福沢諭吉小品集 / 旧藩情・第4段
これ等の件々は逐一計うるに暇あらず。到底上下両等の士族は各その等類の内に些少の分別ありといえども、動かすべからざるものに非ず。独り上等と下等との大分界に至ては、ほとんど人為のものとは思われず、天然の定則のごとくにして、これを怪しむ者あることなし。(権利を異にす) 第二、上等士族を給人と称し、下等士族を徒士または小役人といい、給人以上と徒士以下とは何等の事情あるも縁組したることなし。この縁組は藩法においても風俗においても共に許さざるところなり。啻に表向の縁組のみならず、古来士族中にて和姦の醜聞ありし者を尋るに、上下の士族各その等類中に限り、各等の男女が互に通じたる者ははなはだ稀なり。(ただし日本士族の風俗は最も美にして、和姦などの沙汰は極めて稀に聞くところなり。中津藩士ももとより同様なれども、ここにはただ事実の例を示さんがために、その稀に有る者の数を比較したるのみ。) かつ限ある士族の内にて互に縁組することなれば、縁に縁を重ねて、二、三百年以来今日に至ては、士族はただ同藩の好あるのみならず、現に骨肉の親族にして、その好情の篤きはもとより論を俟たず。然るに今日、試に士族の系図を開てこれを見れば、古来上下の両等が父祖を共にしたる者なし、祖先の口碑を共にしたる者なし。恰も一藩中に人種の異なる者というも可なり。故にこの両等は藩を同うし君を共にするの交誼ありて骨肉の親情なき者なり。(骨肉の縁を異にす) 第三、上等士族の内にも家禄にはもとより大なる差ありて、大臣は千石、二千石、なおこれより以上なる者もあり。上等の最下、小姓組、医師のごときは、十人扶持より少なき者もあれども、これを概するに百石二百石或は二百五十石と唱えて、正味二十二、三石より四十石乃至五、六十石の者最も多し。藩にて要路に立つ役人は、多くはこの百石(名目のみ)以上の家に限るを例とす。藩にて正味二、三十石以上の米あれば、尋常の家族にて衣食に差支あることなく、子弟にも相当の教育を施すべし。
書き下し
これ等の件々は逐一計うるに暇あらず。到底上下両等の士族は各その等類の内に些少の分別ありといえども、動かすべからざるものに非ず。独り上等と下等との大分界に至ては、ほとんど人為のものとは思われず、天然の定則のごとくにして、これを怪しむ者あることなし。(権利を異にす) 第二、上等士族を給人と称し、下等士族を徒士または小役人といい、給人以上と徒士以下とは何等の事情あるも縁組したることなし。この縁組は藩法においても風俗においても共に許さざるところなり。啻に表向の縁組のみならず、古来士族中にて和姦の醜聞ありし者を尋るに、上下の士族各その等類中に限り、各等の男女が互に通じたる者ははなはだ稀なり。(ただし日本士族の風俗は最も美にして、和姦などの沙汰は極めて稀に聞くところなり。中津藩士ももとより同様なれども、ここにはただ事実の例を示さんがために、その稀に有る者の数を比較したるのみ。) かつ限ある士族の内にて互に縁組することなれば、縁に縁を重ねて、二、三百年以来今日に至ては、士族はただ同藩の好あるのみならず、現に骨肉の親族にして、その好情の篤きはもとより論を俟たず。然るに今日、試に士族の系図を開てこれを見れば、古来上下の両等が父祖を共にしたる者なし、祖先の口碑を共にしたる者なし。恰も一藩中に人種の異なる者というも可なり。故にこの両等は藩を同うし君を共にするの交誼ありて骨肉の親情なき者なり。(骨肉の縁を異にす) 第三、上等士族の内にも家禄にはもとより大なる差ありて、大臣は千石、二千石、なおこれより以上なる者もあり。上等の最下、小姓組、医師のごときは、十人扶持より少なき者もあれども、これを概するに百石二百石或は二百五十石と唱えて、正味二十二、三石より四十石乃至五、六十石の者最も多し。藩にて要路に立つ役人は、多くはこの百石(名目のみ)以上の家に限るを例とす。藩にて正味二、三十石以上の米あれば、尋常の家族にて衣食に差支あることなく、子弟にも相当の教育を施すべし。
現代語訳
