福沢諭吉小品集 / 旧藩情・第2段
余輩常に思うに、今の諸華族が様々の仕組を設けて様々のことに財を費し、様々の憂を憂て様々の奇策妙計を運らさんよりも、むしろその財の未だ空しく消散せざるに当て、早く銘々の旧藩地に学校を立てなば、数年の後は間接の功を奏して、華族の私のためにも藩地の公共のためにも大なる利益あるべしと。これを企望すること切なれども、誰に向てその利害を説くべき路を知らず。故に今この冊子を記して、幸に華族その他有志者の目に触れ、為に或は学校設立の念を起すことあらば幸甚というべきのみ。 一、維新の頃より今日に至るまで、諸藩の有様は現に今人の目撃するところにして、これを記すはほとんど無益なるに似たれども、光陰矢のごとく、今より五十年を過ぎ、顧て明治前後日本の藩情如何を詮索せんと欲するも、茫乎としてこれを求るに難きものあるべし。故にこの冊子、たとい今日に陳腐なるも、五十年の後には却て珍奇にして、歴史家の一助たることもあるべし。 明治十年五月三十日 福沢諭吉 記 旧藩情 旧中津奥平藩士の数、上大臣より下帯刀の者と唱るものに至るまで、凡、千五百名。その身分役名を精細に分てば百余級の多きに至れども、これを大別して二等に分つべし。すなわち上等は儒者、医師、小姓組より大臣に至り、下等は祐筆、中小姓(旧厩格)供小姓、小役人格より足軽、帯刀の者に至り、その数の割合、上等は凡そ下等の三分一なり。 上等の内にて大臣と小姓組とを比較し、下等の内にて祐筆と足軽とを比較すれば、その身分の相違もとより大なれども、明に上下両等の間に分界を画すべき事実あり。すなわちその事実とは、
書き下し
余輩常に思うに、今の諸華族が様々の仕組を設けて様々のことに財を費し、様々の憂を憂て様々の奇策妙計を運らさんよりも、むしろその財の未だ空しく消散せざるに当て、早く銘々の旧藩地に学校を立てなば、数年の後は間接の功を奏して、華族の私のためにも藩地の公共のためにも大なる利益あるべしと。これを企望すること切なれども、誰に向てその利害を説くべき路を知らず。故に今この冊子を記して、幸に華族その他有志者の目に触れ、為に或は学校設立の念を起すことあらば幸甚というべきのみ。 一、維新の頃より今日に至るまで、諸藩の有様は現に今人の目撃するところにして、これを記すはほとんど無益なるに似たれども、光陰矢のごとく、今より五十年を過ぎ、顧て明治前後日本の藩情如何を詮索せんと欲するも、茫乎としてこれを求るに難きものあるべし。故にこの冊子、たとい今日に陳腐なるも、五十年の後には却て珍奇にして、歴史家の一助たることもあるべし。 明治十年五月三十日 福沢諭吉 記 旧藩情 旧中津奥平藩士の数、上大臣より下帯刀の者と唱るものに至るまで、凡、千五百名。その身分役名を精細に分てば百余級の多きに至れども、これを大別して二等に分つべし。すなわち上等は儒者、医師、小姓組より大臣に至り、下等は祐筆、中小姓(旧厩格)供小姓、小役人格より足軽、帯刀の者に至り、その数の割合、上等は凡そ下等の三分一なり。 上等の内にて大臣と小姓組とを比較し、下等の内にて祐筆と足軽とを比較すれば、その身分の相違もとより大なれども、明に上下両等の間に分界を画すべき事実あり。すなわちその事実とは、
現代語訳
私は常々思うのですが、今の華族たちが様々な仕組みを設けて様々なことに財を費やし、様々な憂いを憂えて様々な奇策妙計をめぐらすよりも、むしろその財がまだ空しく消散しないうちに、早く各自の旧藩地に学校を立てたならば、数年後には間接的な功を奏して、華族の私益のためにも藩地の公共のためにも大きな利益があるはずです。これを企望することは切実ですが、誰に向かってその利害を説く道があるかを知りません。そこで今この冊子を記し、幸いに華族やその他の有志者の目に触れ、これによって学校設立の念を起こす人があれば、幸甚というべきです。 