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福沢諭吉小品集 / 経世の学、また講究すべし・第2段

およそ物の有害無害を知らんとするには、まずその性質を知ること緊要なり。その性質を知らんとするには、まずその物を見ること緊要なり。熱国の人民は氷を見たることなし。ゆえにその性質を知らず。これを知らざるがゆえに、その働の有害なるか無害なるかを知らざるなり。また、人の天然において奇異を好むは、その性なり。山国の人は海を見て悦び、海辺の人は山を見て楽しむ。生来、その耳目に慣れずして奇異なればなり。而してそのこれを悦び、これを楽しむの情は、その慣れざるのはなはだしきにしたがってますます切にして、往々判断の明識を失う者多し。仏蘭西の南部は葡萄の名所にして酒に富む。而してその本部の人民にははなはだしき酒客を見ざれども、酒に乏しき北部の人が、南部に遊び、またこれに移住するときは、葡萄の美酒に惑溺して自からこれを禁ずるを知らず、ついにその財産生命をもあわせて失う者ありという。 また日本にては、貧家の子が菓子屋に奉公したる初には、甘をなめて自から禁ずるを知らず、ただこれを随意に任してその飽くを待つの外に術なしという。また東京にて花柳に戯れ遊冶にふけり、放蕩無頼の極に達する者は、古来東京に生れたる者に少なくして、必ず田舎漢に多し。しかも田舎にて昔なれば藩士の律儀なる者か、今なれば豪家の秘蔵息子にして、生来浮世の空気に触るること少なき者に限るが如し。これらの例をかぞうれば枚挙にいとまあらず。あまねく人の知るところにして、いずれも皆人生奇異を好みて明識を失うの事実を証するに足るべし。 ゆえに、子女の養育に注意する人は、そのようやく長ずるにしたがって次第に世間の人事にあたらしむるの要用なるを知り、あるいは飲酒といい演劇といい、謹慎着実なる父母の目には面白からぬ事ながら、とうていこれを禁ずべきに非ざれば、この好むところに任して、酒をも飲ましめ、演劇の見物をも許して、ただこれを節するの緊要なるを知らしむるのみ。ある西人の説に、子女ようやく長じたらば、酒を飲むも演劇を見物するも、初はまず父母とともにして、次第に独歩の自由を許すべしという者あり。この説、はなはだあたるが如し。

書き下し

およそ物の有害無害を知らんとするには、まずその性質を知ること緊要なり。その性質を知らんとするには、まずその物を見ること緊要なり。熱国の人民は氷を見たることなし。ゆえにその性質を知らず。これを知らざるがゆえに、その働の有害なるか無害なるかを知らざるなり。また、人の天然において奇異を好むは、その性なり。山国の人は海を見て悦び、海辺の人は山を見て楽しむ。生来、その耳目に慣れずして奇異なればなり。而してそのこれを悦び、これを楽しむの情は、その慣れざるのはなはだしきにしたがってますます切にして、往々判断の明識を失う者多し。仏蘭西の南部は葡萄の名所にして酒に富む。而してその本部の人民にははなはだしき酒客を見ざれども、酒に乏しき北部の人が、南部に遊び、またこれに移住するときは、葡萄の美酒に惑溺して自からこれを禁ずるを知らず、ついにその財産生命をもあわせて失う者ありという。 また日本にては、貧家の子が菓子屋に奉公したる初には、甘をなめて自から禁ずるを知らず、ただこれを随意に任してその飽くを待つの外に術なしという。また東京にて花柳に戯れ遊冶にふけり、放蕩無頼の極に達する者は、古来東京に生れたる者に少なくして、必ず田舎漢に多し。しかも田舎にて昔なれば藩士の律儀なる者か、今なれば豪家の秘蔵息子にして、生来浮世の空気に触るること少なき者に限るが如し。これらの例をかぞうれば枚挙にいとまあらず。あまねく人の知るところにして、いずれも皆人生奇異を好みて明識を失うの事実を証するに足るべし。 ゆえに、子女の養育に注意する人は、そのようやく長ずるにしたがって次第に世間の人事にあたらしむるの要用なるを知り、あるいは飲酒といい演劇といい、謹慎着実なる父母の目には面白からぬ事ながら、とうていこれを禁ずべきに非ざれば、この好むところに任して、酒をも飲ましめ、演劇の見物をも許して、ただこれを節するの緊要なるを知らしむるのみ。ある西人の説に、子女ようやく長じたらば、酒を飲むも演劇を見物するも、初はまず父母とともにして、次第に独歩の自由を許すべしという者あり。この説、はなはだあたるが如し。

現代語訳

およそ物の有害無害を知ろうとするには、まずその性質を知ることが肝要です。その性質を知ろうとするには、まずその物を見ることが肝要です。熱帯の国の人民は氷を見たことがありません。だからその性質を知りません。それを知らないから、その働きが有害か無害かを知らないのです。また、人が生まれつき珍しいものを好むのは、その性です。山国の人は海を見て喜び、海辺の人は山を見て楽しみます。生来、その耳目に慣れておらず、珍しいからです。そしてこれを喜び楽しむ気持ちは、慣れていない度合いが大きいほどますます切実で、しばしば判断の明識を失う者が多いのです。フランスの南部は葡萄の名産地で酒が豊かです。その中心部の人民にはひどい酒飲みは見かけませんが、酒に乏しい北部の人が南部に遊び、あるいは移住すると、葡萄の美酒に溺れて自分で禁じることを知らず、ついには財産や生命までも失う者がいるといいます。 また日本では、貧しい家の子が菓子屋に奉公に出た当初は、甘いものを舐めて自分で止めることを知らず、ただ好きにさせて満腹するのを待つほかに手がないといいます。また東京で花柳界に遊び、放蕩無頼の極みに達する者は、古来東京に生まれた者には少なく、必ず田舎者に多いのです。しかも田舎では、昔なら藩士の律儀な者、今なら豪家の秘蔵息子で、生来、世間の空気に触れることの少なかった者に限るようです。こうした例は数えれば枚挙にいとまがありません。広く人の知るところで、いずれも人は生まれつき珍しいものを好んで明識を失うという事実を証明するに足りるでしょう。 ですから、子女の養育に注意する人は、成長するにつれて次第に世間の人事に当たらせる必要があることを知り、飲酒にしても演劇にしても、慎み深く堅実な父母の目には面白くないことでも、結局これを禁じることはできないので、その好むところに任せて、酒も飲ませ、芝居の見物も許して、ただこれを節制することの肝要さを知らせるだけにします。ある西洋人の説に、子女が成長したら、酒を飲むにも演劇を見物するにも、はじめはまず父母とともにして、次第に独り歩きの自由を許すべきだというものがあります。この説は大変もっともです。

解説

判断力を養うには、まず物を見て慣れる必要がある、という段です。氷を知らない熱帯の人、海を初めて見る山国の人、酒や甘味に溺れる人々の例を重ね、珍しいものほど判断を失わせると説きます。酒と芝居を父母と一緒に経験させるという子育ての例は、禁じるより慣れさせて節度を学ばせる考え方です。例には時代や地域の偏りも見られます。現代の仕事でも、経験のない領域へ急に任された人ほど判断を誤りやすいものです。段階的に触れる機会をどう設計するか、考える手がかりになります。

この章句が説くこと

奇異を好む性明識慣れ惑溺節制子女の養育

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