これらの事柄は逐一数える暇がありません。いずれにしても上下両等の士族は、それぞれの等級の内部では少々の分別があるものの、動かせないものではありません。ただ上等と下等の大きな境界に至っては、ほとんど人為のものとは思われず、天然の定則のようで、これを怪しむ者はありません。(権利を異にす) 第二、上等士族を給人と称し、下等士族を徒士または小役人といい、給人以上と徒士以下は、どのような事情があっても縁組をしたことがありません。この縁組は藩法においても風俗においても、ともに許さないところです。表向きの縁組だけでなく、古来士族の中で和姦の醜聞があった者を調べても、上下の士族それぞれの等級の中に限られ、各等の男女が互いに通じた者はきわめて稀です。(ただし日本士族の風俗は最も美しく、和姦などの話はきわめて稀に聞くところです。中津藩士ももとより同様ですが、ここではただ事実の例を示すために、その稀にある者の数を比較したのみです。) しかも限りのある士族の内で互いに縁組することですから、縁に縁を重ねて、二、三百年来、今日に至っては、士族はただ同藩のよしみがあるだけでなく、現に骨肉の親族であり、その好情の篤いことはもとより論を待ちません。ところが今日、試みに士族の系図を開いて見れば、古来上下の両等が父祖を共にした者はなく、祖先の言い伝えを共にした者もありません。あたかも一藩の中に人種の異なる者がいるというのも可です。ですからこの両等は、藩を同じくし君を共にする交誼はあっても、骨肉の親情はない者です。(骨肉の縁を異にす) 第三、上等士族の内にも家禄にはもとより大きな差があり、大臣は千石、二千石、なおこれ以上の者もあります。上等の最下、小姓組や医師のようなものは、十人扶持より少ない者もありますが、これを概して言えば、百石、二百石、あるいは二百五十石と称して、実質二十二、三石から四十石ないし五、六十石の者が最も多いです。藩で要職に就く役人は、多くはこの百石(名目のみ)以上の家に限るのが例です。藩で実質二、三十石以上の米があれば、普通の家族で衣食に差し支えることはなく、子弟にも相当の教育を施せるでしょう。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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福沢諭吉小品集・旧藩情・第3段第一、下等士族は何等の功績あるも何等の才力を抱くも、決して上等の席に昇進するを許さず。稀に祐筆などより立身して小姓組に入たる例もなきに非ざれども、治世二百五十年の間、三、五名に過ぎず。故に下等士族は、その下等中の黜陟に心を関して昇進を求れども、上等に入るの念は、もとよりこれを断絶して、その趣は走獣あえて飛鳥の便利を企望せざる者のごとし。また前にいえるごとく、大臣と小姓組との身分は大に異なるがごとくなれども、小姓組が立身して用人となりし例は珍らしからず。大臣の二、三男が家を分てば必ず小姓組たるの法なれば、必竟大臣も小姓組も同一種の士族といわざるを得ず。 また下等の中小姓と足軽との間にも甚しき区別あれども、足軽が小役人に立身してまた中小姓と為るは甚だ易し。しかのみならず百姓が中間と為り、中間が小頭となり、小頭の子が小役人と為れば、すなわち下等士族中に恥かしからぬ地位を占むべし。また足軽は一般に上等士族に対して、下座とて、雨中、往来に行逢うとき下駄を脱いで路傍に平伏するの法あり。足軽以上小役人格の者にても、大臣に逢えば下座平伏を法とす。啻に大臣のみならず、上士の用人役たる者に対しても、同様の礼をなさざるを得ず。また下士が上士の家に行けば、次の間より挨拶して後に同間に入り、上士が下士の家に行けば、座敷まで刀を持ち込むを法とす。 また文通に竪様、美様、平様、殿付け等の区別ありて、決してこれを変ずべからず。また言葉の称呼に、長少の別なく子供までも、上士の者が下士に対して貴様といえば、下士は上士に向てあなたといい、来やれといえば御いでなさいといい、足軽が平士に対し、徒士が大臣に対しては、直にその名をいうを許さず、一様に旦那様と呼て、その交際は正しく主僕の間のごとし。また上士の家には玄関敷台を構えて、下士にはこれを許さず。上士は騎馬し、下士は徒歩し、上士には猪狩川狩の権を与えて、下士にはこれを許さず。しかのみならず文学は下士の分にあらずとて、表向の願を以て他国に遊学するを許さざりしこともあり。