一、維新のころから今日に至るまで、諸藩の様子は現に今の人が目撃するところで、これを記すのはほとんど無益なようですが、月日は矢のごとく、今から五十年を過ぎて、顧みて明治前後の日本の藩情はどうであったかを詮索しようとしても、ぼんやりしてこれを求めるのは難しいでしょう。ですからこの冊子は、たとえ今日では陳腐でも、五十年後にはかえって珍しく、歴史家の一助となることもあるでしょう。 明治十年五月三十日 福沢諭吉 記 旧藩情 旧中津奥平藩士の数は、上は大臣から下は帯刀の者と呼ばれる者に至るまで、およそ千五百名です。その身分や役名を細かく分ければ百余級の多きに至りますが、これを大別して二等に分けることができます。すなわち上等は儒者、医師、小姓組から大臣に至るまで、下等は祐筆、中小姓(旧厩格)、供小姓、小役人格から足軽、帯刀の者に至るまでで、その数の割合は、上等はおよそ下等の三分の一です。 上等のうちで大臣と小姓組を比較し、下等のうちで祐筆と足軽を比較すれば、その身分の相違はもとより大きいですが、はっきりと上下両等の間に分界を画すべき事実があります。その事実とは、
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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福沢諭吉小品集・旧藩情・第1段旧藩情緒言 一、人の世を渡るはなお舟に乗て海を渡るがごとし。舟中の人もとより舟と共に運動を与にすといえども、動もすれば自から運動の遅速方向に心付かざること多し。ただ岸上より望観する者にして始てその精密なる趣を知るべし。中津の旧藩士も藩と共に運動する者なれども、或は藩中に居てかえって自からその動くところの趣に心付かず、不知不識以て今日に至りし者も多し。独り余輩は所謂藩の岸上に立つ者なれば、望観するところ、或は藩中の士族よりも精密ならんと思い、聊かその望観のままを記したるのみ。 一、本書はもっぱら中津旧藩士の情態を記したるものなれども、諸藩共に必ず大同小異に過ぎず。或は上士と下士との軋轢あらざれば、士族と平民との間に敵意ありて、いかなる旧藩地にても、士民共に利害栄辱を与にして、公共のためを謀る者あるを聞かず。故に世上有志の士君子が、その郷里の事態を憂てこれが処置を工夫するときに当り、この小冊子もまた、或は考案の一助たるべし。 一、旧藩地に私立の学校を設るは余輩の多年企望するところにして、すでに中津にも旧知事の分禄と旧官員の周旋とによりて一校を立て、その仕組、もとより貧小なれども、今日までの成跡を以て見れば未だ失望の箇条もなく、先ず費したる財と労とに報る丈けの功をば奏したるものというべし。蓋し廃藩以来、士民が適として帰するところを失い、或はこれがためその品行を破て自暴自棄の境界にも陥るべきところへ、いやしくも肉体以上の心を養い、不覊独立の景影だにも論ずべき場所として学校の設あれば、その状、恰も暗黒の夜に一点の星を見るがごとく、たとい明を取るに足らざるも、やや以て方向の大概を知るべし。故に今の旧藩地の私立学校は、啻に読書のみならず、別に一種の功能あるものというべし。
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福沢諭吉小品集・旧藩情・第15段すでに学校に心を帰すれば、門閥の念も同時に断絶してその痕跡を見るべからず。市学校は、あたかも門閥の念慮を測量する試験器というも可なり。(余輩もとより市学校に入らざる者を見て悉皆これを門閥守旧の人というに非ず。近来は市校の他に学校も多ければ、子弟のために適当の場所を選ぶは全く父母の心に存することにして、これがため、敢てその人物を軽重するにはあらざれども、真に市校に心を帰して疑わざる者は、果して門閥の念を断絶する人物なるが故に、本文のごとくこれを証するのみ。)下等士族の輩が上士に対して不平を抱く由縁は、専ら門閥虚威の一事に在て、然もその門閥家の内にて有力者と称する人物に向て敵対の意を抱くことなれども、その好敵手と思う者が首として自から門閥の陋習を脱したるが故に、下士は恰も戦わんと欲して忽ち敵の所在を失うたる者のごとし。