福沢諭吉小品集 / 旧藩情・第6段
第五、上士族の内にも小禄の貧者なきに非ざれども、概してこれを見れば、その活計は入に心配なくして、ただ出の一部に心を用るのみ。下士族は出入共に心に関して身を労する者なれば、その理財の精細なること上士の夢にも知らざるもの多し。二人扶持とは一箇月に玄米三斗なり。夫婦に三人の子供あれば一日に少なくも白米一升五合より二升は入用なるゆえ、現に一月二、三斗の不足なれども、内職の所得を以て麦を買い粟を買い、或は粥或は団子、様々の趣向にて食を足す。これを通語にて足し扶持という。食物すでに足るも衣服なかるべからず。すなわち家婦の任にして、昼夜の別なく糸を紡ぎ木綿を織り、およそ一婦人、世帯の傍に、十日の労を以て百五十目の綿を一反の木綿に織上れば、三百目の綿に交易すべし。これを方言にて替引という。 一度は綿と交易してつぎの替引の材料となし、一度は銭と交易して世帯の一分を助け、非常の勉強に非ざれば、この際に一反を余して私家の用に供するを得ず。娘の嫁入前に母子ともに忙しきは、仕度の品を買てこれを製するがために非ず、その品を造るがためなり。或はこれを買うときは、そのこれを買うの銭を作るがためなり。かかる理財の味は、上士族の得て知るところに非ず。この点より論ずれば上士も一種の小華族というて可なり。廃藩の後、士族の所得は大に減じて一般の困迫というといえども、もしも今の上士の家禄を以てこれを下士に附与して下士従来の活計を立てしめなば、三、五年の間に必ず富有を致すことあるべし。(理財活計の趣を異にす)
書き下し
第五、上士族の内にも小禄の貧者なきに非ざれども、概してこれを見れば、その活計は入に心配なくして、ただ出の一部に心を用るのみ。下士族は出入共に心に関して身を労する者なれば、その理財の精細なること上士の夢にも知らざるもの多し。二人扶持とは一箇月に玄米三斗なり。夫婦に三人の子供あれば一日に少なくも白米一升五合より二升は入用なるゆえ、現に一月二、三斗の不足なれども、内職の所得を以て麦を買い粟を買い、或は粥或は団子、様々の趣向にて食を足す。これを通語にて足し扶持という。食物すでに足るも衣服なかるべからず。すなわち家婦の任にして、昼夜の別なく糸を紡ぎ木綿を織り、およそ一婦人、世帯の傍に、十日の労を以て百五十目の綿を一反の木綿に織上れば、三百目の綿に交易すべし。これを方言にて替引という。 一度は綿と交易してつぎの替引の材料となし、一度は銭と交易して世帯の一分を助け、非常の勉強に非ざれば、この際に一反を余して私家の用に供するを得ず。娘の嫁入前に母子ともに忙しきは、仕度の品を買てこれを製するがために非ず、その品を造るがためなり。或はこれを買うときは、そのこれを買うの銭を作るがためなり。かかる理財の味は、上士族の得て知るところに非ず。この点より論ずれば上士も一種の小華族というて可なり。廃藩の後、士族の所得は大に減じて一般の困迫というといえども、もしも今の上士の家禄を以てこれを下士に附与して下士従来の活計を立てしめなば、三、五年の間に必ず富有を致すことあるべし。(理財活計の趣を異にす)
現代語訳
第五、上士族の中にも小禄の貧者がいないわけではありませんが、概して見れば、その暮らしは収入には心配がなく、ただ支出の一部に気を配るだけです。下士族は収支ともに心にかけて身を労する者ですから、その財を扱う精細さは、上士が夢にも知らないものが多いです。二人扶持とは一か月に玄米三斗のことです。夫婦に三人の子供があれば、一日に少なくとも白米一升五合から二升は必要ですから、現に一か月に二、三斗の不足がありますが、内職の収入で麦を買い、粟を買い、あるいは粥や団子などさまざまな工夫で食を足します。これを通語で足し扶持といいます。食べ物がすでに足りても、衣服がなくてはなりません。これは家の婦人の務めで、昼夜の別なく糸を紡ぎ木綿を織り、およそ一人の婦人が、家事のかたわら、十日の労働で百五十目の綿を一反の木綿に織り上げれば、三百目の綿と交換できます。これを方言で替引といいます。 一度は綿と交換して次の替引の材料とし、一度は銭と交換して家計の一部を助け、非常な勉強でなければ、この際に一反を余して自家の用に供することはできません。娘の嫁入り前に母子ともに忙しいのは、支度の品を買ってそろえるためではなく、その品を造るためです。あるいはこれを買うときは、買うための銭を作るためです。このような財を扱う味わいは、上士族の知るところではありません。この点から論じれば、上士も一種の小華族と言ってよいでしょう。廃藩の後、士族の収入は大いに減って一般に困窮しているとはいえ、もし今の上士の家禄を下士に付与して、下士の従来のやり方で暮らしを立てさせたなら、三、五年の間に必ず富有になるでしょう。(理財活計の趣を異にす)
