとすれば、下士の勉学は日が浅く、もとより上士の文雅に及びません。 また、下士の中に少しばかり国学を研究し水戸の学風を喜ぶ者はいますが、田舎の国学、田舎の水戸流であって、日本の動いている世界の様子を知りません。すべて中津の士族は他国に出ることが少なく、他藩の人と交わることもまれですから、藩外の事情を知る手立てがありません。それゆえ下等士族は教育を得て気力を増し、心の底ではいつも上士を見下して遠慮するところがありませんが、その気力はただ一つの藩内で養ったもので、いわゆる世間知らずの田舎者ですから、他藩の例にならってそれを実地に活用することができません。そのうえ仲間の教育も年齢も門閥も、おおよそ同じ程度で、抜きんでた大物がいないため、人々の力を中心に集めて向きをそろえることができません。ついに維新の前後から廃藩置県のとき、そして今日に至るまで、中津藩だけが無事で静穏であったのは、このためです。もしこの際に、流行の洋学者か、有力な勤王家が藩政をかき乱していたら、今日の旧中津藩はとても見られなかったでしょう。そうならなかったのは、偶然の幸福、因循の賜物というべきです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
福沢諭吉小品集・旧藩情・第12段これに反して上士は古より藩中無敵の好地位を占るが為に、漸次に惰弱に陥るは必然の勢、二、三十年以来、酒を飲み宴を開くの風を生じ(元来飲酒会宴の事は下士に多くして、上士は都て質朴なりき)、殊に徳川の末年、諸侯の妻子を放解して国邑に帰えすの令を出したるとき、江戸定府とて古来江戸の中津藩邸に住居する藩士も中津に移住し、かつこの時には天下多事にして、藩地の士族も頻りに都会の地に往来してその風俗に慣れ、その物品を携えて帰り、中津へ移住する江戸の定府藩士は妻子と共に大都会の軽便流を田舎藩地の中心に排列するの勢なれば、すでに惰弱なる田舎の士族は、あたかもこれに眩惑して、ますます華美軽薄の風に移り、およそ中津にて酒宴遊興の盛なる、古来特にこの時を以て最とす。故に中津の上等士族は、天下多事のために士気を興奮するには非ずして、かえってこれがためにその懶惰不行儀の風を進めたる者というべし。 右のごとく上士の気風は少しく退却の痕を顕わし、下士の力は漸く進歩の路に在り。一方に釁の乗ずべきものあれば、他の一方においてこれを黙せざるもまた自然の勢、これを如何ともすべからず。この時に下士の壮年にして非役なる者(全く非役には非ざれども、藩政の要路に関らざる者なり)数十名、ひそかに相議して、当時執権の家老を害せんとの事を企てたることあり。中津藩においては古来未曽有の大事件、もしこの事をして三十年の前にあらしめなば、即日にその党与を捕縛して遺類なきは疑を容れざるところなれども、如何せん、この時の事勢においてこれを抑制すること能わず、ついに姑息の策に出で、その執政を黜けて一時の人心を慰めたり。二百五十余年、一定不変と名けたる権力に平均を失い、その事実に顕われたるものは、この度の事件をもって始とす。(事は文久三癸亥の年に在り)
-
福沢諭吉小品集・旧藩情・第15段すでに学校に心を帰すれば、門閥の念も同時に断絶してその痕跡を見るべからず。市学校は、あたかも門閥の念慮を測量する試験器というも可なり。(余輩もとより市学校に入らざる者を見て悉皆これを門閥守旧の人というに非ず。近来は市校の他に学校も多ければ、子弟のために適当の場所を選ぶは全く父母の心に存することにして、これがため、敢てその人物を軽重するにはあらざれども、真に市校に心を帰して疑わざる者は、果して門閥の念を断絶する人物なるが故に、本文のごとくこれを証するのみ。)下等士族の輩が上士に対して不平を抱く由縁は、専ら門閥虚威の一事に在て、然もその門閥家の内にて有力者と称する人物に向て敵対の意を抱くことなれども、その好敵手と思う者が首として自から門閥の陋習を脱したるが故に、下士は恰も戦わんと欲して忽ち敵の所在を失うたる者のごとし。敵のためにも、味方のためにも、双方共に無上の幸というべし。故にいわく、市学校は旧中津藩の僥倖を重ねて固くして真の幸福となしたるものなり。 余輩の所見をもって、旧中津藩の沿革を求め、殊に三十年来、余が目撃と記憶に存する事情の変化を察すれば、その大略、前条のごとくにして、たとい僥倖にもせよ、または明に原因あるにもせよ、今日旧藩士族の間に苦情争論の痕跡を見ざるは事実において明白なり。(今年数十名の藩士が脱走して薩に入りたるは、全くその脱走人限りのことにして、爾余の藩士に関係あることなし。)然りといえども、今日の事実かくのごとくにして、果して明日の患なきを期すべきや。これを察せざるべからず。今日の有様を以て事の本位と定め、これより進むものを積極となし、これより退くものを消極となし、余輩をしてその積極を望ましむれば期するところ左のごとし。
-