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福沢諭吉小品集・旧藩情・第5段これに反して下等士族は十五石三人扶持、十三石二人扶持、或は十石一人扶持もあり、なお下て金給の者もあり。中以上のところにて正味七、八石乃至十余石に上らず。夫婦暮しなれば格別、もしも三、五人の子供または老親あれば、歳入を以て衣食を給するに足らず。故に家内力役に堪る者は男女を問わず、或は手細工或は紡績等の稼を以て辛うじて生計を為すのみ。名は内職なれどもその実は内職を本業として、かえって藩の公務を内職にする者なれば、純然たる士族に非ず、或はこれを一種の職人というも可なり。生計を求むるに忙わしく、子弟の教育を顧るに遑あらず。故に下等士族は文学その他高尚の教に乏しくして自から賤しき商工の風あり。(貧富を異にす) 第四、上等の士族は衣食に乏しからざるを以て文武の芸を学ぶに余暇あり。或は経史を読み或は兵書を講じ、騎馬槍剣、いずれもその時代に高尚と名る学芸に従事するが故に、自から品行も高尚にして賤しからず、士君子として風致の観るべきもの多し。下等士族は則ち然らず。役前の外、馬に乗る者とては一人もなく、内職の傍に少しく武芸を勉め、文学は四書五経歟、なお進て蒙求、左伝の一、二巻に終る者多し。特にその勉強するところのものは算筆に在て、この技芸に至ては上等の企て及ぶところに非ず。蓋しその由縁は、下等士族が、やや家産の豊なるを得て、仲間の栄誉を取るべき路はただ小吏たるの一事にして、この吏人たらんには必ず算筆の技芸を要するが故に、恰も毎家教育の風を成し、いかなる貧小士族にてもこの技芸を勉めざる者なし。 今を以て考うれば、算筆の芸もとより賤しむべきに非ざれども、当時封建士族の世界にこれを賤しむの風なれば、これに従事する者は自からその品行も賤しくして、士君子の仲間に歯せられざる者のごとし。譬えば上等士族は習字にも唐様を学び、下等士族は御家流を書き、世上一般の気風にてこれを評すれば、字の巧拙を問わずして御家流をば俗様として賤しみ、これを書く者をも俗吏俗物として賤しむの勢を成せり。(教育を異にす)
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福沢諭吉小品集・旧藩情・第9段いうことを 行けよという いきなさい いきなはい 下士に同じ 下士に同じ ことを 又いきない 又いきなはりい 如何せんかと どをしよをか どをしゆうか どげいしゆうか 商に同じ いうことを 又どをしゆうか この外、筆にも記しがたき語風の異同は枚挙に遑あらず。故に隔壁にても人の対話を聞けば、その上士たり、下士たり、商たり、農たるの区別は明に知るべし。(風俗を異にす) 右条々のごとく、上下両等の士族は、権利を異にし、骨肉の縁を異にし、貧富を異にし、教育を異にし、理財活計の趣を異にし、風俗習慣を異にする者なれば、自からまたその栄誉の所在も異なり、利害の所関も異ならざるを得ず。栄誉利害を異にすれば、また従て同情相憐むの念も互に厚薄なきを得ず。譬えば、上等の士族が偶然会話の語次にも、以下の者共には言われぬことなれどもこの事は云々、ということあり。下等士族もまた給人分の輩は知らぬことなれども彼の一条は云々、とて、互に窃に疑うこともあり憤ることもありて、多年苦々しき有様なりしかども、天下一般、分を守るの教を重んじ、事々物々秩序を存して動かすべからざるの時勢なれば、ただその時勢に制せられて平生の疑念憤怒を外形に発すること能わず、或は忘るるがごとくにしてこれを発することを知らざりしのみ。
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福沢諭吉小品集・旧藩情・第8段俗官汚吏はしばらく擱き、品行正雅の士といえども、この徳沢の範囲を脱せんとするも、実際においてほとんど能すべからざることなり。藩にて廉潔の役人と称し、賄賂役徳をば一切取らずとて、人もこれを信じ自からこれを許す者あれども、町人がこの役人へ安利にて金を貸し、または態と高利にてその金を預り、または元値を損して安物を売る等、様々の手段を用いてこれに近づくときは、役人は知らず識らずして賄賂の甘き穽に陥らざるを得ず。蓋し人として理財商売の考あらざれば、到底その品行を全うすること能わざるものなり。以上枚挙の件々はいずれも皆藩士常禄の他に得るところのものなれども、今日に至てはかかる無名間接の利益あることなし。藩士の困迫する一の原因なり。 第六、上士族は大抵婢僕を使用す。たといこれなきも、主人は勿論、子弟たりとも、自から町に行て物を買う者なし。町の銭湯に入る者なし。戸外に出れば袴を着けて双刀を帯す。夜行は必ず提灯を携え、甚しきは月夜にもこれを携る者あり。なお古風なるは、婦女子の夜行に重大なる箱提灯を僕に持たする者もあり。