敵のためにも、味方のためにも、双方共に無上の幸というべし。故にいわく、市学校は旧中津藩の僥倖を重ねて固くして真の幸福となしたるものなり。 余輩の所見をもって、旧中津藩の沿革を求め、殊に三十年来、余が目撃と記憶に存する事情の変化を察すれば、その大略、前条のごとくにして、たとい僥倖にもせよ、または明に原因あるにもせよ、今日旧藩士族の間に苦情争論の痕跡を見ざるは事実において明白なり。(今年数十名の藩士が脱走して薩に入りたるは、全くその脱走人限りのことにして、爾余の藩士に関係あることなし。)然りといえども、今日の事実かくのごとくにして、果して明日の患なきを期すべきや。これを察せざるべからず。今日の有様を以て事の本位と定め、これより進むものを積極となし、これより退くものを消極となし、余輩をしてその積極を望ましむれば期するところ左のごとし。
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福沢諭吉小品集・旧藩情・第19段彼の御広間の敷居の内外を争い、御目付部屋の御記録に思を焦し、然として怒り莞爾として笑いしその有様を回想すれば、正にこれ火打箱の隅に屈伸して一場の夢を見たるのみ。しかのみならず今日に至ては、その御広間もすでに湯屋の薪となり、御記録も疾く紙屑屋の手に渡りたるその後において、なお何物に恋々すべきや。また今の旧下士族が旧上士族に向い、旧時の門閥虚威を咎めてその停滞を今日に洩らさんとするは、空屋の門に立て案内を乞うがごとく、蛇の脱殻を見て捕えんとする者のごとし。いたずらに自から愚を表して他の嘲を買うに過ぎず。すべて今の士族はその身分を落したりとて悲しむ者多けれども、落すにも揚るにも結局物の本位を定めざるの論なり。平民と同格なるはすなわち下落ならんといえども、旧主人なる華族と同席して平伏せざるは昇進なり。下落を嫌わば平民に遠ざかるべし、これを止むる者なし。昇進を願わば華族に交るべし、またこれを妨る者なし。これに遠ざかるもこれに交るも、果してその身に何の軽重を致すべきや。これを是れ知らずして自から心を悩ますは、誤謬の甚しき者というべし。故に有形なる身分の下落昇進に心を関せずして、無形なる士族固有の品行を維持せんこと、余輩の懇々企望するところなり。ただこの際において心事の機を転ずること緊要にして、そのこれを転ずるの器械は、特に学校をもって有力なるものとするが故に、ことさらに藩地徳望の士君子に求め、その共に尽力して学校を盛にせんことを願うなり。
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福沢諭吉小品集・旧藩情・第10段中津の藩政も他藩のごとく専ら分を守らしむるの趣意にして、圧制を旨とし、その精密なることほとんど至らざるところなし。而してその政権はもとより上士に帰することなれば、上士と下士と対するときは、藩法、常に上士に便にして下士に不便ならざるを得ずといえども、金穀会計のことに至ては上士の短所なるを以て、名は役頭または奉行などと称すれども、下役なる下士のために籠絡せらるる者多し。故に上士の常に心を関するところは、尊卑階級のことに在り。この一事においては、往々事情に適せずして有害無益なるものあり。誓えば藩政の改革とて、藩士一般に倹約を命ずることあり。この時、衣服の制限を立るに、何の身分は綿服、何は紬まで、何は羽二重を許すなどと命を出すゆえ、その命令は一藩経済のため歟、衣冠制度のため歟、両様混雑して分明ならず。恰も倹約の幸便に格式りきみをするがごとくにして、綿服の者は常に不平を抱き、到底倹約の永久したることなし。 また今を去ること三十余年、固め番とて非役の徒士に城門の番を命じたることあり。この門番は旧来足軽の職分たりしを、要路の者の考に、足軽は煩務にして徒士は無事なるゆえ、これを代用すべしといい、この考と、また一方には上士と下士との分界をなお明にして下士の首を押えんとの考を交え、その実はこれがため費用を省くにもあらず、武備を盛にするにもあらず、ただ一事無益の好事を企てたるのみ。この一条については下士の議論沸騰したれども、その首魁たる者二、三名の家禄を没入し、これを藩地外に放逐して鎮静を致したり。