福沢諭吉小品集・旧藩情・第10段中津の藩政も他藩のごとく専ら分を守らしむるの趣意にして、圧制を旨とし、その精密なることほとんど至らざるところなし。而してその政権はもとより上士に帰することなれば、上士と下士と対するときは、藩法、常に上士に便にして下士に不便ならざるを得ずといえども、金穀会計のことに至ては上士の短所なるを以て、名は役頭または奉行などと称すれども、下役なる下士のために籠絡せらるる者多し。故に上士の常に心を関するところは、尊卑階級のことに在り。この一事においては、往々事情に適せずして有害無益なるものあり。誓えば藩政の改革とて、藩士一般に倹約を命ずることあり。この時、衣服の制限を立るに、何の身分は綿服、何は紬まで、何は羽二重を許すなどと命を出すゆえ、その命令は一藩経済のため歟、衣冠制度のため歟、両様混雑して分明ならず。恰も倹約の幸便に格式りきみをするがごとくにして、綿服の者は常に不平を抱き、到底倹約の永久したることなし。 また今を去ること三十余年、固め番とて非役の徒士に城門の番を命じたることあり。この門番は旧来足軽の職分たりしを、要路の者の考に、足軽は煩務にして徒士は無事なるゆえ、これを代用すべしといい、この考と、また一方には上士と下士との分界をなお明にして下士の首を押えんとの考を交え、その実はこれがため費用を省くにもあらず、武備を盛にするにもあらず、ただ一事無益の好事を企てたるのみ。この一条については下士の議論沸騰したれども、その首魁たる者二、三名の家禄を没入し、これを藩地外に放逐して鎮静を致したり。
-
福沢諭吉小品集・旧藩情・第14段中津藩はすでにこの偶然の僥倖に由て維新の際に諸藩普通の禍を免かれ、爾後また重ねてこの僥倖を固くしたるものあり。けだしそのこれを固くしたるものとは市学校の設立、すなわちこれなり。明治四年廃藩のころ、中津の旧官員と東京の慶応義塾と商議の上、旧知事の家禄を分ち旧藩の積金と合して洋学の資本となして、中津の旧城下に学校を立ててこれを市学校と名けたり。学校の規則もとより門閥貴賤を問わずと、表向の名に唱るのみならず事実にこの趣意を貫き、設立のその日より釐毫も仮すところなくして、あたかも封建門閥の残夢中に純然たる四民同権の一新世界を開きたるがごとし。 けだし慶応義塾の社員は中津の旧藩士族に出る者多しといえども、従来少しもその藩政に嘴を入れず、旧藩地に何等の事変あるも恬として呉越の観をなしたる者なれば、往々誤て薄情の譏は受るも、藩の事務を妨げその何れの種族に党するなどと評せられたることなし。故にこの市学校を設立するにも、真に旧藩地一般のためにするの事実明白にして、何等の陋眼をもってこれを視るも、上士を先にするというべからず、下士を後にするというべからず、その目的とするところは正しく中津旧藩の格式りきみを制し、これを制了して共に与に日本社会の虚威を圧倒せんとするもののごとくにして、藩士のこの学校に帰すると否とはその自然に任したりしに、士族の上下に別なく漸く学に就く者多く、なかんずく上等士族の有力なる人物にて、その子弟を学校に入るる者も少なからず。
-
福翁自伝・一身一家経済の由来・旧藩の平穏は自から原因あり私の経済話から段々枝がさいて長くなりましたが、序ながら中津藩の事に就て、モ少し云う事があります。前に申す通り私は勤王佐幕など云う天下の政治論に少しも関係しないのみならず、奥平藩の藩政にまでも至極淡泊にあったと云うその為めに、茲に随分心に快いことがある、と云うのはあの王政維新の改革が行われたときに、諸藩の事情を察するに、勤王佐幕の議論が盛で、動もすれば旧大臣等に腹を切らせるとか、大英断を以て藩政改革とか云う為めに、一藩中に争論が起り、党派が分れて血を流すと云うようなことは、何れの藩も十中八、九、皆ソレであったその時に、若し私に政治上の功名心があって、藩に行て佐幕とか勤王とか何か云出せば、必ず一騒動を起すに違いない。所が私は黙て居て一寸も発言せず、人が噂をすれば、爾う喧しく云わんでも宜い、棄てゝ置きなさいと云うように、極淡泊にして居たから、中津の藩中が誠に静で、人殺しも何もなかったのはソレが為めだろうと思います。人殺しどころか人を黜陟したと云うこともなかった。
-
福沢諭吉小品集・旧藩情・第20段中津の旧藩にて、上下の士族が互に婚姻の好を通ぜざりしは、藩士社会の一大欠典にして、その弊害はほとんど人心の底に根拠して動かすべからざるもののごとし。今日に至ては稀に上下相婚する者もなきに非ざれども、今後ますますこの路を開くべきの勢を見ず。上士の残夢未だ醒めずして陰にこれを忌むものあれば、下士は却てこれを懇望せざるのみならず、士女の別なく、上等の家に育せられたる者は実用に適せず、これと婚姻を通ずるも後日生計の見込なしとて、一概に擯斥する者あり。一方は婚を以て恩徳のごとく心得、一方はその徳を徳とせずしてこれを賤しむの勢なれば、出入の差、甚だ大にして、とても通婚の盛なるべき見込あることなし。 然りといえども、世の中の事物は悉皆先例に傚うものなれば、有力の士は勉めてその魁をなしたきことなり。婚姻はもとより当人の意に従て適不適もあり、また後日生計の見込もなき者と強いて婚すべきには非ざれども、先入するところ、主となりて、良偶を失うの例も少なからず。親戚朋友の注意すべきことなり。一度び互に婚姻すればただ双方両家の好のみならず、親戚の親戚に達して同時に幾家の歓を共にすべし。いわんや子を生み孫を生むに至ては、祖父を共にする者あり、曽祖父を共にする者あり、共に祖先の口碑をともにして、旧藩社会、別に一種の好情帯を生じ、その功能は学校教育の成跡にも万々劣ることなかるべし。
人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る