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福沢諭吉小品集 / 旧藩情・第15段

すでに学校に心を帰すれば、門閥の念も同時に断絶してその痕跡を見るべからず。市学校は、あたかも門閥の念慮を測量する試験器というも可なり。(余輩もとより市学校に入らざる者を見て悉皆これを門閥守旧の人というに非ず。近来は市校の他に学校も多ければ、子弟のために適当の場所を選ぶは全く父母の心に存することにして、これがため、敢てその人物を軽重するにはあらざれども、真に市校に心を帰して疑わざる者は、果して門閥の念を断絶する人物なるが故に、本文のごとくこれを証するのみ。)下等士族の輩が上士に対して不平を抱く由縁は、専ら門閥虚威の一事に在て、然もその門閥家の内にて有力者と称する人物に向て敵対の意を抱くことなれども、その好敵手と思う者が首として自から門閥の陋習を脱したるが故に、下士は恰も戦わんと欲して忽ち敵の所在を失うたる者のごとし。敵のためにも、味方のためにも、双方共に無上の幸というべし。故にいわく、市学校は旧中津藩の僥倖を重ねて固くして真の幸福となしたるものなり。 余輩の所見をもって、旧中津藩の沿革を求め、殊に三十年来、余が目撃と記憶に存する事情の変化を察すれば、その大略、前条のごとくにして、たとい僥倖にもせよ、または明に原因あるにもせよ、今日旧藩士族の間に苦情争論の痕跡を見ざるは事実において明白なり。(今年数十名の藩士が脱走して薩に入りたるは、全くその脱走人限りのことにして、爾余の藩士に関係あることなし。)然りといえども、今日の事実かくのごとくにして、果して明日の患なきを期すべきや。これを察せざるべからず。今日の有様を以て事の本位と定め、これより進むものを積極となし、これより退くものを消極となし、余輩をしてその積極を望ましむれば期するところ左のごとし。

書き下し

すでに学校に心を帰すれば、門閥の念も同時に断絶してその痕跡を見るべからず。市学校は、あたかも門閥の念慮を測量する試験器というも可なり。(余輩もとより市学校に入らざる者を見て悉皆これを門閥守旧の人というに非ず。近来は市校の他に学校も多ければ、子弟のために適当の場所を選ぶは全く父母の心に存することにして、これがため、敢てその人物を軽重するにはあらざれども、真に市校に心を帰して疑わざる者は、果して門閥の念を断絶する人物なるが故に、本文のごとくこれを証するのみ。)下等士族の輩が上士に対して不平を抱く由縁は、専ら門閥虚威の一事に在て、然もその門閥家の内にて有力者と称する人物に向て敵対の意を抱くことなれども、その好敵手と思う者が首として自から門閥の陋習を脱したるが故に、下士は恰も戦わんと欲して忽ち敵の所在を失うたる者のごとし。敵のためにも、味方のためにも、双方共に無上の幸というべし。故にいわく、市学校は旧中津藩の僥倖を重ねて固くして真の幸福となしたるものなり。 余輩の所見をもって、旧中津藩の沿革を求め、殊に三十年来、余が目撃と記憶に存する事情の変化を察すれば、その大略、前条のごとくにして、たとい僥倖にもせよ、または明に原因あるにもせよ、今日旧藩士族の間に苦情争論の痕跡を見ざるは事実において明白なり。(今年数十名の藩士が脱走して薩に入りたるは、全くその脱走人限りのことにして、爾余の藩士に関係あることなし。)然りといえども、今日の事実かくのごとくにして、果して明日の患なきを期すべきや。これを察せざるべからず。今日の有様を以て事の本位と定め、これより進むものを積極となし、これより退くものを消極となし、余輩をしてその積極を望ましむれば期するところ左のごとし。

現代語訳

一度学校に心を寄せれば、門閥の思いも同時に断ち切れて、その跡も見えなくなります。市学校は、いわば門閥の思いを測る試験器といってもよいでしょう。(私は、市学校に入らない者をすべて門閥守旧の人だというのではありません。近ごろは市校のほかにも学校が多く、子弟のために適当な場所を選ぶのは全く父母の考えにあることで、それによってその人物を軽んじたり重んじたりするものではありません。ただ、本当に市校に心を寄せて疑わない者は、確かに門閥の念を断ち切った人物ですので、本文のようにこれを証するだけです。)下等士族が上士に不平を抱く理由は、ひとえに門閥と虚威の一点にあり、しかもその門閥家の中で有力者と呼ばれる人物に敵意を抱くものですが、好敵手と思う相手が、まず自分から門閥の悪い習慣を脱したので、下士はまるで戦おうとして急に敵のいる場所を見失ったかのようです。敵のためにも、味方のためにも、双方ともこの上ない幸いというべきです。ですから、市学校は旧中津藩の幸運を重ねて固め、本当の幸福としたものです、と述べるのです。 私の見るところで旧中津藩の移り変わりを求め、とくに三十年来、私が目撃し記憶している事情の変化を考えると、その大略は先の各段のとおりで、たとえ幸運にせよ、はっきりした原因があるにせよ、今日、旧藩士族のあいだに苦情や争論の跡を見ないのは、事実として明白です。(今年、数十名の藩士が脱走して薩摩に入ったのは、全くその脱走者限りのことで、そのほかの藩士に関係はありません。)しかし、今日の事実がこのようだとして、はたして明日の心配がないと言えるでしょうか。これは考えなければなりません。今日の有様を物事の基準と定め、ここから進むものを積極、ここから退くものを消極とし、私に積極の望みを語らせるなら、期するところは次のとおりです。

解説

市学校は門閥の意識を測る試験器だ、という比喩が印象的な段です。福沢は、敵と見ていた有力者がみずから門閥を捨てたので、下士は戦う相手を見失った、と描きます。対立の根が肩書の誇示にあるなら、それを手放す人が出ただけで構図が変わる、という洞察です。括弧書きで慎重に補足を加え、人を一律に判定しない姿勢も示しています。現代でも、上司が率先して肩書を手放すと関係が変わる場面があります。次段からは、今後の積極と消極の見通しに入ります。

この章句が説くこと

市学校門閥試験器不平好敵手僥倖

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