解説
この章句が説くこと
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福沢諭吉小品集・旧藩情・第5段これに反して下等士族は十五石三人扶持、十三石二人扶持、或は十石一人扶持もあり、なお下て金給の者もあり。中以上のところにて正味七、八石乃至十余石に上らず。夫婦暮しなれば格別、もしも三、五人の子供または老親あれば、歳入を以て衣食を給するに足らず。故に家内力役に堪る者は男女を問わず、或は手細工或は紡績等の稼を以て辛うじて生計を為すのみ。名は内職なれどもその実は内職を本業として、かえって藩の公務を内職にする者なれば、純然たる士族に非ず、或はこれを一種の職人というも可なり。生計を求むるに忙わしく、子弟の教育を顧るに遑あらず。故に下等士族は文学その他高尚の教に乏しくして自から賤しき商工の風あり。(貧富を異にす) 第四、上等の士族は衣食に乏しからざるを以て文武の芸を学ぶに余暇あり。或は経史を読み或は兵書を講じ、騎馬槍剣、いずれもその時代に高尚と名る学芸に従事するが故に、自から品行も高尚にして賤しからず、士君子として風致の観るべきもの多し。下等士族は則ち然らず。役前の外、馬に乗る者とては一人もなく、内職の傍に少しく武芸を勉め、文学は四書五経歟、なお進て蒙求、左伝の一、二巻に終る者多し。特にその勉強するところのものは算筆に在て、この技芸に至ては上等の企て及ぶところに非ず。蓋しその由縁は、下等士族が、やや家産の豊なるを得て、仲間の栄誉を取るべき路はただ小吏たるの一事にして、この吏人たらんには必ず算筆の技芸を要するが故に、恰も毎家教育の風を成し、いかなる貧小士族にてもこの技芸を勉めざる者なし。 今を以て考うれば、算筆の芸もとより賤しむべきに非ざれども、当時封建士族の世界にこれを賤しむの風なれば、これに従事する者は自からその品行も賤しくして、士君子の仲間に歯せられざる者のごとし。譬えば上等士族は習字にも唐様を学び、下等士族は御家流を書き、世上一般の気風にてこれを評すれば、字の巧拙を問わずして御家流をば俗様として賤しみ、これを書く者をも俗吏俗物として賤しむの勢を成せり。(教育を異にす)
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福沢諭吉小品集・旧藩情・第8段俗官汚吏はしばらく擱き、品行正雅の士といえども、この徳沢の範囲を脱せんとするも、実際においてほとんど能すべからざることなり。藩にて廉潔の役人と称し、賄賂役徳をば一切取らずとて、人もこれを信じ自からこれを許す者あれども、町人がこの役人へ安利にて金を貸し、または態と高利にてその金を預り、または元値を損して安物を売る等、様々の手段を用いてこれに近づくときは、役人は知らず識らずして賄賂の甘き穽に陥らざるを得ず。蓋し人として理財商売の考あらざれば、到底その品行を全うすること能わざるものなり。以上枚挙の件々はいずれも皆藩士常禄の他に得るところのものなれども、今日に至てはかかる無名間接の利益あることなし。藩士の困迫する一の原因なり。 第六、上士族は大抵婢僕を使用す。たといこれなきも、主人は勿論、子弟たりとも、自から町に行て物を買う者なし。町の銭湯に入る者なし。戸外に出れば袴を着けて双刀を帯す。夜行は必ず提灯を携え、甚しきは月夜にもこれを携る者あり。なお古風なるは、婦女子の夜行に重大なる箱提灯を僕に持たする者もあり。外に出でて物を買うを賤しむがごとく、物を持つもまた不外聞と思い、剣術道具釣竿の外は、些細の風呂敷包にても手に携うることなし。 下士はよき役を勤て兼て家族の多勢なる家に非ざれば、婢僕を使わず。