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福沢諭吉小品集・旧藩情・第13段この事情に従て維新の際に至り、ますます下士族の権力を逞うすることあらば、或は人物を黜陟し或は禄制を変革し、なお甚しきは所謂要路の因循吏を殺して、当時流行の青面書生が家老参事の地位を占めて得々たるがごとき奇談をも出現すべきはずなるに、中津藩に限りてこの変を見ざりしは、蓋し、また謂れなきに非ず。下等士族の輩が、数年以来教育に心を用るといえども、その教育は悉皆上等士族の風を真似たるものなれば、もとよりその範囲を脱すること能わず。剣術の巧拙を争わん歟、上士の内に剣客甚だ多くして毫も下士の侮を取らず。漢学の深浅を論ぜん歟、下士の勤学は日浅くして、もとより上士の文雅に及ぶべからず。 また下士の内に少しく和学を研究し水戸の学流を悦ぶ者あれども、田舎の和学、田舎の水戸流にして、日本活世界の有様を知らず。すべて中津の士族は他国に出ること少なく他藩人に交ること稀なるを以て、藩外の事情を知るの便なし。故に下等士族が教育を得てその気力を増し、心の底には常に上士を蔑視して憚るところなしといえども、その気力なるものはただ一藩内に養成したる気力にして、所謂世間見ずの田舎者なれば、他藩の例に傚てこれを実地に活用すること能わず。かつその仲間の教育なり年齢なり、また門閥なり、おおよそ一様同等にして抜群の巨魁なきがために、衆力を中心に集めて方向を一にするを得ず。ついに維新の前後より廃藩置県の時に際し今日に至るまで、中津藩に限りて無事静穏なりし由縁なり。もしもこの際に流行の洋学者か、または有力なる勤王家が、藩政を攪擾することあらば、とても今日の旧中津藩は見るべからざるなり。今その然らざるは、これを偶然の幸福、因循の賜というべし。
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福沢諭吉小品集・旧藩情・第14段中津藩はすでにこの偶然の僥倖に由て維新の際に諸藩普通の禍を免かれ、爾後また重ねてこの僥倖を固くしたるものあり。けだしそのこれを固くしたるものとは市学校の設立、すなわちこれなり。明治四年廃藩のころ、中津の旧官員と東京の慶応義塾と商議の上、旧知事の家禄を分ち旧藩の積金と合して洋学の資本となして、中津の旧城下に学校を立ててこれを市学校と名けたり。学校の規則もとより門閥貴賤を問わずと、表向の名に唱るのみならず事実にこの趣意を貫き、設立のその日より釐毫も仮すところなくして、あたかも封建門閥の残夢中に純然たる四民同権の一新世界を開きたるがごとし。 けだし慶応義塾の社員は中津の旧藩士族に出る者多しといえども、従来少しもその藩政に嘴を入れず、旧藩地に何等の事変あるも恬として呉越の観をなしたる者なれば、往々誤て薄情の譏は受るも、藩の事務を妨げその何れの種族に党するなどと評せられたることなし。故にこの市学校を設立するにも、真に旧藩地一般のためにするの事実明白にして、何等の陋眼をもってこれを視るも、上士を先にするというべからず、下士を後にするというべからず、その目的とするところは正しく中津旧藩の格式りきみを制し、これを制了して共に与に日本社会の虚威を圧倒せんとするもののごとくにして、藩士のこの学校に帰すると否とはその自然に任したりしに、士族の上下に別なく漸く学に就く者多く、なかんずく上等士族の有力なる人物にて、その子弟を学校に入るる者も少なからず。
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