外に出でて物を買うを賤しむがごとく、物を持つもまた不外聞と思い、剣術道具釣竿の外は、些細の風呂敷包にても手に携うることなし。 下士はよき役を勤て兼て家族の多勢なる家に非ざれば、婢僕を使わず。昼間は町に出でて物を買う者少なけれども、夜は男女の別なく町に出るを常とす。男子は手拭を以て頬冠りし、双刀を帯する者あり、或は一刀なる者あり。或は昼にても、近処の歩行なれば双刀は帯すれども袴を着けず、隣家の往来などには丸腰(無刀のこと)なるもあり。また宴席、酒酣なるときなどにも、上士が拳を打ち歌舞するは極て稀なれども、下士は各隠し芸なるものを奏して興を助る者多し。これを概するに、上士の風は正雅にして迂闊、下士の風は俚賤にして活溌なる者というべし。その風俗を異にするの証は、言語のなまりまでも相同じからざるものあり。今、旧中津藩地士農商の言語なまりの一、二を示すこと左のごとし。 上士 下士 商 農 見て呉れよと みちくれい みちくりい みてくりい みちぇくりい
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福沢諭吉小品集・旧藩情・第20段中津の旧藩にて、上下の士族が互に婚姻の好を通ぜざりしは、藩士社会の一大欠典にして、その弊害はほとんど人心の底に根拠して動かすべからざるもののごとし。今日に至ては稀に上下相婚する者もなきに非ざれども、今後ますますこの路を開くべきの勢を見ず。上士の残夢未だ醒めずして陰にこれを忌むものあれば、下士は却てこれを懇望せざるのみならず、士女の別なく、上等の家に育せられたる者は実用に適せず、これと婚姻を通ずるも後日生計の見込なしとて、一概に擯斥する者あり。一方は婚を以て恩徳のごとく心得、一方はその徳を徳とせずしてこれを賤しむの勢なれば、出入の差、甚だ大にして、とても通婚の盛なるべき見込あることなし。 然りといえども、世の中の事物は悉皆先例に傚うものなれば、有力の士は勉めてその魁をなしたきことなり。婚姻はもとより当人の意に従て適不適もあり、また後日生計の見込もなき者と強いて婚すべきには非ざれども、先入するところ、主となりて、良偶を失うの例も少なからず。親戚朋友の注意すべきことなり。一度び互に婚姻すればただ双方両家の好のみならず、親戚の親戚に達して同時に幾家の歓を共にすべし。いわんや子を生み孫を生むに至ては、祖父を共にする者あり、曽祖父を共にする者あり、共に祖先の口碑をともにして、旧藩社会、別に一種の好情帯を生じ、その功能は学校教育の成跡にも万々劣ることなかるべし。
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福沢諭吉小品集・旧藩情・第10段中津の藩政も他藩のごとく専ら分を守らしむるの趣意にして、圧制を旨とし、その精密なることほとんど至らざるところなし。而してその政権はもとより上士に帰することなれば、上士と下士と対するときは、藩法、常に上士に便にして下士に不便ならざるを得ずといえども、金穀会計のことに至ては上士の短所なるを以て、名は役頭または奉行などと称すれども、下役なる下士のために籠絡せらるる者多し。故に上士の常に心を関するところは、尊卑階級のことに在り。この一事においては、往々事情に適せずして有害無益なるものあり。誓えば藩政の改革とて、藩士一般に倹約を命ずることあり。この時、衣服の制限を立るに、何の身分は綿服、何は紬まで、何は羽二重を許すなどと命を出すゆえ、その命令は一藩経済のため歟、衣冠制度のため歟、両様混雑して分明ならず。恰も倹約の幸便に格式りきみをするがごとくにして、綿服の者は常に不平を抱き、到底倹約の永久したることなし。 また今を去ること三十余年、固め番とて非役の徒士に城門の番を命じたることあり。この門番は旧来足軽の職分たりしを、要路の者の考に、足軽は煩務にして徒士は無事なるゆえ、これを代用すべしといい、この考と、また一方には上士と下士との分界をなお明にして下士の首を押えんとの考を交え、その実はこれがため費用を省くにもあらず、武備を盛にするにもあらず、ただ一事無益の好事を企てたるのみ。この一条については下士の議論沸騰したれども、その首魁たる者二、三名の家禄を没入し、これを藩地外に放逐して鎮静を致したり。
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