昼間は町に出でて物を買う者少なけれども、夜は男女の別なく町に出るを常とす。男子は手拭を以て頬冠りし、双刀を帯する者あり、或は一刀なる者あり。或は昼にても、近処の歩行なれば双刀は帯すれども袴を着けず、隣家の往来などには丸腰(無刀のこと)なるもあり。また宴席、酒酣なるときなどにも、上士が拳を打ち歌舞するは極て稀なれども、下士は各隠し芸なるものを奏して興を助る者多し。これを概するに、上士の風は正雅にして迂闊、下士の風は俚賤にして活溌なる者というべし。その風俗を異にするの証は、言語のなまりまでも相同じからざるものあり。今、旧中津藩地士農商の言語なまりの一、二を示すこと左のごとし。 上士 下士 商 農 見て呉れよと みちくれい みちくりい みてくりい みちぇくりい
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福沢諭吉小品集・旧藩情・第4段これ等の件々は逐一計うるに暇あらず。到底上下両等の士族は各その等類の内に些少の分別ありといえども、動かすべからざるものに非ず。独り上等と下等との大分界に至ては、ほとんど人為のものとは思われず、天然の定則のごとくにして、これを怪しむ者あることなし。(権利を異にす) 第二、上等士族を給人と称し、下等士族を徒士または小役人といい、給人以上と徒士以下とは何等の事情あるも縁組したることなし。この縁組は藩法においても風俗においても共に許さざるところなり。啻に表向の縁組のみならず、古来士族中にて和姦の醜聞ありし者を尋るに、上下の士族各その等類中に限り、各等の男女が互に通じたる者ははなはだ稀なり。(ただし日本士族の風俗は最も美にして、和姦などの沙汰は極めて稀に聞くところなり。中津藩士ももとより同様なれども、ここにはただ事実の例を示さんがために、その稀に有る者の数を比較したるのみ。) かつ限ある士族の内にて互に縁組することなれば、縁に縁を重ねて、二、三百年以来今日に至ては、士族はただ同藩の好あるのみならず、現に骨肉の親族にして、その好情の篤きはもとより論を俟たず。然るに今日、試に士族の系図を開てこれを見れば、古来上下の両等が父祖を共にしたる者なし、祖先の口碑を共にしたる者なし。恰も一藩中に人種の異なる者というも可なり。故にこの両等は藩を同うし君を共にするの交誼ありて骨肉の親情なき者なり。(骨肉の縁を異にす) 第三、上等士族の内にも家禄にはもとより大なる差ありて、大臣は千石、二千石、なおこれより以上なる者もあり。上等の最下、小姓組、医師のごときは、十人扶持より少なき者もあれども、これを概するに百石二百石或は二百五十石と唱えて、正味二十二、三石より四十石乃至五、六十石の者最も多し。藩にて要路に立つ役人は、多くはこの百石(名目のみ)以上の家に限るを例とす。藩にて正味二、三十石以上の米あれば、尋常の家族にて衣食に差支あることなく、子弟にも相当の教育を施すべし。
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福沢諭吉小品集・旧藩情・第11段これ等の事情を以て、下士の輩は満腹、常に不平なれども、かつてこの不平を洩すべき機会を得ず。その仲間の中にも往々才力に富み品行賤しからざる者なきに非ざれども、かかる人物は、必ず会計書記等の俗役に採用せらるるが故に、一身の利害に忙わしくして、同類一般の事を顧るに遑あらず。非役の輩は固より智力もなく、かつ生計の内職に役せられて、衣食以上のことに心を関するを得ずして日一日を送りしことなるが、二、三十年以来、下士の内職なるもの漸く繁盛を致し、最前はただ杉檜の指物膳箱などを製し、元結の紙糸を捻る等に過ぎざりしもの、次第にその仕事の種類を増し、下駄傘を作る者あり、提灯を張る者あり、或は白木の指物細工に漆を塗てその品位を増す者あり、或は戸障子等を作て本職の大工と巧拙を争う者あり、しかのみならず、近年に至ては手業の外に商売を兼ね、船を造り荷物を仕入れて大阪に渡海せしむる者あり、或は自からその船に乗る者あり。 もとより下士の輩、悉皆商工に従事するには非ざれども、その一部分に行わるれば仲間中の資本は間接に働をなして、些細の余財もいたずらに嚢底に隠るることなく、金の流通忙わしくして利潤もまた少なからず。藩中に商業行わるれば上士もこれを傍観するに非ず、往々窃に資本を卸す者ありといえども、如何せん生来の教育、算筆に疎くして理財の真情を知らざるが故に、下士に依頼して商法を行うも、空しく資本を失うか、しからざればわずかに利潤の糟粕を嘗るのみ。 下士の輩は漸く産を立てて衣食の患を免かるる者多し。すでに衣食を得て寸暇あれば、上士の教育を羨まざるを得ず。ここにおいてか、剣術の道場を開て少年を教る者あり(旧来、徒士以下の者は、居合い、柔術、足軽は、弓、鉄砲、棒の芸を勉るのみにて、槍術、剣術を学ぶ者、甚だ稀なりき)。子弟を学塾に入れ或は他国に遊学せしむる者ありて、文武の風儀にわかに面目を改め、また先きの算筆のみに安んぜざる者多し。ただしその品行の厳と風致の正雅とに至ては、未だ昔日の上士に及ばざるもの尠なからずといえども、概してこれを見れば品行の上進といわざるを得ず。
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福沢諭吉小品集・旧藩情・第10段中津の藩政も他藩のごとく専ら分を守らしむるの趣意にして、圧制を旨とし、その精密なることほとんど至らざるところなし。而してその政権はもとより上士に帰することなれば、上士と下士と対するときは、藩法、常に上士に便にして下士に不便ならざるを得ずといえども、金穀会計のことに至ては上士の短所なるを以て、名は役頭または奉行などと称すれども、下役なる下士のために籠絡せらるる者多し。故に上士の常に心を関するところは、尊卑階級のことに在り。この一事においては、往々事情に適せずして有害無益なるものあり。誓えば藩政の改革とて、藩士一般に倹約を命ずることあり。この時、衣服の制限を立るに、何の身分は綿服、何は紬まで、何は羽二重を許すなどと命を出すゆえ、その命令は一藩経済のため歟、衣冠制度のため歟、両様混雑して分明ならず。恰も倹約の幸便に格式りきみをするがごとくにして、綿服の者は常に不平を抱き、到底倹約の永久したることなし。 また今を去ること三十余年、固め番とて非役の徒士に城門の番を命じたることあり。この門番は旧来足軽の職分たりしを、要路の者の考に、足軽は煩務にして徒士は無事なるゆえ、これを代用すべしといい、この考と、また一方には上士と下士との分界をなお明にして下士の首を押えんとの考を交え、その実はこれがため費用を省くにもあらず、武備を盛にするにもあらず、ただ一事無益の好事を企てたるのみ。この一条については下士の議論沸騰したれども、その首魁たる者二、三名の家禄を没入し、これを藩地外に放逐して鎮静を致したり。
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福沢諭吉小品集・旧藩情・第9段いうことを 行けよという いきなさい いきなはい 下士に同じ 下士に同じ ことを 又いきない 又いきなはりい 如何せんかと どをしよをか どをしゆうか どげいしゆうか 商に同じ いうことを 又どをしゆうか この外、筆にも記しがたき語風の異同は枚挙に遑あらず。故に隔壁にても人の対話を聞けば、その上士たり、下士たり、商たり、農たるの区別は明に知るべし。(風俗を異にす) 右条々のごとく、上下両等の士族は、権利を異にし、骨肉の縁を異にし、貧富を異にし、教育を異にし、理財活計の趣を異にし、風俗習慣を異にする者なれば、自からまたその栄誉の所在も異なり、利害の所関も異ならざるを得ず。栄誉利害を異にすれば、また従て同情相憐むの念も互に厚薄なきを得ず。譬えば、上等の士族が偶然会話の語次にも、以下の者共には言われぬことなれどもこの事は云々、ということあり。下等士族もまた給人分の輩は知らぬことなれども彼の一条は云々、とて、互に窃に疑うこともあり憤ることもありて、多年苦々しき有様なりしかども、天下一般、分を守るの教を重んじ、事々物々秩序を存して動かすべからざるの時勢なれば、ただその時勢に制せられて平生の疑念憤怒を外形に発すること能わず、或は忘るるがごとくにしてこれを発することを知らざりしのみ。
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